鬼の出た日
「蒸し暑い夜だな」
「兄は、冬の方が好き?」
「…………さあ、どうだろうな。でもお前と一緒に寝るんだから、寒い方が有難みを感じられるよ」
夜に出歩くなんてナンセンス。現実的にあり得る確率として『夜に外へ出てはいけない』というNGは存在する可能性が高い。もしもそういう奴が居るなら冬は日が沈むのが早くて嫌だろうし、夏は余裕があるから生き残りやすいだろう。
こんな暑苦しい夜には、いつも自分の事ばかり考える。確かに嫌な目には遭っているが、俺のNGなんて少し頑張れば簡単に守れるではないか。俺よりも大変なのは妹の遥。何でもないような顔をしているが、明衣に関わらなくても彼女は非常に生き辛くなっている。友達でも彼氏でも旦那でも何でもいいが、良い人を見つけようにもNGの都合上それをしようとすると俺との会話は禁止される。その人とだけ話せばいいというのも簡単じゃない。家族の仲にならないとNGを明かすのはリスクが大きすぎるからだ。
喋れる事が分かればどうして他の人と喋らないのかという事になって―――どうしても明かさなきゃいけない時が来るだろう。それが絶対に悪用されない保障はない。リベンジポルノなんて言葉もあるが、性質はそれに近い。NGが大衆に公開されたらどうだ。他の誰か悪意ある一人でもいい。遥は絶対に死ぬ。
―――だから俺から引き離すなんて、難しいんだよな。
結婚だけが幸せじゃないのも分かっているが、一人で生きさせるにはあまりに辛いNGで、俺が傍に居てやるには明衣が邪魔。ままならない関係性だとは思わないか。こんな夜に出歩くような関係も、いつかは終わる。
俺が明衣を殺し、殺した代償に俺が死んで。
その時は誰が守ってくれるのだろうか。
「公園で遊びたい」
「あ?」
らしくもなく感傷に浸っていたら遥が子供みたいな事を言いだした。NGの関係で外で遊ぶ事は非常に稀だ。俺が居てやらないとあまりにもリスクが高い。深夜に行けば誰も居ないから心置きなく遊べるという訳だ。
付き合わせている手前断る選択肢はない。近くの公園に足を運ぶと無人の遊具達が眠るように佇んでいる。昼は沢山遊ばれて、夜は人っ子一人現れない。彼らに心があるのならこんな寂しい事はないだろう。なので遊びたがりの子供を連れて来た。一名様ご案内だ。
「兄も付き合って」
「マジか。もう滑り台で楽しめる年じゃないんだけどな」
目を瞠る程の長さでもあれば別だが、一般的な長さの滑り台には情緒も感動もない。足元の砂場から上に昇る妹を眺めていると、至極当然に滑って砂場に尻餅をついた。寝間着を汚すと後で怒られそうだ。お尻を叩いて砂を取る。
「楽しくない」
「そりゃ一人で滑るんじゃ楽しくないよな。楽しいのはブランコくらいじゃないか?」
「ブランコ、人が居る」
「何?」
「人が居る」
ブランコの方を見遣るが、ボンヤリして分からない。居ると言われたら居るし居ないと言われたら居ない。妹は俺に比べて夜目が効くらしい。近づいて俺でも視認出来る最大距離から確認すると、二人組の女性がブランコを―――厳密には片方だけを―――独占していた。
親子とは思わない。女性と少女は似ても似つかない顔つきであり、素人目にも血縁関係など存在しない事が丸わかりだ。見るからに男性用のコートを羽織る少女の方はブランコを腰かけにスケッチブックと睨めっこしていて俺の事には気づいていない。
ブランコの柱に背中を預蹴る女性の方は俺の存在には気づいてるっぽいが特に何かを仕掛けてくる素振りはない。俺の周りに居ないだけかもしれないが、喫煙する女性は初めて見た。
「遥。ちょっとそこで待ってろよ」
「ん」
今度は視認距離と言わず、至近距離へ。会話をする為に行くのだ。俺達に言う資格はないが、夜に出歩く奴は基本的に不審者と見ていい。なら関わらない方がという声も分かるが、それだと遥が楽しく遊べないだろう。
「すみません。えっと―――会話大丈夫ですか?」
