神聖なる真実の明衣路
「…………いない」
「本当に朱砂野真千子がここに居たの?」
「こんなどうでもいい所で俺を疑うのか? 怪異なんて居ない方がいいに決まってる。詳しくない奴を相手にするのは……そうだな。その国の事を知らないのに外国人の相手をする様なもんだろ。文化を知らないから何か無礼をする。言葉を知らないから意思疎通出来ない。相手しないならそれに越した事はないよ」
「貴方を疑ってるというより、単純に疑問を投げただけだよ。乃絃君は私の大っ切な助手なんだから疑う訳ないじゃん! 嘘なんて吐かないもんねっ」
「まあまあ吐いてると思うけど」
「でも結局私が事件解決出来てるなら大した嘘じゃないよね。所で私は真千子ちゃんが居ない事を聞いたんだけど、どうして怪異だと思ったの?」
「ここは渡り廊下だ。左右どっちかにしか行けない。窓から飛び降りたにしても、全部鍵がかかってるしな。外に出ながら内側のクレセント錠を閉められるギミックなんて用意してる内に間に合うから絶対にない。俺はお前に反対側からここに集まるように言ったけど、道中遭遇しなかったんだろ」
「うん。そうだね」
「じゃあ俺がさっき見た真千子に関しては怪異と考えていい。本人がここに来る理由もなければ―――」
正直に言おう。俺は気が動転していた。
怪異とは俺にとって未知に等しい存在だ。明衣が多少殺したからってそれは変わらない。理解度という点においてはまだまだ未熟である。だからこそ真千子を見た時は顔にこそ出なかったが慌てていたし、その指は間違いなく俺の方へ向けられていたから、敵意があると考えた。強い殺意を感じた。
NGとは死亡条件。ペナルティが死である事を誰もが知る故に破ったらどうなるかなどという試行は稼げない。死であるが故に偽装しようにも難易度次第では本来の条件を避ける動きをしてしまう。俺であれば、明衣もしくは同伴者と離れないように動く。普通は。
だからか? 自分からNGを破るかもしれない行動に出るなんて。
幸い俺は死ななかった。結果が全てだというなら考察がまとまって良かっただろう。だが一歩間違えば死んでいたのだ。ただ合理的に解釈したいが為に俺は危うく条件を破りそうになった。何故破らなかったのか。それは二つに一つ。
・学校の範囲はNG的には『離れていない』判定だった。
・俺が通った道に誰かが居て、中継地点のようになっていた。
これを検証する日は永遠に来ない。失敗したら死ぬからだ。話していてそれに気づいたから、喋るのを止めた。
「どうかした?」
「…………思考が並列で動いててダブったからちょっと止まっただけだ。本人がここに来る理由もなければ俺達を探す理由もおちょくる理由もない。確かに俺達はお前の希望が残ってないタイプのパンドラ相談箱にこれが来たから調査してる。けど夜にここに行くなんて話はしてない。だからあり得ない」
「そう。貴方はそんな風に考えるんだね。私はそう思わないよ。理由がないというのは、私達に見えてないだけかも」
「不審者に怯えてる奴が積極的な調査に乗り出すと思うのか?」
それはとんだ命知らずであり、彼女にそこまでの勇敢さがあるならこんな疫病神に縋るような事もなかっただろう。明衣への遥かなる信頼を以て断言する。人間誰しも二十面相にはなれるが、そこまで矛盾を孕む事は出来ないのだと。
「考えてもみてよ。岩垣先輩は真千子ちゃんにストーカーされてるって話を二人とも聞いたじゃん。事情を深くは知らないのかもしれないけど、電話もかけたんでしょ? 家に来てまで問い質したかったとするなら、当然電話でも事情を聴こうとしてる筈。つまり真千子ちゃんは自分とそっくりのストーカーについて知る余地があった」
「…………確かに」
「とはいえ、学校に来るのは不自然と言えば不自然だけどね。バスケ部の怪人と真千子ちゃんのストーカーはとりあえず本人の中では同じと考えられてる。家に帰ったんならわざわざ学校に来る意味もないよね。もし意味があるとしたら、今の情報だけだと乃絃君の仕事ぶりを見たかったとかかな?」
「―――真面目に聞いた俺がバカだった。どうして最後になって変な事言うんだ」
「結構好かれてるように見えたし、あんまり的外れでもないと思うよ?」
なんて明衣はふざけ散らかしているが、そんなのは吊り橋効果と一緒だ。そんな物は一時的というか、弱みに付け込んでいるに過ぎない。単純接触効果だったら話はまだ分かったのだが、俺達は今日知り合ったに等しい。明衣のせいで俺も有名にはなっているだろうが、それでも好意的な理由にはならない。
少し歩き回ったがやっぱり真千子はおらず、俺の中ではますます怪異の線が強まった。
「一旦戻ろうか。探すのがアホらしくなってきた。こんなの蜃気楼を追いかけるようなもんだ」
