邪悪に嗤えば滲む紅
「郷矢様は祭事についてどれ程知っていらっしゃいますか?」
明衣を傍に置かず歩ける事が俺にとってどんな幸せか想像出来る人間は少ないだろう。訳の分からないNGにずっと振り回されている身にもなってみろ、この人は喋っている限りまともで、腐り果てた性分とは全く無縁の人間だ。それだけでもう、人生が素晴らしい。
「全く知りません。陛太君も教えてくれませんでしたから」
「それではご説明しますね。ここ易代村ではあちらの階段を上った先の神社にて『おまつりさま』と呼ばれる神様が信仰されています。『おまつりさま』はこの山に住まう豊穣の神様でして、畏れを忘れず敬意を保てば私達に十分な山の恵みを授けて下さいます。他人事のように話してしまいましたが、千夜もそのご加護に与らせていただいています」
「『ひじんか様』とは別なんですか?」
「『ひじんか様』と『おまつり様』は夫婦の神、一対の神様なのです。祭事とは要するに、離れ離れになった二人を再会させる為の場造りなのでございますよ」
「成程…………車が見当たらないようですけど、もしかして全員ここで生活しているんですか?」
「陛太のように、事情あって下山しなければいけない者を除けば、そうですね。私も生を受けてからは一度もこの村を出ておりません。自然の恵みに生かされ、日々を細やかな趣味に費やしておりました。郷矢様は外の御方なのですよね? ……よろしければ私に教えていただけませんかっ?」
それとなく村を歩いて思ったが、特に行って面白いと言える場所は神社くらいしかなさそうだ。ここに娯楽的な文明は感じられない。虫網くらいはあるようで、傍をトンボを追いかける少年が過ぎていった。
「陛太から聞かないんですか?」
「彼はあまり帰って来ませんから。む、無理にとは言いませんよ? 興味があるだけ、ですから」
「……夜帳さんも学校に行けばいいんじゃないんですか? 年は多分同じくらいですよね」
「……そういう訳には参りません。私は今日この日の為に身を清めてきたのです。何か情けを掛けたいと思うのでしたら、どうぞこの願いに応えていただけないでしょうかっ」
「何か事情がありそうですね。そういう事なら分かりました。俺で良かったら話しましょう。と言っても話せる事なんて学校生活くらいしかないですけどね」
「はいっ!」
NGについて話すのもいいかと思ったが、それは多分楽しくない。誰かの死因について延々語らうなんて不可能だ。死はネガティブな話題であり、それで盛り上がろうなんて、盛り上がれる人間関係は歪んでいる。
近くのベンチに腰掛けてただありのままの学校生活を話した。明衣から被っている迷惑を取り除けば、俺の学校生活は平凡そのものだ。自分でも話しててあまり楽しい気はしないが、彼女はペタっと両手を膝の上に突いて聞き入っている。心なしか目を輝かせながら。
―――これじゃ案内つーか、ただ俺が遊んでるだけだな。
明衣から離れられるのをいいことに羽を伸ばしているだけだ。欠片も良心は痛まないが、ここに来た目的を忘れたくない。
「学校での生活は、楽しいと感じますか?」
「一口じゃ無理ですけど。色々ひっくるめたら楽しいんじゃないんですか? 陛太も多分同じことを言いますよ。アイツは多分この世で一番ハッピーな男」
特に頭が。
「……千夜は羨ましゅうございます。ここでの生活は満たされておりますが、そのように心躍る出来事があるかと言われれば、口を噤まなければいけませんから」
「まあ、文明からかけ離れた田舎ではありますもんね…………あーもっと話してもいいですけど、その前に挨拶しないと。陛太に呼ばれたんで、一応ね。ほら。アイツの顔を立てないと。夜帳さんも血縁者ですよね? あっちはうちの連れに振り回されてるみたいで俺は巻き込まれたくないし、連れて行ってもらえませんか?」
「あ、そうですよね……! 私とした事がつい興味を優先してしまい……ご案内いたします。二人はお客人でいらっしゃいますから、当主様がまずはお会いになる事でしょう。くれぐれも失礼のないようお願い申し上げます。ここの規則に不慣れとはとはいえ……その」
「分かってますよ。かくいう俺の故郷もちょっと変な場所だったんで、そういう偉い人への対応は心得ています」
