チェーホフの町
ヤンヒロ終わったので更新早めます。
「町が……繋がってるだと?」
「ここは騒がしいから少し遠くで話そっか」
「断る。ここで話せ」
「んー……乃絃君。強制する訳じゃないんだけど、場所変えた方がいいよ。都合が悪いから」
明衣は珍しく困ったような表情で頬を掻いている。すぐ近くで火災が起きている事にはまるで関心がない。こいつが犯人ならその感性は壊れているとしか言えないし、犯人じゃないならまともな人間として少しは気にしろ。
ああ、こいつはまともじゃない。分かっていた事だ。
「どう都合が悪い? 俺に言わせりゃこんなクソ夜中にお前とこうして鉢合わせした事があり得ないくらい都合が悪いけどな! せっかく離れられたのにやっぱりお前と遭遇しちまうんだ! 許されるなら今すぐにでもお前ん家に放火してやるよ!」
「おお、助手が犯罪予告なんて新しいね。でもだーめ。君にはまだまだ助手として働いて貰わなくちゃね。私の隣に立てる唯一の人なんだから。信用してるよ? ふふっ」
そう言って明衣は移動を開始する。会話の内容と一致しない行動に困惑していたが、暫くして誰も使っていない駐車場に到着した時、俺はその真意を悟った。
「おま…………俺は移動していいなんて言ってねえぞ」
「だって都合が悪いもん。さっきも言ったでしょ。町がどれだけ繋がってるか把握したいって。まだ分からないから用心しなきゃ。人用心、話一分ミスの元ってね」
「上手くねえよ―――ああもう、この際移動はいい。繋がってるってなんだ? お前には何が視えてる? 何なんだよ」
行動を逐一責め立てた所で明衣の行動は変わらないし、その意識が改善される事もない。思い返すと俺も冷静じゃなかった。遥のNGを鬼姫さんに見透かされて、挙句戻ったらコイツが突然放火魔になっていて……混乱していたのだ。らしくない。落ち着け。
「そうそう。深呼吸深呼吸」
「…………犯人じゃないならお前はもっと慌てて欲しいな。落ち着いたから話せ」
自販機の淡い光が明衣の顔を薄暗く照らす。声だけを聴いていたら淡白すぎて全く気付かなかっただろうが、その口元は楽しそうに歪んでいた。コイツがこういう顔をする時は事件を捜査している時と、俺と二人きりになっている時だけだ。それがイコール好意なんて勘違いしちゃいけない。何気ない言動挙動からNGを見つけ出したい、ただそれだけの怪物なのだから。
「何処から話せばいいんだろ。えーと、商店街の死体って覚えてるよね。君は見てないけど」
「そうだな。俺は見てない。確かも何も途中経過がない。お前が一人で馬鹿みたいに歩いてたら死体を見つけたってだけだ。NGで死んでたんだろ」
「そうだね。私と後は何人かの目撃者がいて。警察が到着した頃には死体が消えたの。私も最初はNGかなって思ったんだけど、なんか探偵としてのカン? っていうのかな。納得いかないんだ」
「お前らしくない無根拠な言い分だな。きっと脳みそが壊れたんだ可哀想に。頭が良くないお前とか、取柄は身体だけかよ」
「乃絃君好みでしょ?」
「お前じゃなかったらな」
しかし、そのカンは正しい。ついさっき俺も独自捜査でその死体とやらがNGによって殺された訳ではないと知った。厳密には決まった訳じゃないが、死体発見現場で落ちていた鍵の使える場所に血痕の残った瓶があったのだから殆ど断言されているようなものだ。
「―――それで、ちょっと考えたの。私より先に死体を見つけてた人ってどういう反応をしてたかなって」
「反応……? みんなお前みたいな異常者じゃないんだ。聞き込みの時だって……」
そこまで言いかけて、俺は自分の首を傾げさせてしまった。
最初に聞いた男性は何故か嘘をついていたし、店員の方は明衣を見て怯えていた。死体の話はやめろとも言っていたが、あの怯え方は死体を見つけたショックというより稀代のロクデナシ名探偵の存在に恐怖していたようだ。所詮は目撃者と思われる二人の様子だが、考えてみると死体を発見した事自体に大したショックは抱いてなさそうに見える。
「……全員取り乱してなかったのか?」
「野次馬みたいに騒いでたよ。けど理性的だったね。通報されてたから警察は来たんだろうけど誰も携帯を握ってなかったんだよね。人ってさ、興奮状態になると身体の感覚が鈍くなるんだよね。丁度君が初めて死体を見た時も呆然としちゃってたでしょ。手に持ってる物を一々しまう様な素振りもなかった。細かいかもしれないけど携帯はもう必需品なんだから注目していかないとね。野次馬なら携帯はしまうんじゃなくてむしろ取り出すべきだと思うし。通報しなくてもね」
