時を違えば、まともであろうに
「郷矢様、お次はどちらへ向かわれますか? 何処へなりとも案内させていただきますっ」
「なんだか機嫌がいいみたいですね」
「だって郷矢様ったら、舟を下りても花冠をつけていらっしゃるから……こう言った子供の遊びは年を取るにつれて下らないと切り捨てられてしまう物ですから……てっきり捨ててしまうのだとばかり」
「そんな事を言う割には、夜帳さんもつけてますよね」
「……初めて、あそこの花畑で作りましたので。嬉しくて」
「そうですか……なら暫くこのままで行きましょう。同じ装飾品を身に着けていたら、貴方がサボってるなんて誰も思わない筈ですよ」
さて次は何処へ行こうかなんて、目的地は決まっている。俺は参加者……それも何やら主役として抜擢されたようだから、ここでの信仰について知る権利がある。それが真実でも虚偽でも構わない。とにかく俺がこれから何をさせられ呑かを知りたいだけだ。未知は既知より恐ろしい。生物として当たり前の感覚だ。知っているなら対処法を、それがなければせめて心の準備を。知らない事にはそれすら出来ない。だって何が起こるかを知らないのだから。
「神社に行きたいですね。良く分からない内に主役に抜擢されて良く分からない規則の元で明衣と引き離されて……まあこっちはいいんですけど。陛太なんてわざと教えなかったでしょ。貴方も秘密によって成立するとか言って詳しく教えてくれませんし。それならせめて神話を知りたい。『おまつり様』と『ひじんか様』がどうして離れ離れになったのか。何故俺達が再会させないといけないのか。経緯がある筈です。口伝でも書物でも、夜帳さんが知っているなら、道中にそれを聞きながらでも」
「……成程。信仰に身を委ねるにはその根幹を知らなければならないと。承知しました。儀式の内容は決して当日まで教えてはならぬと言われておりますが、そうでないのでしたらお教えします」
「口止めには抵触してないんですね」
「いえ、本来は一切を知らせてはならないのですが、郷矢様は私の戯れに付き合って下さったので……ふふ、特別です。くれぐれもご内密にお願いしますね?」
「因みに本来はどういう対応を? 一切知らせないっていうのは、普段役目を務める人達にとっても周知の事実だからですよね。じゃなきゃ参加する道理なんかないですよ」
「…………そう、なのですか? 私が見てきた限りでは皆様喜んで参加なさいますが」
―――じゃあ外の人を絶対に参加させるって事かよ。
いや、なんとなくそんな気はしていたのだ。ただ信じたくなかっただけ。陛太の行動がおかしい事なんて分かり切っていただろう。どうして帰省するだけなのに俺達が必要だったのか。明衣の事が好きなら明衣だけを連れて行こうとする素振りがあっても良かった。だが彼は何と言った。山に入った時、耳を疑う事を言ったではないか。
『儀戯っつう、まあ儀式なんだけど。それが終わるまで丸々一週間かかるってのはさっきも話したけど、彩霧さんとお前にはフルで居てほしいな』
フルで居てほしいとは、つまり俺と明衣の存在が必要という意味だ。それに合わせて夜帳さんのこの発言、この祭りには外部の参加者が少なくとも二名必要で……他の住人が脇役という事は、事実上、俺達は、文字通り祭り上げられているような。
「…………本当に喜んでましたか?」
「はい。男性の方々は特に気を緩めておられましたよ。女性の方もご機嫌だったと記憶しております。表向きそう見えたという事でしたら当時の私には知る由もございませんが」
そして当時の事について陛太は何も知るまい。彼の口ぶりは長い事帰っていなかった様だ。そして今回帰ったのも、帰るに相応しい状況が整ったからだと思うべきで、決して偶然や気まぐれなんかではなく、間違っても相談箱の功績なんかではない。
「成程。分かりました。それなら俺も話を聞けば気を緩める事になるんでしょうか。教えてくれますか? 『ひじんか様』と『おまつり様』について」
