昏き神託
「本当にごめん。毎日遥を連れ回して」
「お、おう? 俺達は別に気にしてないぞ。なあ?」
「そうねえ。NGの為には仕方ない事なのでしょう? 貴方の為でもあり、遥の為でもあるから。その気持ちを持ってくれてるだけで十分。さ、朝ご飯を食べましょう」
多くは部屋で朝食をとる為、家族団欒が随分遠く懐かしいように思える。全員が全員のNGを知っている空間こそ、この世界で最も安心するべき場所だ。ここなら俺も気を張らないでいい。いつぞや言ったかどうか、もし遥に好きな人が出来たなら、自分のNGを教えても大丈夫な人と交際……出来れば結婚するべきだ。NGを教えたにも拘らず別れてしまったら、お互いに高潔ならいいが、リベンジポルノという次元の話ではない。文字通り命に関わってくる。NGを先に破らせたモノが勝つとか、血みどろの争い待ったなしだ。
そういった事情があるから遥を誰かに気安く任せられないし、かといって俺の傍にも居てほしくない。本当にNGは難しい。お互いに隠し通したまま幸せになるなんてのは、不可能だ。じゃあ隠し通したとして、いつか不仲になって頭にNGについての考察が過ったらどうする。犯罪としては取り締まれない以上、やる人間は生まれてくる。こんなお手軽な完全犯罪、やらない方がどうかしてるとまで言いたい。
人は生まれながらにして悪だ。自分に取って都合が良ければ簡単に悪い事も出来てしまう。ルールとはその悪性を抑止する為の枷であるから、今日の社会がある。ルールが悪性を助長するなら正にその通りになる。
―――俺は後者に当たるな。
明衣の助手というだけであらゆる犯罪が許容される。クラスメイトが全滅する現場に居て尚、逮捕されなかった。町に放火してもそれは変わらなかった。俺の悪性は明衣が助長している。それを自覚しているから、まともでいようと自分の正気を意識して保つ。
そういう意味ではこういう団欒は、NGを全員が知っていて破らない前提が守られる空間はとても大切だ。
遥は相変わらず、喋れないけど。
「どれくらいで終わる予定なんだ?」
「もうちょっと、だと思う。今日こそは連れて行かないようになればいいけど。本当に参っちゃうよな。俺のNGがクソすぎるばっかりにさ。明衣が傍に居るなら、まあそれだけでもいいけど」
「……俺達にはどうする事も出来ん。すまないな」
「いいんだよ。明衣は俺が抑えとかないと。何するか分からないし」
今日くらいは遥と話さない方が両親のどちらかと会話出来て良かったかも。いやでも、難しいか。同じ部屋で眠っている事が多いし、起きたら毎日挨拶してしまう。それで条件は満たされるから、最初から同じ部屋に居ないくらいじゃないとどうにもならない。
家族の事を考えている間だけ、俺は自分が普通の学生であると思い直せる。気を張る必要なんてない。ほんの数十分だけど―――俺が幸せを論じるなら、こういう空間を何処でも作ってくれる人と一緒になりたい。
引っ搔き回して首を突っ込んで、人の消耗も知らずにあちこち飛び回る犯罪者よりも犯罪者な傍迷惑探偵なんかではなくて。ああでも、分かっている。俺は幸せにはなれない人間だと。明衣のNGを暴いて殺す事を本懐とする人間がそれを願っちゃいけない。
呪いだ。自分でも分かっているし、呪いくらい上等だ。
郷矢乃絃は幸せになってはいけない人間である。
端からここには地獄しかないと思えなかったら、明衣を殺す事なんて出来ない。
「俺はそろそろ学校行く準備するよ。そろそろ明衣が来ると思うから」
誰かに寄生しないといけない人生なんて御免被るが。こうでもしないと生きられない。先に部屋に戻って制服に着替えていると、窓にふんわりした物体がぺたりと当たった。
「……来たか」
明衣が来ると言ったが、それは嘘だ。やるべき事がある。明衣が来るより前にあらかじめ呼んでおいた。重い制約を課された俺が能動的に動くならこれくらいしないといけない。彼女には申し訳ないと思っているが、でも頼るしかないのだ。それで俺のNGがバレたとしても、そのリスクを踏まえて尚頼るしかない。
窓に当たったのは正方形に折り畳まれたハンカチだった。確かにこれなら音で俺が気づくし、窓が割れる心配もない。顔を出すと、日入真子が控えめに手を振って迎えの知らせをしていた。
「悪い。お前しか頼れないんだ」
「……い、いいですよ。先輩が頼ってくれるなら……」
真子は既に終わった事件の関係者。目立たないようにさえすれば明衣の視界に入る事はない。
真千子の家の付近に塩を撒いたそうだが、一体どんな風に使ったのか純粋に興味がある。『かがみしめし』については少し気になる事もあるが、それは侵入思考にも似た些細な疑問に過ぎない。今はそれよりも彼女が怪異に目をつけられてるのかどうかだ。
「塩っていうと、この盛り塩がそうですよね?」
「やっぱりこういう風にやるんだな。俺はもっと、振りまくのかと思ってた」
「それ、ただの近所迷惑です……」
本人に無断で何か所も置いて、これ自体がある種嫌がらせではないかと思えてきた。後で回収する予定がないと、また俺に相談されそうだから困る。所でこれは、何がどうなったら怪異に対する反応があったという事なのだろうか。勝手口に置かれた塩には何の変化もない。やってる事はストーカーと一緒だが家の外周をぐるりと回って塩を確認。
「せ、先輩。あの。屋根……」
「屋根?」
二階の窓近くを見遣ると、盛り塩をされた皿が置かれていた―――いや、それを塩と認識したのは正直、盛り方と皿を見た。真っ黒く積もった物を見て、誰がそれを塩だと考えるだろうか。改めて他の塩を見て回ると、後ろが少し黒くなっていたり、根本が黒ずんでいたりと、状態は様々だった。本当にただ白いのは勝手口の所にあった塩だけで、他には全て説明しようのない反応がある。
「…………これは目をつけられてるとみて間違いないんだろうな。でも俺にはそれくらいしか分からないけどな。岩垣の方は……まあ埋められてるから関係ないか。アイツの所に行くって事は明衣の相手をするって事だ。怪異の方もそんなリスク取りたくねえだろ」
「う、埋められてる……? 隠語ですか?」
「文字通り地面の下に埋められてる。重要参考人としてな。良かったな日入。お前はもう終わった事件の存在として扱われてるからそんな事にはならない。アイツがどんな結末を迎えるかはまあ、俺にも分からないな。事件が解決しても閉所恐怖症待ったなしだ。人間、埋められる経験なんてそうないからな」
「…………お、お化けが戦いたくないってのは、その。先輩なりの冗談ですか? そういう理性的な感覚があるとは思わないんですけど」
「いや、信じてるんだよ。実際、アイツはNGで怪異を殺害してる。原理は分からないけど、どんな異常存在もアイツに関わったら碌な目に遭わない。意図的に避けられてるから遭遇出来ないんだろうな」
「も、もし彩霧先輩を殺せる存在が居たら……?」
日入の目を見つめて、それはないと否定する。自信と覚悟と諦観と―――己の腐った矜持を以て。
「そんな奴が居たら、明衣を殺す前に俺が殺す。どんな手段使ってでもな」




