千夜が明けて明星に散る
元来た場所へ戻るのは構わないが、俺の背後をつける事で千夜さんを連れ戻そうとする輩が居ないかは最後まで警戒した。したが、男性は儀式不成立の代償につきその生死に拘らず行動不能、女性も千夜さんを追跡するには周囲の状況に余裕がない。
「無事で良かった……」
命に別条がないにしても、少し心配だ。意識がないのをいい事背中で背負い、荷物のように運んでいく。明衣によくやらされていた事だ、多少重くても問題ない。腕で持つよりは遥かにマシだろう。こうして抱えると明衣は少し軽すぎるか。
―――ピシ。
こめかみを鋭く叩かれたような痛みが走る。それは攻撃ではなく、頭痛だ。何かを忘れている? それか、誰かを背負うという行動その物に覚えがあるのか。思い出せないし、そんな思い出は最初からないような気もしてくる。『妹』との思い出……ではない。それだけは確かだ。
「……外に出たら何をしたいですか?」
暇になったので、独り言。
「これは勘ですけど、貴方は昔の人間なんじゃないんですか? ただ、あのトンネルが昔と今を繋いでるせいで価値観や言葉遣いなどはそう俺達と変わらず、ただ因習だけが続いたみたいな。山の外なんてその気になればあのトンネルを使わなくても降りられるのにこの村で暮らしていて一度もそんな話は聞かなかったから……勝手にそう思ってるだけですけど」
点と点で考えているだけなので合っているかどうかは分からない。明衣だってそんな事は興味ないだろうし、当人は山を下りた事がないので答えを知らない。となれば、好き勝手に言って大丈夫だ。この考察が誰になんの損を引き起こすというのか。
「だから多分、外に出たら戸惑うんでしょうね。生活様式とか、通貨とか……ここ通貨使うところなかったな。こほん、後は服装、法律、何より山の中じゃない。もしかすると、山から下りた事を後悔する日も来るかもしれません」
後悔しないつもりでした選択も、いつか振り返った時にやっぱり後悔してしまう。それは別に悪い事じゃない。選択の結果苦境に立たされたなら誰だってそうなってしまうだろう。後悔のしない選択なんてない。出来る事はその時したいと思った気持ちを裏切らない事だけ。
「…………『妹』もとっくにいるし、もう一人くらい増えてもうちは気にしません。千夜さん。だからどうか……いや、出来ればでいいんで、遥の話し相手になってやってください。アイツがNGを破らずに過ごせれば―――俺に頼らなくてもいいなら、それだけで十分」
村の入り口に到着した。後は明衣が戻ってくるのを待つだけだ。
「……………」
まあ、ここまで首尾よく行き過ぎたくらいだ。最後くらいトラブルがあってもおかしくはないと思っていた。目の前からふらつきながら、自身から流れる血に足を取られながらやってきた男を見て、千夜さんを背中から降ろす。
「の、乃い…………て、で、べはっ! ま、てよ……まつり……終わって…………!」
「陛太。明衣の事はもういいのか」
「…………かえ、ん。 な」
俺の声は聞こえていないみたいで、何やら独り言をぶつぶつと呟いている。代償から逃れたというよりは運よくまだ狂気に染まっていないと言った方が正確だろう。こちらからの呼びかけには一切答えず、ただ弱々しく腕を伸ばしてゾンビの様に近づいてくる。
「千夜さんは渡さないぞ。俺はこの人を外に連れて行く。恨むなら勝手に恨め、その恨みがいつか俺とクソ探偵を地獄に落としてくれるかもしれないからな。ただこの人は……駄目だ」
犠牲になる筈だった、死ぬ筈だった、この先の人生はなかった人。毎年そんな人が生まれて、ただ神様に貪られて死ぬだけの人生を変えられるなら何を犠牲にしてもいいと彼女は言った。それはエゴだ、大勢の幸福より己の幸福を願う紛れもない身勝手。ただ俺は、そんな身勝手が嫌いじゃない。明衣のNGを知る為に犯罪の片棒を担ぎ続ける俺の行動もまた、同じように身勝手だからだ。
