春の夜の夢の如き酩酊
まさか明衣と望んでもないのに切り離されるとは想定外だった。焦るような事では一切ないどころか嬉しい誤算と言っても差し支えないが、祭りに関わろうとする男女がどうしてこのような分けられ方をしないといけないのだろう。
「こちらが郷矢様の生活なさる部屋でございます。如何でしょうか、外の家屋と比較なさると……」
「流石にみすぼらしいって感想しか出ないけど、昔住んでた家を思い出すよ」
二人が生活する程度の広さは最低限あるようだ。箪笥やクローゼット等最低限の家具も用意されている。テレビなどはなく……というか、電気を用いる道具はなさそうだ。そもそもコンセントがない。あるのはボロボロの畳と立て付けの悪い襖。廊下に出て奥に行けばお風呂があり、屋外ながらそこには小さな温泉があった。こっちは悪くない。
「一つ質問があります。俺のお世話をしてくれるのは嬉しいんですが、温泉も一緒に入るつもりとか言いませんよね?」
「……? 当主様より仰せつかった役目は客人様のお世話でございます。私が出来るような事なら何でもさせていただけないでしょうか。郷矢様、ここには私と貴方様の二人しか居られないのです」
「…………外の常識では普通混浴なんてしないもんでね。夜帳さん、貴方も裸を見ず知らずの男に見られたくない筈だ。嫌なら別に入るべきだと思う」
俺が嫌、という訳じゃないが、単純に混浴は気を遣う。決して裸が見られてラッキーではないのだ。お互いに裸を見せるというのは性的興奮以上に気まずい状況であり、気を遣わないといけない。だから恋人が混浴するのだとしたら何の問題もないが、出会って数十分程度の男女が混浴なんて、お互い気疲れ間違いなしだ。
「し、しかしそれでは私がお世話を怠けたように思われます。郷矢様は私の何処がそこまで気に入らないのでしょう。教えていただけたらすぐに直しますので」
「気に入らない、じゃなくて。ああ…………夜帳さん。貴方、俺に裸を見られたいですか、見られたくないですか? 役目とか当主様がどう思うかじゃなくて、貴方の気持ちを聞いてるんです」
夜帳さんは暫く言葉をかみしめるように瞬きを繰り返す。応答中と言って長考するロボットと向き合っているような気まずい時間だ。早く何か返答しろと、心の中に苛立ちが募りつつある。こんな簡単な話が呑み込めないくらい当主様の言いなりだったのか。
「あ、あまり好ましくは……ないです」
「そうでしょう。大丈夫、俺からは黙っておきます。お互い一人でお風呂に入りましょう。暫く一緒に生活するならこういう所は弁えないと。寝る時は廊下に追いやる訳にもいかないんですから、せめてね」
「は、はい……ほ、本当によろしいのですか? 私は……お役目ですから……別に……」
「外の人間なんでね。そういう縛りが俺は嫌いなんですよ。否応なく守らされるのはNGだけで十分だ。それ以外は出来る事なら自由でいたい。明衣の奴はまだごねてるのかな……」
接触は禁止されていないから、その内会いに来るだろうと予測している。それまでの時間はこの村について見識を深めた方が良さそうだ。一応、探偵助手としての務めは果たす。どうやらお祭りの参加者は着替えないといけないらしいので、クローゼットから粗末な甚平を取り出して着替えた。これで一応、村民と見た目は大差なくなった。
「郷矢様、よくお似合いでいらっしゃいますよっ」
「そういうお世辞も当主様の言う世話の内ですか? 大変ですね、色々と」
「お世辞だなんてそんな……ほ、本当に素敵ですっ。こ、これは千夜の心からの言葉で、お役目とは無関係でございます!」
「そういう事なら有難うございます。どうも褒められると猜疑心の方が働いてしまいましてね。この悪癖を直す為にも少し村について聞きたいんですけど、一体どうして男女が分かれないといけないのでしょうか。村の人達にそんな様子はなかったし、俺達だけが制約を受けたみたいだ。何より男女で分けるなら世話役は逆が正しい。何故女性の貴方が?」
「お二人はこのお祭りの意義でもある女暗の儀に参加なさるのでこのような事になりました。村の者も含めて多くは引き立て役にすぎませぬ」
「確か『ひじんか様』と『おまつり様』を再会させる祭りなんですよね。離れ離れになってる二人を引き合わせる……織姫と彦星じゃないけど。今日来たばかりの人間に偉く大仰な役割を与えたとも思いますけど、夜帳さんの役目は? 今日この日の為に身を清めてきたとか言ってたじゃないですか。流石に貴方まで引き立て役という事はないんでしょう?」
「郷矢様はよく会話を覚えていらっしゃいますね。仰るように私にも祭事にて役割がございます。此度の縁もその一環、貴方様の世話を仰せつかったのは当主様のご配慮なのでございます。私が悔いなく執り行えるようにと。申し訳ございませんがその内容を今言うのは……当日にバレてしまいます。これは秘密によって成立する儀式……との事で」
どうやってバレる? と言いたい気持ちをぐっと抑える。良く分からない宗教が蔓延っていると知っているなら多少は寛容であるべきだ。理屈が分からないとも言わない。それならNGを破ったかどうかは一体誰がどうやって判断している? 誰にNGを教わっている?
