霧の中を揺蕩う光は死神の誘い
章終わりです。
「明衣!」
「あ、助手。一歩遅かったね。会長さんは見つけ出しちゃった!」
「た、た、頼む! たすけ……」
誰も何もしていないのに、それが憚られるとばかりに会長は自らの口を抑え込んだ。運転手は被害にこそ遭っていないが明衣の存在について把握しているようだ。ただでさえ狭い車内の端っこで涙を浮かべながら震えていた。中年男性とは思えない情けない姿……とは思わない。殺人鬼を相手に怖くなるのは何歳でも性別が何だろうと関係ない筈だ。
「…………ふーん、遥ちゃんの力を借りてたんだね。でも煙草の臭いはしない。結局誰なんだろ♪」
「えっ」
そういえば二人が遭遇する事を考慮していなかったが鬼姫さんはいつの間にか俺の傍から離れて何処か見えない場所に行ってしまった。自分が目をつけられている事を弁えたか……俺が迂闊だった。どうせ居ないと思っていたのだ。遥を信じるべきだった。
「……その反応は、急に居なくなったんだ。ふーん。まあ今はいいよ。それより助手も中においでよ。この人には沢山聞きたい事があるもんね!」
「待て。お前の知りたい事は俺が教えてやれると思う……ぞ」
「ほえ?」
情報は足りないが、見る事は可能だ。文脈と状況から推察し、それを答えとしてはじき出す事は誰にでも出来る。探偵を名乗ろうとするならやらないといけない。正解なんてどうでもいい。俺が出来る事はこれ以上の虐殺を止め、会長をNGとは無関係に引き渡して法の裁きを期待する事だ。
もしここに正解があるとすればそれは推理の是非や事の真偽ではなく、詠奈を満足させられるかどうかであり、それ以外の尺度は必要ない。
「へえ?」
「だからその人を殺すな。NGなんて関わってない。きちんと法律で裁けるよその人は」
「…………助手がそこまで言うなら、幾つか聞こうかな」
さあ、探偵助手としての役割を果たす時だ。無用な犠牲は止めるに限る。数少なく恵まれたこの瞬間は無駄に出来ない。
「ではこの事件の犯人は?」
「計画を立案したのはそこな会長ジジイ。そして犯人は被害者と同じ立場に居た幹部衆全員だ。彼らはいうなれば会長の手足口。望むことをして、望む言葉を言い、その為ならばどこへでも行く。行かなければならない立場にある。そこまでしないといけないメリットは不明だけど、誓約書にはNGを教える事とあった。だから、一度首輪をつけてさえしまえば後は戻れない」
「ふむふむ。不幸な事に全員死んじゃったよね」
「へ……ひ、ひいいいいいいい!」
「乃絃との会話を邪魔しないで。じゃあどうしてあの人は―――温蒲正芳は死ななければいけなかったのかな?」
そんな苗字だったのか。腐っても探偵、情報に至っては一歩上を行くか。そして確信したのは、やはりこいつはとっくに真相を知っている。知った上でこんな真似をしようとしているのだ!
「告発だ。彼は着服を告発しようとした。人としての良心が見過ごす事を止めさせたんだ。彼は立場からしてお金の管理には携わっていなかった……つまり偶然知ったと考えるべきだろう。だが彼は優しすぎたんだ。言って聞かせれば止まってくれると思った。自分一人じゃ無理だから同じ幹部にも周知して力を合わせようと思ったんだ。それが間違いとも知らずにな」
あの状況からして、他の幹部が彼の手伝いをしたとは到底思えない。遺品から発見されたのは会長からの指示や誓約書ばかりで、協力していた素振りは見えなかった。いや、それはもっと前からだ。不正を告発しようという気概があるならそもそも明衣の事情聴取にはもっと積極的であって然るべきだった。
わざわざ明衣を関わらせないように会長から言われているなら、その存在を知らなかったでは通らない。裏を返せば会長が恐れる存在に頼るべきだった。本当に不正を止める気があったのなら。
結果はどうだ、彼が一人で死んだのはハメられたからだろう。協力の素振りを見せただけ、きっとそれだけで人を信じてしまうくらいには恵まれた人生だったのだ。
「成程。でもその言い方だと彼がハメられたみたいだよね。確かに状況は黒いよ。私の捜査に非協力的だったし、明らかに何かを隠す素振りもあった。でも決定的じゃない。乃絃君に照明出来る? 被害者は孤立していて、みんなに謀られて殺されたんだって」
「勿論だ。お前が歩道橋の上で殺した奴がメモを持ってた」
そこに書かれていた事柄は三つ。
・自分達は目撃者。
・彩霧明衣には情報を渡さない
・警察にも協力を要請する。死因は事故死。
「目撃者である前提はそこに計画がなければ成立しない。そして部外者であるお前にも拘らせないように通達する徹底ぶり、最後に警察にも協力を頼もうとする周到さ。普通の奴ならこれを殺人とは見抜けないだろうよ」
「うーん。それはどうだろう。メモが偽物って可能性もあるよ。私達は鑑識の装備なんて使えないから、証拠なんて幾らでも捏造出来る。それって死体が着てた服の中にあったんだよね。貴方を信じない訳じゃないけど、私と貴方に時間差がある限り誰でも介入出来そうじゃない? 例えば町内会の他の人間が罪を押し付けたとか。死人に口なしだから反論出来ないし!」
