埋葬された記憶
世の中バカげている事ばかりだ。
しかし幾らそれを嘆いても何も変わらない。明衣という歩く災害みたいな女に対して罵詈雑言を吐き捨てても、彼女は決して死なないし、その挙動が変わったりもしない。重すぎるNGに生き辛さを感じても、それは人間にとって第二の死因なので嘆く事すら許されない。誰でもとは言わないが、罪に問われないのなら人を殺したいという人間は確実に存在する。NGはその感情に寄り添う究極の手法である。
「乃絃君って、そんな風にノートとったんだっけ」
「…………」
幾ら自分たちを探偵と呼称した所で実際の身分は変わらない。一介の学生は授業を受けるのが当然の道理だ。明衣も特別な事情がない限りはちゃんと従っている。こんな風に声を掛けてくるのも授業が終わってからの事だった。
「人様のノートにケチつけるなよ。確かに学校は人材の均一化みたいな側面もあるけどな。勉強にだって適性があるんだ。ノートに手を付けてる内に授業が耳からすっぽ抜けて何もかも聞き逃すタイプも居る」
「貴方は違うでしょって話をしているんだけど?」
授業は国語だった。物語を場面で切り取り、その解釈を考えるような内容だったと思う。明衣のノートを見れば傍から見ても授業内容は想像もつくだろうが、俺のは…………その時黒板に書いてあった情報量を半分減らしたような感じ。
―――確かに授業は聞いていたつもりだ。
だからこれも意図的にそうしたんじゃない。気づいたらこうなっていた。気のせいと思わないのは、比較に挙げられる明衣のノートが教科担任の発言と黒板の記載内容で別個に記録されているからだ。それも黒板自体の内容からは大きくかけ離れているが、自分なりに分かりやすくまとめているという事ならこれ以上はない。
教師にだって黒板に記す情報の取捨選択が苦手な人も居る。
「…………ちょっと、考え事をしてたんだ。カメラ映像を見て、色々な。一筋縄で行かないのは困る。余計な事を色々考えて、授業に身が入らなくなるからな」
「授業より依頼の方が大事な気持ちは偉いけど、あんまりお粗末でも駄目だよっ。助手が補習とか受けるようになっちゃったら、ちょっと私も困るからね。大きな発見はあれからあった?」
「流石に一夜の探索じゃ何とも。これで結論を出せたら良かったんだけどな。そう簡単に行かないからバスケ部の奴も困ってたんだろう。お前の方は?」
「私も全然だけど、怪異が関わってるのは概ね分かったよ。タイムリミットがなくて安心してる部分も少しはある。これで呪いのビデオで三日以内に死ぬみたいな状況だったらもっと焦らないといけなかったし、多分私も授業を聞いている場合じゃなかったかも!」
「何で楽しそうなんだよ」
「多分それが私の所に来るとしたら、大事件だから!」
心配こそしていないが、少しはこの悪徳探偵にも道徳や両親があったのかと錯覚した俺がバカだった。いやいや、本当に全く愚かな話。こいつにそれは微塵も期待していないのに。
「取り合えずバスケ部の先生にはもう話は通してあるから、また放課後に訪ねてみよっか。練習を邪魔しないなら居ていいってさ。まあ、ダメでも調べるけど」
「仮に練習中に館内に入るとしたら入れるのはステージとギャラリー……っていうには狭いキャットウォークだけか。外は別に部活とも関係ないし、あまり問題はないな。何か新しい情報があるといいけど……真っ先に確かめたいのはストーカー被害についてだな。そこには確実に進展がある筈だ」
岩垣先輩だったか、あの人は明衣に重要参考人として拘束もとい生き埋めにされてしまった。都合のいい時に掘り起こされ、都合が済めばまた埋められるのだ。もしかしなくても犯罪だが、警察は明衣を取り締まれない。だから彼の保護者は、きっと彼は行方不明になったのだと心配していることだろう。もしくは……明衣が事情を説明しに行って理解したか。
ともかく生き埋めにされているので、真千子には変化がある筈だ。ないならないで構わない。それは現実的、物理的に考えてあり得ない状況なので方針が定まっていく。それでストーカーと電話の被害がぱったり消える様ならそれは間違いなく本人の仕業とは断定できないが、その可能性は極めて高いと言わざるを得ない。