どうせこの村は長くない。陛太が明衣に惚れていて彼女を誘う文句を考え続ける限り起きた事だ。この死神よりも死神らしい探偵は行く先々で必ず死者を出し、事件を呼び、勝手に解決する。俺が居ても居なくても、被害をゼロにする事は限りなく難しい。
「かえ、っせええええええええあああああああああああああああああああああああ!」
向かってくる陛太を横に押し倒す。立ち上がる度、何度でも転がし続ける。これはその程度の脅威だ。殺人を好んでする人間なんて俺の周りには居ない。明衣の奴は、残念ながら興味があるのはその個人のNGだけで死んでしまうのはNGのせいだ。人が死ぬことは何とも思っていないが、好んで殺人をしたい訳じゃない。
どうせ、こんな風に追い返しているだけでも限界が来る。変わり果てた陛太の姿は着実に本人の身体を蝕んでいる。
「ぐ、ううう……おおれは……しに、たくない……しに……うわあああああああ」
傷だらけの身体を掻き毟る。掻き毟ればそれだけ出血も激しくなり痛みが増す。仮に俺の気が変わって陛太も一緒に連れて行ったとしても間に合いそうにないだろう。それに、トンネルを抜けたからって影響から逃れられるとも限らない。その点は千夜さんも一緒だが、意識を失っているだけなら彼よりも望みがある。
「……でもお前にはお礼を言わないといけないよな。お前が明衣を連れ出してくれたお陰で、少なくとも学校は平和だ。その事は呑気に生活してる奴等に代わって俺がお礼するよ。犠牲者がお前達だけで済んだのは幸運だったな」
掻き毟った喉が破裂して血が噴き出す。流れる血が喉を塞ぎ碌に声も出せないようだが、血走った目だけが的確に俺を睨みつけている。直視すれば呪われそうな視線。俺は逃げない。明衣の助手として負の感情は全て受け止める。
「お前達が死んでもいい奴とは思わないけど、でも明衣が来なきゃ毎年毎年誰かが犠牲になってたんだろ。じゃあ、お互い様だよな。人を殺して生きてたんだ。自分が殺されてもしょうがない」
「…………! ガ…………ごォ」
肺に血でも入ったか、ごろごろと不愉快な音がする。まるで見えない誰かが彼の胸を刺したみたいだ。俺に大した霊感がないだけで、この村には多くの幽霊が居るのだろう。たった一回祭事が成功しなかっただけでこうなるのだから、人の恨みという奴は恐ろしい。
「お待たせ~!」
特に耳を澄まさなくても聞こえる阿鼻叫喚の災厄の中、一人呑気な声を響かせて明衣がやってきた。服は制服に着替え直したようだ……そういえば俺は着替えていない。
「待った?」
「結構待った」
「はいこれ、乃絃君の制服ね。そーんな呪いくさい衣装なんて捨てちゃって、着替え直さなきゃ! 男前が台無しだぞっ」
「貧乏くさいみたいな言い方で聞いた事ない表現を使うなよ。後で着替える。千夜さんは無事だけど、この人は無事にトンネルを抜けられるのかな」
「私の推理が正しければ抜けられるよ。さあ行った行った。脱出だーわー」
「…………! ……………!」
明衣は一度も陛太に目を向ける事なく、俺の背中を押してトンネルへと促した。勢いで千夜さんまで置き去りにしそうなので慌てて正面に抱えて歩き出す。気になって振り返ろうとすると、明衣に首を思い切り押し戻された。
「ダメダメ。振り返っちゃ駄目。死者の国から帰りたければ振り返らない事。有名でしょ?」
「ここは冥府なのか?」
「今からそうなるところでしょっ」
俺達のせいで。
私は呪われている。
死ぬ為に選ばれたこの身体。来るべきその日まで生かされていただけの幸運。ただ礎となっていく家族を見て、いつしか生きたいと願うようになった。その願いが叶う事はないと諦めながら、同時に期待していた。誰かが助けてくれる事を。
私の名前は非時千夜。時間に忘れ去られた罪業の存在。村の皆が許してくれる道理はない。いつかその呪いが、私を殺すのだとしても。
「………………ん、ん…………」
「おはよう、千夜さん」
「よく眠れたかなっ???」
私は今を、生きる。