「いや、そもそもこうなった事がメモを本物と裏付けているよ。お前はこの事件を捜査して結果的に会長の元まで行きついた。そのジジイが一番恐れてたのはそれだ。お前に捜査をしてほしくなかった、関心を持って欲しくなかった。事故死にすれば探偵の入る余地はない。造られた目撃証言があれば辻褄を合わせて不自然を消す事も可能だ。でもお前は事件に興味を持ってしまった。何でか?」
「乃絃がNG殺人について話したから?」
「ああそうだな! でもその前にお前は目撃してしまった、たまたま当事者になっちまったからだ!そして俺の失言と合わせてお前はNGに触れる馬鹿が自分たち以外にも居ると知ってやる気になった。それは町内会の人間の誰にとっても都合が悪かった筈だ」
だって明衣は、警察が抑え込む事の出来ない暴力。
もとい殺人装置。
好奇心が猫をも殺すなら、好奇心とは明衣であり、猫とは人だ。殺す事にいささかの躊躇もない。
「協力する筈だった警察も明衣が偶然関与する形になれば話が別だ。警察は『死にたくないからこんな事で通報しないで下さい!』と言ったんだろ? 納得だよ、お前の前で偽証なんてしたらどうなるか明らかだ。これで完璧だった工作に綻びが生まれた」
「……おーけー。いいよ助手。その調子だ。それじゃあ最後の質問ね?」
「誰が、何の為にNGを偽装したの?」
NGで殺されたか否か。それが最大の焦点であり、明衣のモチベーションを維持している。こいつは知らないふりを続けているが限界だ。会長にNGを教えなきゃいけない点や死体が消えた件など、一見してNGが関わっているようには見える。だが見えるだけで、俺達は見つけてしまった。NGではなくて科学的に、物理的に殺害された証拠を。
会長にきちんとした裁きを受けさせるなら、今この場で証拠もなしに納得させる必要がある。それは可能か? それともまた不可能なのか?
「…………簡単だよ。それは、ずばり温蒲の遺族がやったんだ」
「遺族が!? どうして?」
「告発は勇気がいる事だ。最初に家族に相談を持ち掛けるのは不自然じゃない。そもそも被害者は行きつけの酒場で逆らったら生きていけない事を漏らす程度には思い悩んでいた節がある。その被害者が亡くなれば当然思い当たるだろう。だが警察にも当初協力を依頼した通り、会長さんは警察に顔が利いてしまう。証拠を揃えてもまともに話を聞いてくれるかってのは―――遺族の視点から見れば怪しいもんだ。そこで必要になったのは…………制御不能のじゃじゃ馬、お前」
「うん!」
「お前はこの町じゃちょっとした有名人だ。勿論悪い意味でな。お前を関わらせればどうあれ真実は明らかになると家族は踏んだんだろう。だからNGを偽装してみせた。お前に全てを解き明かしてもらう為に」
――――――推理が、終わった。
明衣は会長の禿げ頭から手を離すと、車から降りてぐっと大きく伸びをした。
「ま、及第点かな! 助手の推理に免じて、今回の手柄は警察にプレゼントしましょうッ」
会長は一度警察に連行される事になった。証拠の方は鬼姫さんが揃えて別口で提出しておいてくれたらしく、存外早く事が運んだのは明衣も驚きだった。何でも逃走を図ろうとしていたらしく、それを阻止した功労者という事で明衣も同伴するそうだ。
「これにて一件落着、だな」
「鬼姫さん。いつの間に戻ってたんですか」
未慧を連れ、鬼姫さんはいつの間にか俺の背中に張り付いていた。やけに煙草臭いからおかしいとは思っていたが、その臭いでしかない。高い煙草らしいが、銘柄とか歴史とか味とかどうでもいい。マッチで付けるのが拘りとか言われても、俺には分からなかった。
「警察にツテがあるっつったろ。証拠くらい渡せんだよ。さっきの推理も聞いてたが……郷矢君よお、穴だらけだぜ」
「あのクソ探偵のやる気を萎えさせる事が出来たなら何でもいいですよ。でも、そこまで穴だらけとも思ってなかったです」
「NG死を偽装したのは確かだが、遺族でも何でもそんな事が出来た瞬間があったとは思えねえ。本来何から何まで台本ありきの証言を作ろうとした所にあの性悪女が乱入して崩壊したんだろ。その時点で更なる第三者が誰にも気づかれないように介入してNG死に見せかけるってのはちょっと都合が良すぎるぜ。私ならこれ以上は破綻しないように警戒するがねえ」
―――確かに、言われてみればそんな気もする。
だがそうだとするなら一体誰が出来たのか。NG死を偽装した事までは確定なのだ。しかもそれは本来事故死に偽装するつもりだった実行犯とは無関係になる筈。
「未慧よ。お前さっきおもしれえ絵を描いてたよな? 郷矢君に見せてやれよ」
「え。嫌なんですけど」
「いいから見せろよ」
未慧はこちらを睨みつけながらスケッチブックを一面に開いて見せてくる。きっとついさっきまでは公園に居たのだろう。パラパラブックのように景色が進んでいく中で、一人の人物だけが色濃く浮き上がっていた。
頭から、血を流している。
「…………これは」
「これは所詮絵だ。防犯カメラもこの辺りにゃねえけどな―――私の仮説はこうだ。NG死を偽装どころか。被害者は死んだ事実もまとめて偽装してた。死人に口なしとも言われるが、これなら筋は通るぜ。本人様なら幾らでも工作し放題だからな」
鬼姫さんは煙草を深く吸い込むと、口いっぱいにたまった煙を空に吐き出した。
「そして誰もいなくなった。生き残ったコイツの一人勝ちさ。はは」




