洛陽をちて憚りし
「で、何を調べるの」
「ぼっとん花子について調べたい。ネットで調べてもいいけど、どうせ出ないからな。父さんの書斎からこの町について書かれてそうな本を借りてきた。読むのに付き合ってくれ」
「…………」
ベッドの上にざっと本をバラ撒くと、遥はハート型の枕を背もたれ代わりに早速本を開いた(ベッドが壁と隣接しているのだ)。長年二人だけで会話してきただけあって阿吽の呼吸ではないが、話が早くて実に助かる。明衣もこれくらい物分かりが良ければ多少可愛げがあったかもしれないが……いや、やめよう。無駄な妄想だ。もし本人が聞いたら面白がってそれっぽい挙動を試みるだろう。
で、それを見た俺がゲロを吐いて、『遥だから可愛かった』という結論に至るまでがワンセット。自分の事は一番良く分かっている。
「これ、調べて何かあるんだ」
「……意味はある。俺がこの手のオカルト話に急速にハマッたと思ったか? 助手を務める以上、どう足掻いたって案内役を任されるのは俺になるだろ。観光バスに乗るガイドさんが知識つけずに乗り込むのかよって話だよ。こういうのは円滑に進めた方が信用される」
「もし、だよ。ぼっとん花子が居たらどうする?」
「もし、な。基本的には信じてない。でも居たら居たで対処法が分かるように調べてるつもりだ。学校で突っ立ってるだけだと断片的な噂しか聞こえてこないし、対処法がどうとかより前に誰も試さないから詳しい話も存在しない。俺がそれを知ってれば色々手間が省ける」
例えば、透歌の信頼を得られるとか。
あらゆる手を尽くしてあの後輩の命は守る。理想はさっさと推理を外させて明衣自身の矜持で以てこれ以上の関与を止めさせる事だ。『ぼっとん花子』はそれに利用出来る可能性がある。幽霊の特性かNGを避ける為の行動だったかを曖昧にすればさしものアイツも推理を外す可能性がある。オカルト話は専門外で、どんな口上を語ろうが結局あのアホ探偵はNGを暴く以外に興味が無い。
信頼を得る過程で彼女のNGが分かれば更に勝算は増える。探偵の助手はビジネスと同様、信用第一だ。唯一の抜け穴は助手を信じる流れで探偵様にも全幅の信頼を置いてしまう事だが……そうなったら、不運だ。
大昔に『自分からNGを明かせばアイツは殺す気が失せるのでは?』という仮説を立てた事があったが、それは銃を持った狂人に両手を挙げれば命は助かるかもと言っているに等しい。相手は狂人なので良心とかはない。普通に撃ち殺されてお終いである。
「これ、ずっと言ってる事だけど」
「…………ああ」
「私は、兄に死んでほしくない。兄以外の事は、割とどうでもいい。お父さんもお母さんも、兄の代わりにはならない」
「そう言うなよ。確かに誰とも話さなくなってもNGは踏まないけど、喋れるのに喋らないのは真綿で首を絞めるより辛いぞ。緩やかな拷問に近い。外じゃ喋れないって事にしてあるけど、ふとした時の声を抑えるのは無理だ。そのつもりがなくても誰かと話した事になればそれ以上は許されない。だから話し相手が居るんだろ。 多少不自然でも話し相手を明確にしておけばNGを踏む事はないんだからな」
「違う。兄には分からない。今まで話し相手だった人が急に変わる怖さなんて」
「返す言葉もない。俺のNGじゃないからな」
うちの家全体の関係は良好だが、父も母も遥との会話は許されていない。多くの場合は既に俺と会話済みで、下手すると殺してしまうからだ。だから話そうとすると一方的になる。血が繋がってなかろうと間違いなく仲は良好だが、決して盤石ではない。ふとしたきっかけで崩れる。
「で、どうだ?」
「思ったんだけど、校内新聞とかを調べたらいいんじゃないの」
「うちに怪談話を特集する様なもの好きな奴はいない。昔の学校の事でも事件にはなってそうだろ………無かったのか?」
「ここの成り立ちとか、何年に学校が建てられたとかはあるけど。無かった。ただ……別の事件なら」
「一応聞く」
「八〇年に、学校の生徒が全員死んだみたいな事件の事。軽く触れられてるだけで掘り下げられてはないけど。もしかしたらこの中に混じってる可能性」
「混じってる……んーどうだろうな。確かにその可能性はあるか。有難う。他に見つけたら頼む」
俺の方は収穫ゼロだ。ただこの町について詳しくなっていくだけで、町内会で発表したら高齢者に喜ばれそうとかそんな程度の収穫。興味のない情報は右から左に流れていくので翌朝になれば忘れるだろう。
「兄が行ってからも調べとくから。いつでも電話して」
「そうだな。繋がるんだったら頼らせてもらうよ……そうだ。参考までに聞きたいんだけど、俺が助けたい奴って後輩の女子なんだよ。そいつのNGって何だと思う?」
何の意図もない質問に遥は考え込むように俯いたかと思うと、目を見開いて俺の方を向いた。
「…………え。情報なし?」
「当てずっぽでいいよ。俺も分からないから」
