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七色の大陸  作者: 108
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ep1:光と闇の七彩大陸

 ――成田空港。


 光とざわめきが渦を巻き、僕を飲み込んでいく。ガラス窓から差し込む陽光は床に反射し、人の影を長く伸ばす。アナウンスとキャリーケースの音、コーヒーの香りと香水の匂い――空港全体がひとつの生命体みたいに脈打っていた。


〈すごい……この空間。息を吸うたびに、胸がざわめく〉


 今日、この日から――すべてが変わるのかもしれない。


「いよいよだね、アオ」


 隣を歩くカイアが笑う。その笑顔は夏の太陽みたいに鮮やかで、胸の奥に小さな光を灯す。


「……ああ」


 僕はかすかに答える。声が震えた。


 頭に浮かぶのは兄・彩陽(いろは)の笑顔。嵐の海に呑まれ、二度と戻らないあの瞬間――胸の奥には、今も鋭い痛みが残っている。


〈もう二度と、大切な人を失わない〉


 そのとき、カイアの手が僕の腕に触れる。柔らかく温かい感触が、心の闇を押しのけていった。


「大丈夫。私がついてる」


 優しいけれど、決して揺るがない声。その温もりに、過去の痛みは静かに押し返されていく。


 ――希望は確かに目の前にある。


 飛行機のエンジンが低く唸り、僕たちを未来へと押し出す。窓の外の青空は果てしなく広がり、雲の白さは眩しいほどに輝く。


「見て! まるで夢みたい!」


 カイアがはしゃぐ。小さな肩が弾むたび、僕の心も軽くなる。


「……夢と現実の境目なんて、案外あいまいなのかもしれないな」


 そう呟いた瞬間、胸の奥で新しい鼓動が力強く跳ねた。


――闇の底から、あの音が這い上がってきた。


 轟音。全てを呑み込む波の咆哮。視界の端に見える、兄・彩陽(いろは)の背中。


「アオ! まだだ、立ち上がれ!」


 その声は稲妻のように胸を打つ。けれど次の瞬間には、冷水が肺に流れ込み、世界が歪んでいく。


〈苦しい……息ができない……〉


 水圧に押し潰され、心臓が破裂しそうだ。指先から力が抜け、ただ闇に落ちていく。


 それでも意識の片隅で、兄の声だけが響き続けていた。


「アオ……信じてるぞ!」


 ──その言葉が鎖のように僕を現実へ繋ぎとめる。


 ぱちり、と目を開ける。額を伝う汗。荒い呼吸。


「……夢、か」


 胸の奥では夢と現実の境界がぐらつき、心臓を鷲掴みにする痛みが残っていた。


〈なぜ、僕だけが生きている……〉


 波の音が耳の奥で鋭く鳴り響き、彩陽の笑顔がフラッシュのように浮かぶ。


 胸の奥の痛みが現実の空気を引き裂く。僕は必死に呼吸を整えようとするが、空気は鉛のように重く、指先の震えが止まらない。


 罪悪感が鋭い棘となり、思考を苛む。あの日の海、兄の背中、そして「生きろ」という声。


 あれから僕は、波を見ることができなくなった。かつては誰よりも速く海に飛び込み、誰よりも高く波を駆け抜けていたはずなのに。今は、波の音を聞くだけで膝が震える。


 兄・彩陽は、ただの兄ではなかった。


 彼は太陽だった。夢を共に見て、未来を照らし、僕を導いた。


「アオ、お前は必ず世界の頂点に立つ」


 何度も繰り返されたその言葉が、心に焼き付いている。


 だからこそ、失った現実が僕を壊した。


 あの日、台風に煽られた海は怪物そのものだった。濁流のような波が押し寄せ、視界を白く塗り潰す。


「俺が行く!」と叫んだ僕を、彩陽は力強く背中で押し出した。その笑顔は、死を覚悟した戦士のように――。


 波に弾かれ、飲み込まれ、僕は必死で水をかいた。肺が焼け、鼓動が乱れ、それでももがき続けた。


 そして病室で目を覚ましたとき――。


 兄の姿は、もうそこになかった。


〈なぜだ……なぜ僕だけが……〉


 問いは答えを得られず、心に澱のように沈む。残されたのは、喪失と後悔と――決して消えない夢の残響。


 僕は今も、あの日の波の音に縛られている。逃げ場のない牢獄のように。だが同時に、その音こそが未来へ導く扉の鍵なのかもしれない――。


 ──僕は、兄を救えなかった。伸ばした手は波に呑まれ、声は風に消えた。あの瞬間から胸に残ったのは、後悔と空虚だけ。だから今度こそ、二度と失わない。たとえ世界そのものが僕の敵になろうとも。


 ――機内。


「ほら、アオ。起きておいで!」


 柔らかく、それでいて揺るぎない力を宿した声が、意識の底を突き破った。声の主はカイア。


 飛行機の座席に座ると、冷えた金属の手すりが手に触れ、エンジンの振動が骨にまで伝わる。カイアの手の温もりがそれに対してまるで柔らかな盾のように感じられた。


「もう、オークランドに着く頃よ。起きないと、景色を見逃しちゃうわ!」


 その声は太陽のように僕を照らす。重く沈んでいた胸の奥が、わずかに解けていく。


 だが、窓の外には暗黒が広がっていた。黒雲が渦を巻き、稲妻が機体を白く裂く。不吉な影が蠢き、嵐は僕らを試すように牙を剥く。


「……大丈夫だ、カイア!」


 手を握り返す。震える彼女の手から熱が伝わる。


〈守る……絶対に守る〉


「……大丈夫だ、アオ! 私、絶対にあなたを守る」


 カイアの指先が震える。けれど、瞳は僕を追い、決して揺らがなかった。


「ガタガタッ! ……こんなの、絶対に耐えられない!」


〈でも、アオを守らなきゃ……!〉


 瞬間、稲妻が夜を裂く剣となり、機体を白光で包む。轟音と光の渦に全てが呑み込まれる。視界は白く焼き尽くされ、世界の輪郭は砕け、時空の裂け目が僕らを吸い込んだ。


 轟音。光が脳裏を焼き、機体が揺れる。


「カ、カイア……!」


 伸ばした手は空を切った。白い閃光の渦に、全てが呑み込まれる。世界は砕け、再構築される。


 僕は、七色に輝く大地に立っていた。


 虹色の草が足元でささやくように揺れ、光の川が低くうねりながら音もなく流れる。空気には甘く土臭い香りと、どこか懐かしい潮の匂いが混じっていた。


 だが、カイアの姿はどこにもない。


〈離された……でも、まだ終わりじゃない〉


 兄を救えなかった痛みが再び胸に突き刺さる。けれど今度は違う。必ず守る。必ず取り戻す。


「待ってろ……必ず、君に辿り着く!」


「もう二度と、誰も失わない」


 運命が僕らに試練を投げつけるほど、挑む価値は増す。


 一方その頃、カイアは漆黒の大地に立っていた。


〈離れたら、私…絶対に守れないかもしれない〉


 胸が締め付けられるように痛む。恐怖が心を覆う。けれど、アオの瞳を思い出すと、足が自然に前に出る。立たなければ、逃げてはいけない──彼のために。


 指先が震える。けれど、瞳はアオを追い、決して揺らがない。


「アオ、私はどこにいても、必ずあなたを追う」


〈怖くても……立たなきゃ、アオのために〉


 七色大陸。美と災厄が交錯する世界。


 僕とカイア、離れたまま──でも必ず再会する。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます!


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