安眠助手探偵
「有難う。助かったよ……」
「へ…………え」
「いや、何でもない」
まさか日入に助けられるとは思わなかった。本人にそういうつもりがなくても俺は助かった。道中を確認したがおよそ一定範囲内と呼べる場所に人はおらず、最初に見つけた人は一階の職員室に居る先生だ。範囲が分かっている訳ではないけど、何となく彼女が居なければアウトだったような気がしている。
「せ、先輩の家ってこの方向なんですね」
「ああ。今日は良いけど、あんまり近づかない方がいいぞ。うっかり明衣と出くわしたら大変だ。まあ今日は運が良かったとして、俺にはあんまり近づかない方が良い。命が惜しかったらな」
「………………で、でも私。人を……殺して…………! 先生を……!」
「誰だって、罪を咎められずに誰かを殺していいなら殺すさ」
法律は抑止力だ。NGによる死が他意であっても科学的にAがBを殺したと証明出来ないし、少しでも目を離せば死体が消える関係で殺人した事実さえ認められるか怪しい。気に入らない奴を好きなだけぶち殺せる権利と同義だ。それなら人は、人を殺す。殺す人間は確実に居る。
逮捕されて社会的立場が事実上終了したり、何十年もの時間を奪われる事が基本的にリスクとリターンの側面で釣り合っていないから誰も人を殺さない。そのリスクさえないなら殺人なんて重い行動でも何でもない。殺すに足る理由なんて軽くてもいい。明衣なんてもう殺す理由を探すのも馬鹿馬鹿しく思っている節がある。
「先輩も…………?」
「そうだな。俺も殺すと思う。だからお前はずっとマシだよ。多田先生は社会的に裁かれるべき犯罪者だったが耐えかねたお前に殺された。社会的に裁かれるべきだからお前の行為は間違ってるなんて俺には言えないな。そこまで気に病むなら正しくもないんだが、少なくとも社会なんてのは信用に値しない。まともを気取るならさっさと明衣を捕まえるか殺せって話だ」
「彩霧先輩をどうしてそ、そんな憎んで……い、いつも一緒にいる感じしてますし。仲良さそうでしたけど」
「…………そう見えるなら何よりだ」
教師から性被害を受け、そんな最低野郎を殺した罪悪感に苛まれるような純朴な後輩に当たり散らすような真似はしたくない。怒りはあったがぐっと堪えて抑え込んだ。事実、傍からそういう風に見えるなら俺は上手く隠せているのだ。
「当たり前なんだが、俺はお前じゃない。無責任に立ち直るまで頑張れとしか言えないんだ。それまでは色々守ってやるから、間違っても思いつめたりしないでくれ。せっかく生き残った命を無駄にするな」
「…………手、繋いでも?」
「いいぞ」
怯えた両手が俺の手をしっかりと包み込む。不安に身体を支配された彼女に俺からしてやれる事はない。探偵助手も人間の心理には明るくないのだ。
家の屋根が見えてきた頃、ふと思い出した。
『NG殺人の被害者は学生ばっかりだからよ』
鬼姫さんの真意が何処にあるかは不明だが、日入は十分ターゲットになりうるか。俺が守ってやりたいが明衣につきっきりでないとどんな事になるやら。元々アイツの制御なんて出来ているようで出来ていないが、目の届かない所で何かされる方が嫌だ。例えば今日みたいに。
「出来ればまっすぐ家に帰れよ。NG殺人ってのがあるらしいからな。ターゲットは学生らしい」
「…………そ、そうなんですか。気をつけます。あ、あの先輩。で、電話番号とか……」
「あ?」
「ひゃい…………!」
「ああいや、怖がるなよ。別にそれくらい交換する。気をつけろったって向こうから狙われるかもしれないしな」
家の前で手短に交換を済ませると、玄関の前で後輩と別れる。
「じゃあ、元気でな」
「…………は、はい」
玄関を抜けると、いつものように遥が待っていた。距離を稼ぐ為にドアを開けるまでは壁に密着しているのもいつもの事だ。
「お帰り、兄」
「おう」
「明衣さんじゃないんだ」
