死なず殺しの約定
犯人は無事に制裁を受けて一件落着……?
いいや、事件はまだ終わっていない。
「はー、疲れた……少し寝よっかな。やっぱり歌うのって疲れるよねー…………スー」
「寝るの早すぎだろ……」
だが都合がいい。カラオケボックスを後にして、俺は携帯に入った通知を改めて確かめた。
『たすてください』
文字を完璧に打つ暇がないくらいのメッセージ。ずっと気にかけていたが明衣が傍に居たら確かめようにも確かめられないと思って俺も気が気でなかった。カラオケで疲れて眠ってくれたのは実に好都合だ。おだてて歌わせ続けた方が一番早く終わると思っていたから、ある意味で俺の作戦勝ち。これで音痴だったら聞くのも堪えがたかったが、残念ながら音痴は俺の方で。
喜ぶのは明衣しか居ない。心も腐っていれば耳も腐っているのだ。
『大丈夫か?』
メッセージに既読が全くつかない。これは悠長に返信を待っている場合ではなさそうだ。俺もすぐ反応出来た訳じゃないから、事態は予断を許さなくなっている。
『もしもし鬼姫さん! 真千子から助けを求めるメッセージが慌ててやってきました。もう三十分経ってます!』
『はあ? 郷矢君よお、お前が一番早く反応してやらないでどうすんだよ」
「あのお気楽泥酔探偵が近くに居たら触れねえよ! アンタとの関係が明らかになったら大変だ!」
「泥酔? おい、未成年だろうが」
「物の例え! アイツ雰囲気酔いしやすいからな!」
別にそんな事しなくても酒くらい飲もうと思えば飲めるだろう。未成年飲酒をしたとして、誰が彼女を咎められる。
「そんな事より、手を貸してください! 探さないと!」
「まあ落ち着け。未慧の奴がご飯食べてんだ。そんな時間経ってんなら慌てて探すより方針を考えた方が良い。いつもの公園で待ってろ。すぐ向かう」
「お願いしますね、本当に!」
明衣を傍に置かずどうやって移動するか。雨が降っているからこそ殆ど禁じ手とも呼べる方法が残っていた。それは野生動物のように平然と住居侵入を繰り返し、本来の道路を無視して直線で目的地まで突っ切る事だ。俺のNGは障害物の有無を問わず、単純な距離で判断している。でないと部屋に遥が居ない時点で破ってしまう。
だから単純に、人がいるであろう私有地に侵入を繰り返せばNGを破る事はないという考え方だ。雨が降れば外の人通りは減って代わりに室内に溜まる。世の中に絶対はなく、また何度でも言うがNGの詳細な仕様は誰一人として理解出来ていない(駄目か大丈夫かを探ってる内に必ず死ぬ為)から、運が悪いと破ってしまうかもしれないとして。それでも明衣を抱っこしながら行こうとは思わなかった。
一人で行動する事こそが、正に最大のリスクだ。
いつでも死ねる。
いつでもそれは隣にある。
この賭けに勝てば結果がどうあれ一時的に俺のNGは不明瞭になるし、負けたらそれまでだ。真千子にそれをするだけの価値はない。語弊を招く言い方だが、それは紛れもない事実だ。彼女とは恋人でもなければ友人でもない。愚かにも相談箱に案件を入れてしまい明衣を元気にしてしまった戦犯まである。
それでも、死んでいい人間じゃない。
俺が守ると言ったら守らないと嘘だ。真千子は俺を頼ってくれたのにその期待に応えないのか? 誰か一人すら守れないなら助手をやっている意味なんてない。そんな手綱は握っていないも同然だ。
「…………って、俺が後から来るパターンってありですか?」
公園には既に二人の姿があり、極限状態に置かれていた精神が一転、気の緩んだように溶解した。無駄に広く雨も降る中、滑り台の所で待つのはリスクが高いと思っていたのだ。だが傘なんて差さずに突き進んだから流石に体が寒く、どうしたものかと悩んでいた。
「ま、私はお前のNGを大体理解してるしな。危ない橋を渡ってきたようだが……誰かを助けるのに深い理由なんて要らねえわな。状況を聞かせろ。簡単に」
「えっと…………ストーカーについては解決してない! 本来俺達が相談を受けてた方の案件は無事犯人を引き渡して解決した!」
「おお、ざっくりだな。成程、ストーカーとはまた別件だった訳か。家に撒いてみた塩は私も確認したが、ありゃ怪異というより呪いだな。怪異だったらあの塩はもっと崩れてる。入ろうとして、踏むんだよ。ただ黒ずんでるだけなら間違いなく呪いだ」