解決したら今度は岩垣先輩の方の謎を解く番だ。絡み合った謎を一斉に解こうとするからややこしくなる。切り分けていくことが重要。
チャイムが鳴った。
「休み時間、小学校の頃はもっと長く感じたなー」
「……ドッジボールは好きじゃない。俺がいつも負けたからな」
次は日本史の授業か。別に好き嫌いはないが、今度も集中出来るかは不安だ。俺には色々と、考えなきゃいけない事がある。
―――日入の様子を見に行くか。
今回の一件とは全く関係ないが、アフターケアは終わっていない。あれ以降、上手く生きていけるといいが。
日入真子はあれから平穏な日々を過ごしているようだ。傍から見るとそういう風には見える。イジメなんかも受けていない。それでも心の傷が尾を引いているのか、それとなく影が出来てしまっている。
あんまり見かねたから、昼食に誘ってみる事にした。明衣には勿論、単独で調べると嘘を吐いて。
「せ、先輩。今日は……お日柄も良く……」
「何でそんなにかしこまる。雨が上がったんだからそりゃ天気もいいだろ……特に深い意味はないから緊張しないでくれ。様子を見に来ただけだから」
「は、はい……有難うございます」
屋上は使えず、かといって一年の教室に堂々と入り浸るのもどうかと思って多目的教室を借りた。男女が密室で二人きり……何も起きない筈はないが、何か起こしてしまうとまた明衣の興味を引いてしまうので、何もする予定はない。助けた事をダシに交際を持ちかけるなんて論外だ。間接的に殺人をしていると言っても過言ではない。
大切な人なんて、作らない方がその人の為。
真に幸せを想うなら、そんな人が現れたとするなら。俺はその人と関わらない方がいい。
「最近は大丈夫か? さっき様子を見させてもらったけど、やり取りがぎこちなかったぞ」
「………………いい子だって話を小耳に挟むのが苦手なんです。わ、私は先生を殺したのに……殺しちゃったのに、いい子なんて、そう思われる資格は、なくて。私、わた、わ、私……………うぅ……」
「何度でも言うぞ。お前のせいじゃない。悪いのは唆したアイツだ。差別がなくならないように、誰かを憎む感情もなくならない。殺したいという気持ちは法律があるから侵入思考で止まる。けどNGは法律じゃ取り締まれない。科学的な因果関係を証明出来ないからな。そうだ、お前は唆されただけだ。俺だって殺したい奴を殺して咎められないなら殺すさ。ましてお前の被害は……相手に殺意を持っても仕方ないと俺は思う」
最悪な要素の積み重ねは、人がどんなに善であっても間違いを引き起こす。日入真子の悲劇はそれで終わったが、日常には重い代償がのしかかってしまった。法律で取り締まられないという事は、誰も彼女を罰しないという事。まともな教育を受けているなら、そこには良心がある。自分を許せる日が来るまで、終わらない罪の裁きを彼女は永遠に受け続ける事となるのだ。
そして残念ながら、自分を許せる日なんてのは到底来ない。
俺が明衣の大虐殺を止められなかった時のように。
「友達を殺したいなんて思わないだろ。あんなのは幻想だ。お前は……まだ戻れる。だから……なんていえばいいんだろうな。済まない。何も思い浮かばないんだ。お前にはもっと元気になってほしいけど、あんまり慣れてない」
「…………せ、先輩の事、聞きたいです」
「……俺の事? 話しても楽しくないぞ、絶対に」
「い、いえ。楽しいとか楽しくない、とかじゃなくて。私、は。先輩の事を知りたい。はい、知りたいだけ……です。引っ越してきたってどこかで聞きました。ここに来る前の話は……駄目、でしょうか」
「駄目じゃないが、嫌な話をする事になる…………まあ、この話を聞いてお前が自己肯定を持ってくれるならいいか。自分はまだマシだと思ってくれるなら、どうぞ俺の思い出なんて足蹴にしてくれて構わない。まず結論から言おうか」
「俺は昔、明衣に小学校の同級生を皆殺しにされてる。各々のNGで死んでいった事を確かに覚えてる。そうなる前は―――今にして考えてみると、俺はイジメられてたかもな。その、死んだ奴らに」