NGを隠しながらどうにか移動の口実を探すのも大変だ。ここには夜帳さんだけでなく住民をちらほらと見かけるから大丈夫かと思わせておいて、やっぱり詳細な条件を教えないNG特有の悪質性につき、絶対は言い切れない。距離を教えろ距離を。それが分からない限りは隣にずっと居てもらう方が安全なのだ。
ここが一長一短というか、明衣を同伴させない短所になる。悔しいがアイツは適当に理由をつけるだけで動いてくれるからNGがバレてるかもという危惧はさておき、移動の口実なんて殆ど必要じゃないに等しい。
「うわー第一村人発見!」
村で一番大きな屋敷には一本しか続く道がない。目的地を同じとするならどうしても、探偵との合流は起こり得るだろう。白い髪をふわふわと揺らしながら明衣が俺達に向かって駆け寄ってきた。
「お前は子供達と遊んでたろ」
「うん、子供は大好きだよっ。あ、ちゃーんと私の事は布教しておいたからね。名刺作ってないのがちょっと痛いけどまあ大丈夫かな。で、その人は?」
「夜帳千夜子さんで、多分陛太の血縁者だな。お前達が遊んでるもんだから黙って俺だけでも先に挨拶しようかと思ってた。陛太は?」
「あ、もう行ってるみたいだよ。もう合流しちゃったし後を追うしかないよねー」
「あの子、大丈夫ならいいけど…………」
部外者たる俺達に夜帳さんの不安など知る由はない。
夜帳一族というのは中々どうして親戚筋の多い様子で、家に来るまでに多くの人間とすれ違い、奇異の目で見られた。それは間違いなく明衣という女が白い髪をしているからであり、着物やら甚平やら和装が多い中で俺達だけは洋服なのも一因であろう。だがこれは決して洋服を禁止しているのではなく、祭事の期間に入ったから全員が着替えたからだそう。陛太がそう言っただけだが、『神様は山の外にある物を嫌う』らしい。
多くの人間とすれ違う果てに何やら広々とした座敷に通され、俺と明衣は正座をして当主の到着を待つ事に。陛太は家の人間の筈だがまるで正座に慣れておらず、最初から胡坐を掻いている。
「お前らさ、痺れないのか足?」
「これくらい何でもない。昔はどれだけ耐えられるかで競争したりもしたっけな」
「あんまりルールで縛られるのはNGみたいでいやだけど、最低限の礼儀くらいは弁えないとね」
「それよりも、だろ。陛太。こんな場所で胡坐を掻けるイカれた神経のお前に聞きたいんだけど。俺達は罪人か何かなのか?」
「いや、お客さんだけど?」
「なら何でこんな囲まれてるんだよ」
広々としたそのスペースを余す事無く老若男女様々な顔ぶれが外側から囲むように並んでおり、その視線が全て俺達に注がれている。歓迎されているようないないような、全く興味がないような。だが子供達は明衣に向かって手を振り、コイツもまた振り返しているくらいには呑気だった。目の前の座布団からして当主様はそこに座るつもりなのだろう。夜帳さんは意外と地位が高いのか、俺の斜め横に座って俯いている。
「あー、それは………………まあ、まあ」
「それはお前達には共にこの祭事に参加してもらいたいからだ」
「!!」
床につきそうな勢いであごひげを蓄えた老人が開いた襖を通って目の前に姿を現した。陛太はすぐに正座になるも、やっぱり痺れは抑えきれない様子。かなり崩れている。
「当主様、こんにちはっ」
「こんにちは。俺達はそこに居る夜帳陛太君に誘われてきました。さっぱり事情は知らされておらず、右も左も分からぬままに訪れました。当主様には詳しい説明をいただきたいと思っています」
「ふむ……陛太。説明をしなかったのか。まあ良い。祭事の執行にはまだ期間がある。それまでは自由に過ごすといいだろう。郷矢乃絃。お前は離れの屋敷を使い生活すると良いだろう。世話役には千夜。お前が行け」
「わ、私でございますか?」
思ってもないような、上ずった声音。だが反応からして逆らったり拒絶するような行為は認められていないらしい。
「彩霧明衣。お前はこちらで生活するといいだろう。幸い一つ部屋が空いている。祭事が終わるまではそこで寝食を済ませると良い」
「…………? 彼は私の助手ですよ。どうして離されないといけないんですか?」
「大切なお客人とはいえ、この祭事に参加するからには山神に背く事はならぬものだ」
「あーつまりな。その……お祭りのメインイベントに関与する男女は分かれて生活しないといけないんだ。接触しちゃ駄目って事じゃなくてな? でも大丈夫だって彩霧さん! 俺が傍に居るからさ!」