「お前の言いたい事は分かるけど、肝心な所が分かってないぞ。そんな事をする意味だ。どうしてそれをする意味がある。偽装なんて……」
「え、分からないの? 乃絃君ってば寝ぼけてる? 私が名探偵って事が分かれば思いつくと思うんだけど」
「お前と名探偵って思ったことはないから思いつかないんだけど、そう言ってくれると流石に分かった。挑戦状だな?」
「だいっせいかい!」
明衣はぴょんっと飛び跳ねると俺の身体にしがみついて駐車場の端に押し倒す。それから顔を覗き込むようにニコニコ笑って、互いの顔の間で指を組み合った。
「これってどう考えても挑戦状っ。死体はNGで殺されたかどうかは足切りなんだよ。私が本当に名探偵に値するのかを試す何者かが居るの。乃絃君、ワクワクして来たよねっ。みーんなNGには触らないのにこの犯人だけが触れてくれるってのはつまりそういう事なんだよっ」
「…………不本意だけど大体事情は分かった。町がどれだけ繋がってるかって言うのは、犯人が動かせる手駒かどうかって事だな。もし手駒なら幾ら情報を聞きこんでも探偵に有益な情報は与えてこないからって訳だ」
「うんうん!」
「だけどそれと放火が全く繋がらない。反応を見るって言ったって適当な家に火をつけても分かるもんかよ」
「そうとも限らないよ。今、燃えてるあの家は私達が行ったお店の人の。隠し事してそうだったから尋ねに行ったの。そうしたら急に自分の家燃やしちゃった」
――――――は?
「要するにお前が燃やしたんだな?」
「何で燃やすの? 私はただ何を隠してるのか気になっただけだよ。だから今日一日中ずっとつけ回してたの。それで乃絃君とは離れ離れだったんだ。でも全然尻尾出してくれなかったから家に直接尋ねに行ったの」
そこからはもう犯行の自白に等しいが、例によって明衣は咎められない。彼女の言い分を全て事実とするなら、件の店員はNGで死亡しているから。
「まず締め出されちゃったから玄関を壊して家に入ったの。隠してる事教えてくれたらそれで良かったのに、やっぱり教えてくれないの。もしかして信用されてないのかなって思って、私の名探偵としての一端を見せてあげたんだ」
「…………誰のNGを当てた?」
「同棲してる恋人なのかな……あんまり仲良しじゃなさそうだったけど。そうしたら女の人の方がおかしくなっちゃってね、私に刃物向けて来て危なかったんだ。やっぱり乃絃君に守ってもらわないと怖いねっ」
「そのまま死んでくれりゃよかったのに」
「うん、死んだよ。NGを自分から破って死んじゃった。その時の男の人の声ったら凄く煩くて。二階から弟っぽい子が文句言いに来たの。ね、分かるでしょ? たらいまわしにされてるんだよ、ずっと関係ないNGばっかり当てさせられてさ。肝心な事は全然教えてくれないの!」
NGを破らせているので、要はコイツが他人さまの家に乗り込んだ挙句に猟奇殺人をしている話だ。反吐が出る。NGを踏んだだけで自分は殺していないというスタンスもまとめてコイツの性根は腐っていると散々言っている訳だ。
明衣のクズっぷりはもう分かっていると思うが、何をそこまで隠したいのかは確かに俺も気になった。自分よりも恋人よりもそれが大事なのだろうか。
「しかしお前、NGをどうやって当ててるんだ? まとわりついてるって言っても俺達より年上だ。そう簡単に見破れるNGでもないと思うが」
「初対面だったらそうだけど、この町で暮らしてもう何年経つと思ってるの? 何処で誰と何回会ってその時々で何をしてたかくらい覚えてるよ。だから推理する必要がなかったってだけ。後は分かるでしょ」
『もうとっくに分かってるから推理しないって事もあるの。答えが分かってるのに悩む必要なんてないよね』
背筋に怖気が走ったのは、こんな人気のない駐車場に連れ込まれた恐怖からか、それともこいつの性根の底を見たからか。分かりたくない。分かってはいけない。明衣の事なんて理解したくもないのに―――日を追う毎に俺は、コイツの心を理解している。
「これ以上は危険な仕事になりそうだし、助手にも協力して欲しいな。ね?」
「…………好きにしろよ。俺に拒否権なんてないんだから」
組んだ両手を左右に押しのけて、俺達の唇が重なり合う。何度目かのキス、密着する乳房を通して聞こえる鼓動は恋の波動を奏でている。
ドク。ドク。ドク。ドク。
人としてどうかしていると思う。ここまで俺を一方的に追い詰めておいて勝手に恋心を感じている。初心な乙女心をときめかせている。そんな場合なのか。人を殺しておいてその程度なのか。
その程度の関心しかないから、こいつは誰とも関わらせちゃいけないのだ。




