無いモノに在るものを明衣名す
NGとは死亡条件だ。どうやって隠そうとしても死と隣り合わせのリスクを割り切れない。明衣の影響を少しでも取り除く為の発言も、よくよく考えれば己自身を助ける発言であったと間もなく気づいた。アイツが移動すれば俺はNGで死亡するリスクがある。誰かに守ってもらわなければ外にも出れないお嬢様という優雅さは欠片もないけれど、それくらい過保護に守った方が結果として俺は生き残りやすいのだ。
明衣のお陰で俺は自由に行動できる(明衣が居なければ妹をずっと連れまわしていたと思う)半面、それは生の楔になっている……自分でも生きていられるのが不思議なくらい重いNGだ。それがアイツのお陰なんて、口が裂けても言いたくない。
「明衣!」
「不審者とは遭遇した?」
「してねえ! ってかそれどころじゃねえ! 動いてないだろうな、指一本動かすな、呼吸するな。守ったか?」
明衣はその場で大きく両手を広げると、自分が両足をまとめて立っている事を強調した。
「言われた通り一歩も動いてないよ。助手なんだから一緒に行動しようってのはその通りだなって思って。私は名探偵だけど、か弱い女の子だからね。死んじゃうかも」
「おう、死ね」
「その様子だと私の安否が心配であんまり昇降口の観察はしてないみたいだね…………ふふ。こんな近いのに必死になってくれたのは、ちょっとだけ嬉しいかも」
明衣はほんのり頬を染めて、恥ずかしそうに髪を撫でる。そんな仕草をしても無駄だ。こいつの性根が人間とはおよそかけ離れた外道である事はこの世界で誰よりも俺が良く分かっている。悪辣な言い方をするなら、人間みたいに振舞うな。
他人に警告する際、コイツを見た目が良いだけの女と言う事もあるが正確ではない。見た目が良いだけの人間みたいに振舞ってる怪物だ。それくらいの気持ちで接するくらいが丁度いい。
「さ、助手も来てくれたし改めて昇降口に行こうか。貴方にとっては逆戻りする形だけど、改めて調べていこう。痕跡はそう簡単に消える筈ないよ。あ、私が見つけた痕跡見ておく? そっちの状況と合わせたら何か見えるかもね」
「確認しておくか……で、何処にあるんだ?」
「じゃあ連れてくねっ。何か気づいたことがあるなら言ってよ。推理材料は幾らあってもいいから!」
明衣は鼻歌を歌いながら軽いステップを踏んで俺の手を引いていく。体育館のステージ、左右のギャラリー二か所、階段の裏側。窓に近い場所は濡れていても理屈は分かるが、ステージは水漏れでもしていない限りは道も作らず濡れた痕を作るのは非常に難しい。階段の裏に至ってはそもそも人間が立てない。座るにしろ屈むにしろ、足二つ分くらいの面積しか濡れていないのは奇妙である。
「これは…………いや、なんとも言えないな。もし関連付けられても今は無理だ。後で探偵様と整理する必要がある。お前の方で撮影したんだろ? だったらもういい。戻ろう……因みに今は足音が聞こえないのか?」
「それが消えちゃったんだよね。もしくは私に聞かれてると思って足音を消したか。幾らちょっと耳がいいって言っても、慎重に歩かれたらそれだけでもう難しいよ。下駄とか、アヒルの鳴き声が聞こえたらわかりやすいんだけどね」
「ちょっとって次元じゃないけど……そうか。今も聞こえるなら二人で追い詰めればいいと思ったが無理なら仕方ない」
ハンディカムはさっきからずっと回しているが、意識はさっぱり向けていなかったのでどういう風に撮れたかは後の確認次第だ。昇降口の方まで歩いて戻ると、中途半端に開いたガラス扉であったり勢いよく閉じすぎてむしろ全開になった下駄箱であったり、どれだけ慌てて戻ってきたかの痕跡ならばっちり残っている。
明衣の心配なんてしていないので、これを当人に見られるのは甚だ癪である。「捜査の邪魔だな」と独り言ちて、手早く己の痕跡を消した。
「ふふふ」
「何笑ってんだよ」
「別に? ……足音はこの辺から聞こえたんだけど、ふうん。ちょっと手分けして探してみようか。私は現実的な方向から探るから、助手は怪異的な方向から探ってみてくれる? まだどっちにも確定出来ないもんだから仕方ないよ」
