明星衣想の戯れ
「よお坊主。夜にお姉さんと逢引きなんざ不良だねえ。親が悲しむぜ」
「どういうテンションですか?」
「鬼姫さっきまで酒飲んでた」
真千子を無事に送り届けたなら一日を締めくくるのは鬼姫さんとの情報共有だ。とはいえ学校内の事を部外者に任せる訳には行かないから、特別指示はしない。この人も「任せとけって」とだけ言って離れてしまったし。
手にしているのは瓢箪で……正直実物を始めてみたが……何が入っているのだろう。あれを水筒として使っている人なんて今日日見ないけど、趣はある。中の水が染み出して気化熱を奪う事で低温を保つなんて仕組みを知ったのはつい最近の事だが、そういう風情を理解出来る人とは正直思っていなかった。
「タバコ吸って、酒飲んで、模範的な駄目大人ですね鬼姫さんは。後は賭け事ですか。コンプリートしてもお祝いとかないですけどね」
「命は懸けてんぞ?」
「そっちじゃなくてね………それで、一々妹を連れ回すのも申し訳ないので、そろそろ本題に入りましょうか」
「なんだ? いつも連れ回してるんじゃねえのか?」
「いつも連れ回すのと、連れ回してる事に罪悪感を覚えなくなるのは別の話ですよ」
回数は、人から有難みを奪う。妹が居なければ俺はNGを守る手段が一つ減る事になる。その気になればしない事は可能だが、大切なのは人が離れないという確信であり、当たり前と思うようになったら人間として一つ、腐る。
「はあ、そうかい。色んな意味で振り回されて妹ちゃんも大変だねえ。おっと、本題か。そうだな。まずお前達が学校で遭遇したらしい見つめるもう一人の誰かについて調べてみたよ」
「ちなみに学校にそんな噂はないっぽいです。当たり前ですけどね」
「学校ならそもそもその真千子って女と岩垣って奴だけには限らねえだろと思ってな。別にこれは怪異でも怪談でも何でもそうだがな。縁もゆかりもない人間を襲ったりはしねえだろ。口裂け女が居もしねえ場所のAさんを殺さねえだろ。そもそも学校の線はない。お前とあのクソ探偵には何もないからな」
お化けの方もあんなクソ女はご免だろう、という皮肉は控えておこう。それに同意してほしい訳でも否定してほしい訳でもない。単に口をついて出る憎悪みたいなモノだ。
「ってな訳で、今から現場に向かうが、大丈夫か? こういうのは私から説明されるより、行って確認してみた方がいいだろ。妹ちゃんはお家に帰してくれてもいいぜ。危ない目に遭うかもしれねえぞ」
「…………」
遥との会話を他人が勝手に聞く分にはNGを破らない。それと話に混ざっている判断を何処で下すかは不明だ。だけど念には念を入れて、会話はしない方向性で行く。妹は「私もついていく」という意思を見せて、俺の手を握った。
「大丈夫らしい。案内お願いします」
「…………勇敢だねえ。そういうのは私、嫌いじゃねえよ。さて、ガキが多くなってきたし煙草も少し辞めるか。もう十分吸ったしなあ?」
「…………私に許可とか求めないでいいから」
「未慧嬢はご機嫌斜めか。それじゃあガキども御一行出発だ。安心しろ、そんなとおかねえよ」
鬼姫さんは吸っていた煙草を吸い殻入れの中にしまうと、懐中電灯を片手に公園を後にした。俺達はそれに続くように並んで歩く。
―――夜の街か。
昔は理由もなく怖かったけど、故郷に比べればここばあまりに灯りが多くてちっとも恐ろしくない。昔の俺がこんな街に住んでいたらと思うと―――それは無意味な想定だけど、あそこまで怯える必要はなかったのかとも思える。
「ちなみに概要を聞いても?」
「心霊スポットのか? 浮気を苦にした男が自殺したんだよ。それに引きずられたのか、その何年か後に女が死んだ。偶然だって思うか? だが同じ場所で同じような死因だとしたらどうだ?」
「ていうと?」
「鏡の自分を見つめながら死んでった……とか何とか。現場に居た訳じゃねえからそんな風に言われてるだけな。そら、もうすぐ到着だ」
ニ十分程歩いただろうか。こんな住宅街に心霊スポットがあるなんてちっとも思わなかった。
「通称『かがみしめし』。元々は普通の民家だ。家出少女にしろ無職にしろ、元々民家だった場所に足を踏み入れて死ぬのは、まあ変だろ」
廃墟となった民家の鍵をどうして鬼姫さんが持っているかは聞かない方がいいだろうか。元々が一軒家である為、中に数人はいるだけで手狭に感じる。それほど広い家ではなく、本当に普通だ。部屋は廃墟にしては散らかっておらず、だが電気も水道も止まっているせいで散らかりようはそのままだ。使われていたであろう茶碗や箸が台所に溜まっている。テレビは旧式であり、見るからにデジタル放送を受信しないだろう。
「壁に血痕がある訳じゃない……元々ここは何で廃墟に?」
「それが分かったら苦労しねえな。何か起きたような、起きてないような。警察に知人が居ても限界はあるんだわな。だがそれは関係ねえだろ。『かがみしめし』はある種のおまじないらしい。二階の…………あーこれだな」
狭すぎる階段を上った先にあったのは大きな姿見だ。洋服店や靴屋で見かけるような、人一人問題なく映せる縦長の鏡。埃や汚れでくすんでいるが、わずかな反射がそれを鏡だと教えてくれる。指で表面をなぞると、その部分が綺麗に映った。
「これに……何か呪文を唱えると鏡の中の自分が教えてくれるらしいな。私が聞いたのはそれだけで、やっちゃいけない事は…………教えてくれた事に違うって否定する事だったと聞いてる。それをするとどうなるかは知らねえし、伝わってないのもまあ怪談としちゃ定番だが」
「それをやったから真千子と岩垣は悩まされてるって考えになりますよね。でも……うーん」
本当にそうだろうか。
真千子の人柄を深く知ってはいないが、元カレに追い詰められた程度であそこまで気弱になる人間が堂々と禁忌を破る真似をするとは思わない。それに禁忌と言っても、まだ指を差しながらそれとなく付き纏われているだけだ。
「これって、鏡を割ったらどうにかなりますか?」
「そりゃ名案だ。トイレの花子さんはトイレを爆破したらどうなるのかってくらい素晴らしすぎるな。やめとけよ。私はそういうのに賛成しねえ。割ったところでお前が付き纏われるだけだ。そういうパワープレイじゃなくて、どうすりゃ付き纏いをやめるかを考えよう」
「鬼姫。アンタが調べたんだからアンタが知んなきゃ無理でしょ」
「そりゃそうだ…………だけど今日はもう店じまいだな。そうだ、最後にその真千子って女の家を教えてくれよ。家の周りに塩を盛っておいて、どのくらい影響が強いか見てやるさ」
「それって……」
「効くさ。市販の塩なんか使わねえよ。それとも郷矢君はあれか、こんなモン相手にしてる癖に塩は馬鹿らしいって思うタイプかい」
そんなつもりはない、と否定する。とても個人的な理由で俺は疑問符を浮かべていただけだ。この件とは全く関係ない、昔の話。鏡を見ると、俺の姿がぼんやり映っている。服の袖で埃を払うと、今度はきちんと俺の顔が映った。笑っている。
「……………………誰だ、お前は」