夜帳さんはこほんと軽く咳払いすると、軽く背筋を伸ばし懐から取り出した数珠を指の間に組ませると、霊験灼たかな光を放ちながら静かに語りだした。
「では―――失礼して」
「二つの神々はかつて一対の神として……即ち夫婦として崇め奉られておりました。元は荒ぶる山の神の二神、鎮める為の儀式であった祭りはかつては人身御供の儀でございました。豊穣の一部を献上し、健やかに育った子を一人。かつては贄とする子を人と見なさず、ただ無情にも捧げる日々だったと聞きます。ですがある年、子ではなく女性を捧げた時からその様相は変わってしまわれました。女性の味を知った『おまつり様』が『ひじんか様』を愛さなくなってしまわれたのです。『子』を捧げていたのは飽くまで二人を繋ぐ為。『おまつり様』の御心が逸れてしまえば、一対の神としての権能はたちどころに崩れます。一対の繋がりを失い『ひじんか様』はその力を失われる正にその瞬間、神々の不仲を嘆いた民によって二つは一対の神としての権能を再び取り戻しました。それが今日の儀戯である女暗の儀になるのです」
「…………女性の味を知ったとは? 肉が柔らかいから食べやすい的な発想ですか?」
「それは…………」
彼女が口ごもったのを見て、事情をある程度察してしまう。耳は熱を保ち、視線はあちこち散っていった。理由はそれで充分だ。
「そういう事ですか。つまり……ああ、外の世界を知らない貴方には無意味な例えかもしれませんが、仮面夫婦な訳ですね。子供の為に離婚しないだけで、お互いに愛情はないみたいな」
「はい、正にそういう事だと思われます。一対の神として、片方に力が偏る事はあってはならないのです。それでは加護の中身が変わってしまうかも。元は荒ぶる神でございますから、求めが変われば村も混乱してしまいます」
「信仰が変われば当然生活も変化するでしょうね。そういう世界に暮らしてきたなら……天地がひっくり返ったような物ですから」
長い長い階段を二人で上る。ここが観光スポットの一つならすれ違う人間の一人や二人とも会えたが、それはおろか村人の姿もない。見かけたのは入り口付近で遊んでいた子供が精々だ。前日は雨が降っていたのだろうか、水たまりを踏んでいたと思う。
明衣はまだ遊んでいるのだろうか。少し気になるが、彼女もいつかここを訪れるとするなら鉢合わせは避けたいところだ。せっかく楽しい時間を過ごせているのに本人に水を差されたら夜帳さんにはとても見せられないような感情を発露してしまう。
上に近づくにつれて心があたけてしょうがない。神様とやらが居たとしても人間には到底認識出来ないと捉えているが、本能が『そこに在る』と警告しているように、騒がしい。体は重苦しく、血液は何者か怯えるようにうまく巡らない。足が痺れてくる。反対に、脳にずっとかかっていた筈の靄が晴れていくようだ。
「ただならぬ雰囲気を感じますね。神様がおわしますようで」
「お分かりになられるのですか? 郷矢様はその、外部から来たにしては随分と信心深いのですね」
「故郷にも神社くらいありましたよ。よくよく遊んでましたとも。子供の遊び場にするには十分すぎるくらい物がありました」
そうだ。みんなと遊んだ。遊ぶことが好きだった。遊ばなければならなかった。一人ぼっちは嫌だった。NGを破れば死ぬ事は物心ついた時には誰もが分かっていて、子供ながら死を身近に感じ、そのせいで俺はおかしかったのだ。子供なんて狂人と大差ないくらいに突拍子もない、そういいたいのは分かる。
だが、それを狂ったなんて言わないでほしい。ただ死ぬのが怖かっただけだ。それのどこが狂っている?
階段を上がりきると、拝殿のすぐ傍にベンチを見つける。
「夜帳さん。少しここに滞在してもいいですか? 神様の傍で話しましょう。互いに主役であるのなら、問題ない筈です」
「……? はい。郷矢様がそう仰るなら是非もなく。ここは当日まで人も立ち寄りませんし、もっと外の事を教えていただきたいです! …………千代は、外の世界に憧れを抱いております。まっこと素敵な外の世界をもっと、教えてくださいませ!」




