助手の務め
「…………きょ、今日は助けてくれて、ありがとうございました!」
「いや、いいって。それにまだ気を抜くのは早いから」
昼休みの終わる間際、俺は成り行きで助ける事になった後輩を所属教室の前まで送った。少し離れた所に明衣が立っているからNGを踏む心配はないけど、一応。
「ど、どういう事でしょうか……?」
「いや、そんな不安に思わなくても良い。大丈夫、君は死にたくないって言ったからさ。また後で会うと思うけど、その時はまたその時宜しくね」
「は、はい」
イジメは根深くも表には出ていたようだ。オーバーサイズのしかも男物のブレザーを着て戻って来た女子にクラスメイトはざわついていた。『無事に戻ってきたなんて』と、ある種冷たい声の様な物まで飛んでいる。
「じゃあ帰るか」
「もう、送らなくても良かったんじゃないの? 別に歩けないほどの怪我とかしてなかったよ」
「気絶しなかっただけ強いよあの子は。まあ見ないようにしたのは俺だけど。名探偵様におかれましては、時間を置いて尋ねる事も必要だと理解してください」
「助手は手厳しいなあ。所で、もう警察は呼んであるの?」
「…………は? どうせお前捕まらないだろ。呼ぶ意味がない」
「だって私殺してなんかいないよ。それで捕まったら冤罪か誤認逮捕か……もう嫌になっちゃうよね。私はNGを当ててるだけ。でも警察を呼ぶ意味はあるよ。だってこれからあのトイレを使う人が居るかもしれないのに汚いままは嫌でしょ。ちゃんと現場を掃除してもらわないと」
トイレを綺麗に使うのはマナーです、と。明衣は胸を張って品行方正を身体で語る。推理の結果人が死ぬことを何とも思ってない癖に、こういう所だけ常識的なのがむしろ不気味というか、本当に罪悪感なんてなさそうで怖気が止まらない。
コイツと過ごしている、人間はやはり中身なのだと確信する。どんなスタイルの良い美人でも性格がこれだったらと思うと急に殺したくなる。だが残念ながら助手になって何年経とうともまだコイツのNGが何なのかはまるで掴めていない。
NGは絶対に破ってはいけないだけに、どうしても意識せざるを得ない。
その難易度は人によって様々だ。今生き残っているという事は、まあ頑張れば破らない程度の難易度なのだろう。裏を返せば気を抜くと破ってしまうかもしれない。そもそも俺が助手になったのは明衣の事を探る以上に、自然にNG対策をしたいと思った結果だ。
この関係なら無理に俺が一緒に居ても怪しまれないから、いざ約束を破られて推理されても外してくれるかもしれない……その可能性に期待している。これも明衣とどうしても別行動しないといけなくなった時に同行者を確保しないといけない問題があるのだが。
「あーあ、昼休み終わっちゃった。中尾ちゃんから聞けなかったし、あの子から聞かないとな―」
「今日くらいは程々にしてやれよ。見てないけど死人が出た事くらいは分かってるんだ。情報はきちんと揃えなきゃ推理が鈍るぞ」
「おお、乃絃君、良い事言うね。名探偵が推理を外すなんてあってはならないのだ。だから言う事、聞いたげる」
自分達の教室に戻る頃にはもう授業が始まろうとしていた。がっつり遅刻をしており、俺と明衣の席だけが(中尾は死んだのでノーカウント)空いている。早く入ろうと扉に手を掛けようとすると、明衣は急に俺に抱き着いて、嬉しそうに笑った。
「やっぱり君を助手にして良かったよー……お陰で、退屈してない。いつもありがとう♪」
はちきれんばかりの胸を背中に押し付けられて、嬉しいかって?
男としては嬉しいけど、コイツの場合NGを調べているようにしか思えない。
俺のを言い当てないという約束だが、たまに破りそうになる辺り、探りは間違いなく入れていると思う。気を抜いてはいけない。こいつは名探偵という名の殺人鬼。名探偵のある所に事件あり、その度に死人が出るなら―――ミステリーの構造自体を『名探偵』と括るなら語弊はないが、結果的に人が死んでいるのと狙って人を殺しにかかるのは大違いだ。
「……俺の背中で鼻血拭くなよ」
「大丈夫。乃絃君にしかやらないから」
「その俺が良くない。そんなに身体にこすりつけたいなら自分の胸にでもこすりつけてろよ。デカいから持ち上げたら行けるだろ」
いい加減しつこいので振り払うと、明衣は悪戯っぽく口元を閉じて自らの胸を手で抱え、俺に近づけて来た。
「じゃあ手伝ってよ乃絃君。触っても怒らないから」
「断る」
「どうして?」
「男としての精神構造上どうしても興奮してしまうが、お前で興奮するのは嫌だから」
「えー」
言葉とは裏腹にその手はむんずと乳房を鷲掴みにしている。違う、こいつが無理やり手を取って握らせたのだ。
「やめろ!」
「興奮した? ふふ」
「した」
「そう。なら良かった」
―――やっぱりこいつ探ってるよな。
NGを解き明かす事に並々ならぬ執着を持つ彼女の言動挙動は信用できない。こいつに鼻の下を伸ばす男子は命知らずか事情知らずの二択。一年生の頃からクラスが一緒だった奴は間違っても明衣なんかには近寄らない。
「こらーお前達! さっさと教室入って来い! 授業はもう始まってるんだぞ!」
教室前で遊んでいると思われたらしい。教科担任が凄い剣幕で俺達を怒鳴りつけて来た。明衣はばつが悪そうな顔をして、それでようやく教室の中へ。後を追うように俺も入ると、クラスの誰かがぼそっと言った。
「授業遅れて挙句いちゃつくとか終わってんだろ……」
いちゃついてない。
と言っても時間の無駄だ。助手を名乗った以上はこいつの味方。傍からはそう見えてもらわないと困る。明衣共々恨んでくれても構わない。全人類に嫌われようとも俺の本懐はただ一つ。彩霧明衣を殺す事だけ。
その為になら悪にだって染まろう。望むなら同じ末路を辿るコツでも。
「あれがいちゃついてるように見えるならお前の人生は幸せだよ」
誰に向けてか言い返す。
本当に幸せな事だ。そういう環境全てをぶち壊されて、ただ一人生き残った俺の気持ちなんて分からないだろう。分からないならそのままの方が良い。
触れない事が、最善だ。
名探偵らしくというか何というか、明衣の成績は学年の中でも上位に入る。やっぱりというか、妙な所は常識を弁えているので高校に入ってからの話でもない。だから飽くまでその知恵を借りる為に明衣を頼ろうとするクラスメイトは居る。だが間違っても深くは付き合わない。
トリセツはないが、暗黙の内に決められている立ち回りだ。これはこれで一種のNG。ただ、助手という立場のせいで俺が割を食う事もある。
「なあ郷矢。悪いけどちょっと話せるか?」
「うん?」
放課後は学生にとって自由時間に等しい。部活に入る人間は活動しないといけないが、そもそも入部自体が自発的な意思によるもの。不平不満を抱くなら、俺や明衣のように帰宅部であるべきだ。声を掛けて来たのはバスケ部に所属している上更風真。アウトドアな人間とは基本的に接点がない。
「俺に用なんて珍しいな。明衣が見るからに待ってますよオーラ出してるから手短に頼む」
「今年入った後輩が彩霧の事好きになったって言って聞かないんだよ。お前って彼氏じゃないんだろ? でも一番仲いいし……いい感じに紹介してくれないか?」