ずぶ濡れてみすぼらしい姿を見かねたか、鬼姫さんは傘を開いてわざわざ俺の隣に立った。未慧は俺の隣も嫌でかといって濡れるのも嫌なのか滑り台の下でずっと佇んでいる。
「かがみしめしですか?」
「ありゃ……違うだろ。確かに呪いは呪いになるかもしれないが、行った事があるだけでじゃあそこで呪われたなって発想がそもそも間違いだったな……まあこれも、語弊があるな。あれから少し調べてみたんだが、真偽不明の情報として一つ興味深いモンがあった。かがみしめしが教えてくれたことに対して否定してしまうと、人間様の瞳と鏡で合わせ鏡になって、身体に色んな幽霊が沢山入ってきちまうらしいぞ」
「色んな……幽霊?」
「そうさ。同じ所にいたなら二人共きっちり呪われてたんじゃねえのか。あの塩の黒ずみ方といい、特に手は出してこないのに至る所で目撃される恐怖の対象といい、真偽不明の情報も相当信憑性が上がってきたな。そりゃ話が別っこでも紛らわしくてしょうがねえよな。そっちを解決しない事には切り離せなくてよ」
「それが真実だったとして……真千子は何処に?」
「因みに自宅は私が見てきたけど、いなかった」
「お嬢の言う通り、姿はなかったな。電気は点いてたから家族は居るんだろ、二階の窓は開いてて連れ出された……分かるのはそんだけだ。だが丁度いい怪異が居る。そいつに聞いてみようじゃねえか」
鬼姫さんは目的の方角を指さして、俺の肩に手を回した。
「鏡よ鏡よ鏡さん。朱砂野真千子の居場所は何処ですか~ってな」
鍵は開いており、中に入る事は容易だった。ならば真千子も中にと思ったが、そこは違う。相変わらず埃っぽい部屋と、空っぽの空間が広がっているだけだ。俺達は雨宿りをしに来たんじゃない。探しているよりもまず、目的の鏡へ向かわないと。
「思うんだがな」
にわかに、鬼姫さんが独り言のように話し出した。
「浮気を苦にした男が死んだ。それに引きずられたかなんだか無関係の女が死んだ。二人は同じ死因だったっていう話と『かがみしめし』に辻褄が合わないと思わねえか?」
「鏡の中の自分を見つめて死んだとかでしたっけ。それくらいなら別に、だって鏡だし」
「憑りつかれるって話を聞いたのはその後だ。だが憑りつかれたらイコール即死なのか? 私の考察によると『かがみしめし』は単独犯じゃない。セットになってる奴がいる筈だ」
「セット? 『かがみしめし』を餌にしてる本命が居るって話ですよね」
「ああ。それ自体は別に危険性があるとも思えねえからな。浮気を苦にした男ってのも、これを知ってたなら浮気相手が誰なのかを教えてほしくて来たんじゃねえかと思ってみた。そこで何かがあって死んだ。憑りつかれて死んだなら真千子って女の死体がそこにある筈だが……やっぱりないよな」
鏡は俺達を待っていたように布がどけられている。誰がやったかなんてのはこの際どうでもいい話だ。俺には使うのも憚られるような最終手段がある。自分という人間がとことん嫌いになりそうな卑怯な手段だが、真千子を助ける為ならそれこそ手段を選ぶ暇なんてない。
「かがみそのみにしめしてあかせ。かがみよわたしよかがみのきみよ、わがみをうつしこたえたまへ」
「朱砂野真千子は何処に居る?」
反応なし。
「彩霧明衣のNGは?」
反応なし。
「答えない事が回答になると思ってんなら大間違いだぞ『かがみしめし』。さっさと俺を呪ってみろよ。呪って俺を殺してみろよ。誰でも来いよ、ほらやってみろよ」
拳を握り締めて、鏡の表面に軽く当てる。
「お前を今から破壊する。お前の噂なんてそもそも最初から存在しなかったってくらい派手に壊す。壊されなくないならさっさと真千子の居場所を教えろ」
「おい、呪文はそれで合ってるのか?」
「明衣が呪文を間違うなんて事をするとは思えません。そんな悪質な怪異だったら反応しないのは揶揄ってるんですよ。困ってる俺を見て嗤ってる。ほら」
鏡の先で。
俺が嗤ってる。
たまらず拳で鏡面を叩き割ると、映っていた俺の顔から表情が消えた。
「呪いだか死人だか怪異だか知らないが、明衣一人どうする事も出来ない雑魚が調子乗ってんじゃねえよ。鏡に! 閉じ! 籠って! ないで! 出てきやがれ!」
何度も何度も拳を打って叩き割っていく。叩き割って、破片が床に散らばっていく。破片に視線を落とすと、映りこんだ俺の顔が全てこちらを向いていた。そして一つ、全く違う顔が。
「ほら、いた」