肝試しじゃあるまいし、こんな無駄な事をするより前にもっとする事がある筈だ。明衣は「えー」と不満そうにしているが、不意に人差し指を立てて、それを俺が来た方向へと向けた。
「じゃあ、今度はあっちの方を探してみようよ」
「お化け相手に何処探しても意味ないだろ。そういうのはもっと情報を集めてだな」
「こっちは乃絃君がやってきた方向だから、まだ探索しきれてないでしょ?」
屈託のない笑顔を浮かべて名探偵は俺の返事を待っている。全身の震えは隠せているだろうか。総毛だった体は鎮まる余地もない。心拍が異常に上がっていく。
「……言ってる意味が分からないぞ。お前は俺の指示通り反対側から来ただけだ。そういう意味ならこっちの校舎も探さないと」
「ほら、私って名探偵だから相手がお化けでも隠れてたらすぐ見つかるし。貴方はまだ助手だから未熟者! 私が付き添ってあげないとね!」
手を引こうとする素振りだけ見せる。行かないのかと尋ねるようにきょとんとして、その瞳は―――開き切ったまま、動かない。
―――こいつ、俺のNGを。
やっぱりバレているのだろうか。
いやでも、しかし。それはおかしい。日入のお陰で絶体絶命の状況をやり過ごした事がある。正真正銘、あれは幸運だ。予め仕込んでいた筈などなく、だがあれがなければ確実にNGがバレていた。一度例外を産んだからには大丈夫と安心していたのに。
NGはクソだ。こんな状況になっても俺のNGに気づいているのかどうかと尋ねる事も出来ない。何故なら気づいていない可能性もあるから。申告したらそれこそバレる。
「どうかした?」
「一々未熟扱いしてくる名探偵様に珍しく腹が立っただけだ。存分に気にしてくれ。反省しろ」
俺のNGがバレているかどうかについてはさておき、校舎内を探すのには意味がある。新しく傘立てに傘が入っていたとの事だから、誰かが来たのは間違いないのだ。ただの骨折り損にならないように再度確認もした。傘はまだあったから、誰かが居る。
「鍵は私が持ってるのにどうしてこんな見つからないんだろうね」
「……………明衣。この教室の鍵を開けてくれないか?」
「3ーF? 別にいいよ」
腰の辺りで鍵を挿して開けようとする明衣。鍵は少し手間取ったが、開錠された。
「はい、どうぞ」
「いや、中に用事がある訳じゃない。ただ露骨なピッキングの傷があった。他の場所も見てみればあるかもな。これで出入りしてる訳か」
「おお~。そういう事だったのか。凄いね助手! どうして分かったの?」
「てめえの調査の為にピッキングを何度もさせられてるからだよ!」
鍵屋でもないのにそんな事をするのは法律に引っかかるが、こいつは存在そのものが法律違反だ。歩く十八禁とか捕まってない詐欺師みたいな言葉遊びではなく、単に色んな罪を犯している。警察はこいつを取り締まれないし、必然こいつに加担させられる俺の行動も咎められない。
厄介なのは最初の頃、ピッキングに何時間もかかったが明衣は待つ事だ。それでようやく成功すると子供みたいに喜んで俺の頭を撫でてくる。それがうざかったから上達した。
「つまりここに用事があったんだ。中を探してみよっか」
「…………こんなところに何かあるようには思えないけどな。まあもしかすると、岩垣先輩のクラスだったりしてな」
「ねえ助手、相合傘って書いた事ある? こんな風にさ」
と言った時には既に完成していた。吐き気がする様な組み合わせを見てすぐに消したくなったが、明衣に止められる。
「消せ。お前は彼女じゃない」
「普通はこんな風に書くと思うんだけど、派生形ってあるかな。私の知る限りないんだけど」
「―――はあ?」
続いて明衣が不思議な相合傘を書き始めた。傘を逆さにして、名前二つが雨曝しに合うように書かれる。体裁は傘なのだから、これでは二人して傘を踏む異常者だ。
「これってないよね」
「……仮に作っても流行らないだろうな。まるで意味が分からない。相合傘は恋のおまじないだとか単なる惚気に使われる。お前は単なる俺への嫌がらせだけど、傘が逆のこっち。こっちを書かれても嫌がらせにすらならない。意味不明だからな」
「乃絃って私の事好き?」
「お前って人の話を本当に聞かないんだな。この世の誰よりも嫌いだ。どんな性格の悪い奴もお前と比べたら聖人に見える。そいつを崇め奉ってもいい」
「私も世界で一番貴方が好きっ。だからもし傘を書くならちゃんと書くよ。でも幾らなんでも傘本体には書かないかな。さっき違う傘があるって話をしたでしょ? あの時全部の傘を見てみたんだけど、なんと! 全部の傘にこんな感じの逆傘が書かれていたのです! びっくり!」
―――
「それを先に言えよ! 何の為のハンディカムだよ!」
「もしかしたら、流行ってるのかもって」
「流行るかこんなの!」




