郷矢乃絃は一人が嫌い
「郷矢様……も、申し訳ございません! 私がお世話しなければいけない立場にも拘らず、客人であらせられる貴方様にこのような手間をかけさせてしまい……」
「そんなあらせられるとか使われるタイプの偉い人じゃないんで顔を上げてください。良かったじゃないですか。夜帳さんは無実なんでしょう? 無実の罪が晴れたらするべきは謝罪ではなくて喜ぶ事です」
あの後、当主がきて場を収めに来たのはある意味幸運だった。俺は明衣の助手なんて務めるような人格破綻者だ、人生が碌な結末にならないのも確定している。そんな人間は殆ど無敵であり、その気になれば誰に喧嘩を売っても恐るるに足らない。あの場をすぐに収められる権威が来なければ乱闘騒ぎも辞さなかった。
「ああいうのは我慢ならないんですよ。誰か一人を、その証拠もないのに悪者と決めつけてみんなで攻め立てる。それが正しい事だって思ってるから何処までもやれる。気持ち悪い人間の性です。明衣と同じくらい不気味だ」
「…………郷矢様は、今の私のような経験をなされたのですか?」
「俺に限らず、何処の人間もありそうですけどね。その時呑み込むか、反発するかの違いで。昔の俺は呑み込んで……後悔した。夜帳さんにはそんな気持ちを味わわせたくなかったってだけですよ」
理由は誰に言わずとも分かるだろう。NGを守る為には怒りを爆発して孤立する状況を避けないといけなかった。NGは破った代償が『死』である以上守らないといけないが、そこに気持ちが連結しているかは全く別の話だ。たとえ謎に死亡条件があっても俺達は人間で、心がある。こんな陰険な行為は到底許されるべきではない。
部屋に戻ってから、夜帳さんはずっと浮かない顔をしていた。俺が逆らえたのは……薄々感づいていたが、祭事の主役となっているからだ。何かの間違いで居なくなられると非常に困るという状況が一時的な権力を与えてくれた。
ただそれは同時に一時的でもあり、また、夜帳さん自身が偉くなった訳でもない。分かりやすく例えると、大人にチクって喧嘩を仲裁させても円満に解決はしない、という事だ。彼女は俺の目の届かない所できっと似たような目に遭うだろう。浮かない顔はそれを危惧しているのだ。明衣じゃないが、手に取るように心理は分かる。
どうすれば人に嫌われないで済むか、そればかり考えていた。今度は逆の視点から考えればいいだけだ。
「………あんまり名案が思い付かないな。とりあえず今日は俺の傍から離れないで下さい。それなら誰も絡んでこないと思うので」
「ご、御不浄の時もですか……?」
「ごふじょ…………そこまでつけ回す奴が居るんですか? そんな気はしなかったけど、夜帳さんは一族に嫌われているんですね」
「…………こ、これも祭事に向けた一環でございます。普段はもっと皆様お優しく…………」
俺を前に庇うのか、と驚いていたかったが、彼女は段々と首を傾げ始めて雲行きが怪しくなる。
「…………いつもと変わらないような」
―――まあ、そうだよな。
特定の状況でのみ態度が変わる人間が、普段は優しいなんて事は有り得ない。大抵は本性を隠しているだけだ。こんな閉塞的な環境なら隠す必要性すらなく剥き出しであろう。「郷矢様が一番私に優しくしてくださるお方」という独り言を聞いて、憐憫すら躊躇われれてくる。
連れられてやってきただけの他人が一番優しいなんてどんな扱いだ。それは家族ではない。俺の中で家族というのは絶対的な味方であり、道理を無視して命を預けられる存在の事だ。夜帳一家はとてもとても、その条件は満たせていない。
「…………よし、分かりました! 夜帳さん。あ、すみません。千夜さん。多分俺が干渉した事で次から俺が居ない時に同じ目に遭うと思います。そういうの嫌ですよね」
「は、はいっ。助けていただいた身で失礼な想像になりますが、先程からその憂いばかりしておりました」
「やられっぱなしはムカつくでしょう。どうせならやり返しましょう。貴方に関わるのは損だって教え込ませるんです」
「ど、どのように?」