「珍しく、不幸にもな。聞いてくれよ遥、アイツどうにも俺のNGをさ…………」
いつもの流れで手を洗いに行きながら『妹』に今日の出来事を出来るだけ詳しく伝える。解決策が欲しかった訳ではなく、何となく聞いてほしかった。とにかく絶体絶命だったという事が分かってくれるなら、後は自ずと同伴者が違った理由もわかるだろう。
「それは……大丈夫なの」
二人の部屋に帰ると、身体は寝台の柔らかさを求めていた。背中から倒れ込むと、後を追うように妹もなだれ込んでくる。身体で受け止めて、お腹に手を回した。
「奇跡的に後輩が待っててくれたから誤認してくれたと考えるしかないな。言い当てないだけで推理されちゃたまったもんじゃない。NG殺人もアイツが関与してないなら尚恐ろしいな。もう色んな奴が同じ方法使うならさっさと取り締まって欲しいんだが、何で誰もやろうとしないんだか」
「……明衣さんが商店街で見た死体って、NGで死んでたんだね」
「本人はそう言ってるな。嘘を吐く理由もないからほぼ本当だろう。死体も消えたみたいだし」
「でもNG殺人は学生ばかりターゲットにされてるんじゃないの」
「…………ん?」
そう言えば、アイツが見た死体は三〇歳の男性だったか。大学で無限に浪人しているとかそもそも遅めに入学したとかでもないと年齢と肩書は一致しない。一般的に三十路は学生というより社会人なので、鬼姫さんの方が嘘をついていたという事に……いーや、あの時は初対面なので嘘を吐く理由がない。
「どういう事だ? 流れで考えたら明衣を含めて三人くらい悪い奴が居る事になるぞ」
「それか、本当はNG殺人じゃなかったか。明衣さん途中で離れたんだよね。死体が消えたって言っても、誰かが隠しただけかもしれない。夜なら何処でも隠せるだろうし」
「…………成程な」
NGで死んだのは間違いないが鬼姫さんが追っているNG殺人とは関係か……もしくは何かが足りないか。何にせよ気になる謎だ。明衣と離れるのは基本的には悪手で、今も決して都合が良いとは言えない。対処出来るように一挙手一投足あらゆる行動を把握していないと恐ろしくて恐ろしくて。
だが裏を返せば明衣だって俺の行動を把握できていない筈だ。調べるなら今夜しかない。明日には助手として調査に協力しないと。
「……アイツの真似するみたいで癪だけど、今夜だけは探偵になるか。遥、悪いけど手伝ってくれ」
「しゃきん」
遥は母親の物らしき眼鏡を掛けると、クイッとフレームを揺らして俺に見せつけて来た。目が悪い訳でもないので素直に反応に困っていると、凄く不満そうに口を尖らせる。
「む」
「…………何のつもりだ?」
「兄の探偵助手になりたくて。形から入った」
「眼鏡は要らないな。それっぽくするなら帽子でも被ってくれ。チェック柄っぽいあれ―――名前は知らないけどその物は持ってないからな。えーっと」
ハットラックを触ってそれっぽい柄と形の帽子を取り上げると、遥の頭にポンと被せてみる。
「おお。可愛いな。似合うぞ」
「…………」
遥は両手で目深に被り直すと、恥ずかしそうに耳を赤くして黙り込んでしまった。
「遥?」
「…………眠くならない様にお昼寝する。後で起こして」
「後でも何も俺も一緒に寝るから無理だな。それと今のは流れで渡したけど寝る時は帽子くらい脱げ」
「あっやっ」
布団の中で帽子を取り上げると、彼女の両手が空を切って帽子の奪還が失敗する。かと思えば直ぐに布団の中に顔を埋めて表情が見えなくなった。
「お腹に、手」
「……あんまり密着するのも暑苦しくてどうかと思うが、断りにくいよなそういう要求って」
今度も背中からお腹に向けて手を回して、向こうで妹が俺の手を握り締めた。こうすれば手は使えなくなって、万に一つも首を絞めてくる事はない。
―――はあ。
とはいえ、例外は幾らでも存在する。だから俺は寝るのが怖い。