「まだ不満も言ってねえよ。怪異的な方向ってなんだ? 足みたいな形の血痕でも探すとかか?」
「違う違う。さっきの痕跡みたいに物理的に不可能な状態の痕跡だよ。その手のを探すには頭が柔軟でないといけない。私はほら、名探偵だからどうしても現実よりな思考をしちゃうんだよ。だからよろしくね」
私は反対側から下駄箱を見るから、と明衣は一時的に離れてしまう。このくらいの距離なら離れても大丈夫だ。最大で離れても問題ない。文句を言っても始まらないので言う通りに頭を柔らかくしてみようと思ったが、アプローチを考える前に何を見つけるかを決めた方がいいだろう。
物理的に不可能な痕跡とは何か。
床も壁も、その気になれば痕跡なんて幾らでもつけられる。ならば重力でも逆転させないとどうにもならない天井かと思ったが、こんな見上げれば一望出来るような平面なんて探すまでもない。明衣と話している内にでも見つけられただろう。
「…………」
一つ仮説を思いついた。怪異なんて話には詳しくないが、テレビで心霊映像を見るくらいの造詣はある。高層の空中にも拘らず人が立っている映像、見たことがある。人が入るスペースがないのに人が居る。目を離したら消える。それも見た事ある。
出来る出来ないより、人がそこに居る事を想定しない場合を考えたらどうだろう。例えばロッカーの中だ。わざわざ持ち込みでカギを掛ける人もいるのでその部分は開けられないが、下駄箱の中に痕跡を残すなんて人は想定しない。それが落とし物とかラブレターを探すんだったら話は別だが、今はそうじゃない。
「……明衣」
「ん? 何か見つけたのー?」
「痕跡が見つかったぞ」
下駄箱を上から順に開けていって、見つけた。足跡が一つ、二つ、三つ。内部の壁を歩くように、そして足を踏み出すように二段目と三段目を交互に。靴先と踵が中の壁からはみ出して屈曲しているが、これは人間にはつけられない足跡と見ていいだろう。
「下駄箱かー。他の部分も調べてみよう。こうなると怪異の仕業ってした方がいいかな?」
「それこそまだ早計だろ。事件の結論を今からまとめるようなもんだ。三日以内に結論を出さないと死ぬみたいな状態じゃないなら、まだ曖昧でもいいだろ。両方って事もあるだろうからな」
「そっか。私の方は何も見つからなかったよ。あ、でも傘立てが気になったかな」
「傘立てなんて、特に安い奴はみんな置いてくぞ。傘があるのが気になるとか言うなよ」
「最初に来た時にはなかった傘があるんだよね。しかも濡れてる。貴方の言う通り両方かもよ」
体育館は見通しがいいから、仮に人間の侵入者が居れば校舎の方に向かったという事だろう。怪異はともかく、人間は発見出来る。詠奈はまたも手分けして探すべきだと提案してくれたが、俺のNGに抵触する可能性がある以上、容認出来ない。
「名探偵様を襲う目的はないだろうが、知ってるか? 追い詰められた空き巣なんかは逃げ道を塞ぐと襲ってくるんだ。だから命が惜しいなら逃げ道は作るべきっていう。助手なんだから一応守るよ。仮に相手が逃げたとしてもな」
「………………!」
勿論いつかの時のように俺の知らない誰かが範囲内に居ればNGは破らない。だがそれを知る術が俺にはない。NGは人生と切っても切り離せない限定条件でありその判定は本人の認知に拘らず行われる。原理なんて知らない。夜眠れなくなるだけだ。
「鍵は何処も開いてないな」
「私が束を持ってるから借りてる線は考えにくいね。ハンディカムの方には何か映った?」
「今見てる感じはなんとも……鍵がないなら行ける場所は限られてるからな。トイレでも探してみるか」
「じゃあ女子トイレは私が探すね。誰も居ないんだから、性別に拘る必要はないけど」
「心の抵抗感は凄いからな。どっち…………ん?」
カメラを窓の方へと回す。中庭には誰も居ない。明衣は首をかしげているようだったが、レンズ越しには確かに見える。窓の先の先、向かいの窓の渡り廊下。
真千子が、こちらに指を向けて立っていた。




