貴方だから
「おうおうおう、戻ってきやがったか」
明衣の手を取った瞬間、鏡の外に弾き出されまたあの家に戻ってきた。気を失った真千子を抱きしめ、俺は鏡の破片の上で寝転んでいる。顔を見上げればスケッチブック越しにこちらを見つめる未慧と、鬼姫さん。
「お、鬼姫さん…………?」
「お? ここが現実だと思えねえか?」
床に転がる携帯をぼんやり見つめていると、鬼姫さんが目の前にしゃがみ、額に向けてバチンと勢いよく指を弾いた。強烈なデコピンが痛烈な痛みを記憶し、反射的にのけぞってしまう。
「いたっ」
「助けられた事は素直によくやったと言いてえが、大人を差し置いてガキが勝手に無茶すんじゃねえ。死んだらどうする」
「…………明衣、は?」
「私が呼んだ」
「は?」
「てめえの携帯でテレビ通話を繋いで鏡の破片と向かい合わせにすりゃこっちのもんだろ。移動した時の挙動を見りゃ大体分かるぜ」
そうか。俺が移動した破片を明がテレビ通話で携帯越しに見つめれば、条件は達成される。どうやって来たかなんて見当もつかず、だが俺に危険が迫った時アイツは必ず現れる。あれは、そんなジンクスのような感覚を信じた作戦だ。今回はしっかり道理がついてきただけ、マシ。
携帯を見ると通話履歴がしっかり残っている。明衣は俺の来訪を知っていた。今は電話を切ってこちらに向かっている所だろうか。
「―――ていうか、そんな危ない事しないで下さいよ。俺が巻き込まれたのに貴方がこんな事したら、他に誰かいたってバレバレじゃないですか。あのクソ探偵に殺されたいんですか?」
「私だって死にたかねえがよお、なあ郷矢君。大人を差し置いてガキが粋がるなよ。私にしちゃ未慧嬢もお前さんもガキんちょだ。ガキが死にたがる様子を目の前で見せられちゃ、大人として放っておけねえだろ」
鬼姫さんは俺の頭を掴むと、ぐわんぐわんと揺らして反論を物理的に封殺しにかかる。
「私とお前は協力者なんだぜえ、郷矢君! 一日の長があんのかもしれなくてもよお、勝手に死にに行くのは話が違うよなあ? 今度からそういう死にたがりをしたかったら一緒に巻き込めよ。別に変な事は言ってねえからな」
「いや……俺は貴方が死ぬかもしれない事に対して責任が取れません。そんな無責任な真似は―――」
「ガキが粋がんなつってんだ! 責任? んなもん大人の前で考えてんじゃねえ。ガキは無責任でいいだろうが。頼れる大人が傍に居て頼らないは嘘だろ。私はこれでも、頼りになる近所のお姉さんくらいのつもりでは居るんだがな」
「そんな事言ったって、明衣に貴方が殺されるよりはずっとマシですってば」
「私は、お前が死んだら悲しいぜ郷矢君」
鬼姫さんの声が、静かに落ち着く。
「あの女のゴミさとてめえが死にに行くのは別の話だお前、今までどんだけ死にに行ってんだ。ガキが命軽視して自爆特攻かます直前みたいなシケた面してんのは気に食わねえ。少しは自分を大事にしろ。結果的に生き残ったからよかったねじゃなくて」
「…………」
「大事に出来ないって顔だな。その為の大人だ。あの女は知らないが、私が傍に居るならまず私を頼れ。な? 率先して自分が犠牲になる必要はねえ。未慧嬢もそうだが、最初から全部投げ出すのはやめろ」
この人は明衣の恐ろしさを知らないからこんな事が言えるのだ。そんな反論をしたい気持ちは、鬼姫さんのあまりに優しい声を聴いている内に絆されてしまった。口は悪いが、気遣ってくれている事くらい分かる。その心遣いに対して論理的な否定をする事は出来ない。
彼女の手を借りて立ち上がる。破片の上に寝転がっていたから怪我を心配したが、身体の何処も切れてはいなかった。
「…………明衣は多分、こっちに来てます。携帯のせいもあるけど、貴方の存在には気づいてたみたいなんで早く逃げてください」
「おう。そういうのは忠告として聞いておくぜ。 今回の一件は無事解決したとみてよさそうだが、後で色々調べてみる。また会おうぜ、郷矢君」
「じゃ、また」
二人の背中を見送ってから、いまだ目覚めぬ様子の真千子に視線を落とした。無事に助かった筈だ。今はただ気を失っているだけ。そう信じるしかない。
明衣が来たのは、ニ十分後の事だった。
何か言われても嫌なので、あれから一歩も動いていない。真千子はまだ気を失っていたし、俺もぼんやり部屋の景色を眺めていた。
「こらー助手っ。私を置いて勝手にこんな事するから危ない目に遭うんだよ。これに懲りたら次からちゃんと誘ってね?」
「…………明衣。お前、いつから気づいてた?」
「それは貴方の隠し事の事? それとも真相の事? そういう話は後日するべきだよ。今は真千子ちゃんを家に帰さないとね。これは相談箱とは無関係に、貰い事故みたいなものだからさ」
「……?」
明衣に導かれて外に出る。引きずり込まれた世界とは違って、夜には喧騒が満ちていた。往来する様々な車に、飼い犬の散歩をする男性、飲み会か何かを終えてべろべろに泥酔した女性と、大人になるにつれ、夜は恐れる時間より遥かに騒がしくなる。
ある意味、安全な時間帯だ。
「七不思議もそうだけどさ、噂が怪異を造る事もあるんだよね。多分『かがみしめし』は元々なくて、あのお化けが最初に居たんじゃないかな? ただ何でも教えてくれる『かがみしめし』として独り歩きしすぎて、その性質も獲得しちゃったみたいな。分かんないけどね。でももういないから、真千子ちゃんに付き纏う誰かさんはいない筈だよ。私の推理が合ってるかどうかは分からないし、興味ないかな。もう事件は終わったし」
「………………俺はお前に助けてもらっておいていつも悪態を吐く。今も感謝をしたくない気持ちで一杯だ。自分でもとんだ恩知らずの自覚はあるが、それでもお前は助けるよな。それは、何でだ?」
「うん?」
明衣は振り返ると、俺の両手を握って首を傾げる。
「誰かを助けるのに理由は要らない。ごめん、違った! 貴方を助けるのに理由は要らない。だって、助手だからね」