「人間が一番関わりたくないって思うのはあからさまな危険人物です。つまり俺の相方みたいな奴ですね。見た目だけは良すぎて惚れられる事も多いですけど、飛んで火にいる夏の虫っていうか、虫が燃え尽きてるっていうか。あれは天然の危険物で演出は出来ませんが、偽物で良かったら幾らでも出来ますよ。千夜さん。この村で忌避されるような行動や服装、やり取りはありますか?」
頭がおかしいと一口に言っても様々なタイプはあるが、トラブルなく過ごしたい人間はふらふら歩きながら大声を出す人間には近寄ろうともしない。手っ取り早く頭のおかしさを演出するならそういうのが欲しい。
口には出さないまでも俺の案に乗っかるという事は、彼女も鬱憤が溜まっているようだ。深く頭を捻って数十分。ポンと手槌を打って言った。
「忌避という事でしたら、一つ思い当たる事が。子供の頃、穴を掘る度に痛く叱られている陛太を見かけました。掘った穴に池の水を入れようとしていたようで……何の意味があるのかは分かりませんが」
「何の意味もないでしょ。因みにそれ、水を穴に入れるのが駄目なのか穴を掘るのが駄目なのかってのは」
「怒られていたのは穴を掘る事だったのでそれかと……あれ以来だったかは覚えておりませんが、穴を掘る道具は全て何処かへと隠されてしまわれました」
「んー。まあ、穴を掘るのに道具なんて必要ないですよ。別に手でも掘れますからね。そんな訳で千夜さん。申し訳ないんですけど、暫く俺と一緒に関わっちゃいけない奴っぽく振舞ってみませんか?」
立ち上がって手を差し伸べる。言い出しっぺの法則とも言うし、まずは俺が率先して馬鹿にならないといけない。明衣の手前躊躇したいと言いたかったが、アイツは俺の指示で別の場所を調査中だ。足止めの為にも、ここで体を張る事が後々大きな成果に繋がってくる。繋がれ。
「は、はい……………ふ、不束者ですがよろしくお願いします……」
夜帳さん―――千夜さんはほんのり頬を染めて恥ずかしそうに俺の手を取った。頭のおかしい人のフリをするって大変だ。その点、明衣はいい。元々頭がおかしいんだから何をしても気にされない。
「わんわんわんわんわんわんわんわんわんわん! あうあうあうあうあうあう!」
「わ、わんわんわんわん! え、あ、わおおおおお!」
二人で犬の真似をしながら庭の土という土をひっくり返し穴を掘っている。様子を見た誰かが騒然としたのを合図に大勢の人間が野次馬宜しく集まってきた。千夜さんは羞恥心で泣きそうになりながらも必死に犬の鳴き声を演じている。
「な、なにしてるのアンタ! 穴を掘るのは当主様に……!」
「なんですか! 俺達は犬になりきって遊んでるんです、邪魔しないでください!」
「い、犬ってアンタ……」
「こんな奴が主役でいいのか!?]
「なんですか犬が二匹居たら不満ですか。そうか分かりました。それじゃあおいでワンちゃん~。なでなでしてあげようねー」
「く、くぅぅぅぅん…………ううううぅ」
犬になりきった千夜さんが飼い主に転身した俺に頭を擦りつけて撫でられる様子は衝撃的で、一家どころか村の殆どの視線を釘づけにしてしまっていた。いないのは陛太と当主様だけだ。だがそれも時間の問題。穴を掘るのが駄目なら誰かに呼ばれる筈。
「おーよしよしいい子だいい子いい子。いやあまさかこんな山奥で犬に出会えるなんて思ってなかったなあ。おーよしよし、大型犬はでっかいなあ」
犬に押し倒されたという体で地面に横たわると、犬を演じる千夜さんもそれに応じてマウントの体勢に。顔を近づけてひっそり耳元で囁いた。
「は、恥ずかしいですぅ…………!」
「もう少し、耐えて下さい」
大切なのは、関わりたくないと思わせる事だ。普段、どうすれば孤立しないかという事ばかり考え得ているのとは対極の思考になるが、何、難しい話にはならない。元泥棒が警備体制を指導するのと何も変わらない。孤立しない方法を知っているなら逆も把握しているだけ。
「ほーら、たかいたかーい! たかいたかーい!」
「きゃあああああわあおおおおおおお! わんわん!」
「うーん元気だなー! 犬と遊ぶとホント無尽蔵の体力で疲れるよー!」
「なんだこれは! 何の騒ぎだ! 誰がやったのだ!?」