NGのキツさは人によって様々だが、ここまで生きていられるという事はある程度回避手段自体はあるNGと推定出来る。『呼吸をしてはいけない』というNGがあったならそいつは生まれた瞬間死ぬだろう。そして学校に登校出来るなら周りに左右されにくいNGだと絞れる。
ただ絞れた所で傾向が分からないので選択肢は無数にある。遥も唸り声をあげて分かりやすく悩んでいた。当てずっぽうで良いと言ったはいいが、手抜きは出来ない性分なのだろうか。
「…………告白しない、とか」
「成程。確かに告白なら左右されにくい。口を噤めばいいだけだ。それはあるかもしれない」
「でもこれだったら、明衣さんが破らせるのは無理か」
「いや、それはないな」
遥に今までどんな事があったか、その詳細までは教えていない。NGではないが、無条件に協力してくれる存在は、俺にとって急所とも言える。だから単純に明衣に関わって欲しくない。死んだら心が折れそうだ。
最終的に嫌われても良いから誰かを助けたいというスタンスは彼女にも適用されている。もしも助けられる機会に恵まれるなら絶縁してもいい。俺みたいな奴は。明衣をNGで殺した後に死ぬのが理想だ。
「アイツは、絶対に破らせるよ。どんな手を使ってでもな」
二人きりの場所でアイツが死ねば。自動的に俺も死ぬ。
今となってはそれだけが、俺の生きる意味。
「お待たせ乃絃君。待った?」
「お前は時間ピッタリに来るから待つよな」
時刻は深夜一時四五分。季節が季節なので寒くはないと言いたかったが、雨が降るなら話は別だ。玄関の軒先なのでまだ傘は必要ない。学校に向かうなら必要だが、そこもいい。気にしているのは明衣と相合傘をしなきゃいけないのではという事だけだ。
明衣はせっかく傘を持ってきていたのに、俺と合流するなり自分の傘を畳んでその辺に投げ捨てた。
「傘、入れてくれる?」
「おう。お前自分が傘持ってる事を忘れたのか。さっき捨てたの使えよ」
「乃絃君の傘がいいの。早く行かないと透歌ちゃんがかわいそうだよ」
「どの口が言ってんだよ……」
明衣が来るまで玄関を挟んで真後ろに遥が居てくれた。軽く小突いたのが『行っていい』の合図だ。溜め息も雨にかき消されて良く分からない。傘を持っていない方の腕を組んで、名探偵御一行は夜の学校へ歩き出した。
「中尾の親に何か言われなかったのか?」
「え、中尾ちゃんが死んだからって事? 悪いのは私じゃなくてあの子の手だし。何でそんな事言うの?」
「時間の無駄なのは分かってるけど、道中が暇だから聞いても良いだろ。お前の隣を歩かなきゃいけない退屈を紛らわせるには十分だ」
「えー酷い。私は乃絃君と歩いてるだけでもこんなに楽しいのに」
「男を見る目がないんだな。悪い男に気をつけろよ」
「ふふっ。乃絃君が護ってくれるから安心してるよ」
うん。被害者を増やさない為にね?
後は明衣をNG以外で殺されたくないから。その為なら多少の暴力もやむをえないと思っている。俺の復讐の邪魔をする奴が悪い。恍惚の表情で上目遣いに俺を見上げる明衣を横目に、俺はこれ以上雨が激しくなることのないよう、祈った。
―――雨、嫌いなんだよな。
これで制服が透けると明衣がさりげなく見せつけてくるので非常に鬱陶しい。透歌はこんな悪天候の中で突っ立っているのだろうか。NG無関係に風邪を引かれても困るし、学校で雨宿りでもしてくれればいいが……
「……そう言えばお前、学校に侵入するアテはあるのか?」
「え? 乃絃君が用意してるんじゃないの?」
「聞くがお前、一緒に帰ったのに俺がどうやって目を盗むんだよ」
二人で眼を見合わせる。互いに肩をすくめて、俺だけが額に手を当てた。
可哀想な透歌。こんな計画性皆無の名探偵に目を付けられて。
いよいよ心配になってきたが、コイツを置き去りには出来ない。傘を明衣に持たせると、ひょいとずぶ濡れの明衣を抱え上げて走った。
「ああもう。クソ探偵がよ。調べたい所に入りたいならちゃんと準備しとけよな」
「ごめんね。でも貴方にお姫様抱っこされたから、結果的には正解だったね」
「暴れるなよ。お前はただでさえ重たいんだから」
「知ってる。胸が大きいから当たり前だよね。足のつま先から髪の毛までこの身体は乃絃君しか触れないから、重さも貴方しか知らない。凄く特別な感じがしない?」
「しない」
「でも体型は私がドストライクだよね。知ってるよ。名探偵ですから」
「それ以上言うと投げ飛ばすぞ。そうじゃなくても落としそうだからもっと身体をくっつけろ。速度上げるからな」
歯を食いしばるあまり砕けてしまいそうだ。でも我慢我慢。全ては透歌を助ける為。時間通りに到着しても学校に入れないなら全てが論外だ。短い道中の間に考えろ。どうやって学校に入ればいい。
「素直じゃないなあ、乃絃君。四六時中私の事考えてるのなんか、お見通しなのに」