答えは分からない。NGは何となく知っているしし、NGを破ったかどうかは誰かが正確に判断するので誤作動もなければ許容もない。同じような物と考えれば得心も行ってしまう。
「分かりました。聞きたい事も一旦なくなったので、神社に連れて行ってもらえますか? ああ急ぎではないので……もし何か俺に見せたい物とかあるんだったら、そっちに行っても大丈夫ですよ」
「は、はい……?」
「―――閉塞的な社会は相互監視になりがちです。きちんと世話しているかどうか、それを見る者は何も当主だけじゃない筈。ここには俺と貴方の二人だけですけど、外で連れ回してくれたらきちんと仕事をこなしていると判断されませんか?」
「…………わ、私を気遣って下さるのですか?」
された事がない経験に、人はどんな感情を出していいか分からない。気持ちは非常に良く分かった。茫然とする彼女に冗談っぽく笑いかけようとしてやめた。いつからか笑顔という物が下手になっていたのだ。代わりに握手をして、ぶんぶんと手を振った。
「お互い気持ちよく過ごしましょうよ。暫くは一緒に暮らさないといけませんからね」
明衣の奴は多分まだごねている。ごねるのをやめたなら屋敷の前に待機していてもおかしくないからだ。
「溜め池の先にある島には何もないんですか?」
「あそこは所謂、座敷牢の代わりでございます。心を『おまつり様』に奪われた方や生きる事に疲弊してしまった者が集っております故、立ち寄るべきではございません。管理者さえ居ないのです」
「遠ざけてるって訳ですか……成程」
「でも、舟を出す事なら出来ますよ。島にさえ立ち入らなければ良いのです。お望みなら少し近づいてみますか? 島の中には色とりどりの花が咲いていて、見る者の心を奪うのでございますっ」
「それ、最悪じゃないですか」
一拍置いて、夜帳さんは頬を染めながら慌てて首を振った。
「そ、そのようなつもりは決して! 今のは、表現の問題と言いましょうか……!」
「分かってます。からかってみただけです」
「も、もう……いけずな御方」
「しかし心を病んだ人が行きつく場所が花畑なんて、ステレオタイプの天国みたいですね。遠目からは良く分からないし見てみましょうか」
「お任せくださいっ、この千夜、櫂の扱いに関しては誰にも負けませんっ」
そう息巻いて俺の手を引っ張る背中は、頼られてとても嬉しそうだ。この状況は誰が見てもお世話されているし、彼女が怒られる事はあるまい。だが発言しておいて何だが、舟を使うのは難しいのではないだろうか。
「なーにが釣れるかなー♪」
俺の所に来なかったのは単なる気まぐれだったようだ。
明衣が即席の釣竿を手に、糸を垂らして水の上にぷかぷかと浮かんでいた。両脇に子供を揃えているが、陛太はどうしたのだろう。
「ぶは! 彩霧さん無理だってこれ! 釣り針かけんのとか無理だよ!」
突き落とされていたか。