「…………ああ。何だよ。こんな夜中に声かけるなんざ度胸あるじゃねえか」
男勝りを通り越して粗野な喋り方の女性は、その粗っぽさに反してふわっふわの髪をポニーテールにまとめている。見た目の女子力は凄いのに口を開くと蛮族みたいな圧力だ。声も女性にしては低いから、猶更ドスを効かせたみたいになっている。
成程、遠目からでは認識出来ないのは当然だ。女性は真っ黒い毛皮のコートを着込んでおり、それは闇夜に溶けて全く見えない。この熱帯夜に厚着など正気の沙汰ではないが―――NGが関わっているのだろうか。
「二人は何をしに公園へ?」
「サツみたいな事言うじゃねえか。ま、怪しいモンじゃない。夜にほっつき歩いてんのはお互い様だろ。そこのガキが眠れないってほざいてるから遊ばせてんだよ。そっちも女連れて何してんだか」
「あれは妹で……いや、見えてたんですか。こっちは当てもなく歩いてたつもりだったんですけどその妹が公園で遊びたいって事で。人見知りが激しくて日中は殆ど行けないんですよ」
「大体話は読めたぞ。私達が邪魔だってんだろ。夜の公園に人が居ないと思ったら先客が居たんだ。そりゃ出て行って欲しいと思うだろうな」
「オニヒメ。うるさい。大人の話はあっちでして」
「まあそう言うなよ。お前、名前は?」
「……郷矢乃絃」
「そうか。私は六条鬼姫。鬼姫ってかいてキキだ。なあ郷矢君よ、遊ばせてるっつったがこのガキのつまらなさそうな顔を見ろよ。お笑いだ。こういう場所は遊び相手が居なきゃ面白くねえ。ってな訳で、お前の妹とそのガキを遊ばせてみないか?」
見ず知らずの人間と一緒に遊ぼうと提案しなければならない程ここを離れたくないようだ。単なる衝動から夜歩きをしてる身としては適当な事情をつけて退散してもいい。だが公園での一人遊びが楽しくない事については俺もどうしようもない。
明衣と戯れてる訳じゃあるまいし、そう過剰に警戒する必要もない筈だ。
「あー…………えっと。妹。喋れないんですよね。それでもいいですか?」
「私は別に構わないぜ。未慧、大丈夫か?」
「……勝手にすれば」
未慧と呼ばれた少女はスケッチブックを閉じると、ムスっとした表情を俺に向けて目を細めた。
「どうして同じ発想をする人が居るんでしょうね」
子供が二人、保護者が二人。盛り上がるには十分だ。時間帯など関係ない。人が集まれば騒げる。グローブジャングルに至ったのもそのお陰だ。俺と鬼姫さんで外側を掴んで回す。遥は中に、未慧という少女はジャングルの真上にしがみついて。
「そおら」
「遥!これ酔わないのか!? 俺は回してるだけで酔うんだけど!」
「…………!」
喋る訳にはいかないという設定を忘れてつい話しかけてしまった。沈黙を守った遥の判断は正しい。俺が馬鹿だっただけ。未慧の方は無愛想に乗っかっているもののその場で逆立ちをしたり宙返りをしてみたりなど、寡黙にならざるを得ない遥を除けばこの中でしっかりと一番楽しんでいるように見えた。
「滑り台の真の滑り方を見せてやるよ」
鬼姫さんは台のてっぺんに立つとスライディングの姿勢を取りながらダイナミックに砂場へ突撃。びしゃーんと砂が吹き飛んでのんびり棒立ちしていた未慧に降りかかる。
「……最悪」
「ならお前もやってみろ。ガキにゃ無理か」
「うざ」
半ば強制的に巻き込まれた遥を連れて子供二人が同じ要領で鬼姫さんに反撃。子供と言っても未慧はどう考えても小学生高学年くらいだし、その力はたかが知れている。遥がやったとしてもあまり変わらない。
「ブランコくらい一人で漕げよ」
「どさくさに紛れてお前も俺に手伝わせるなよ……」
遥と未慧を席に乗せて、その背中を保護者二人で押してやる。振り子の要領で何処までも加速していく二人の背中を押して、押して、押して。夜の公園で何をしているのかなんて正気はどうでもよくなってきた。眠りたくなるどころか目が冴えていく。翌朝に影響しか及ばさなくとも、刹那的な楽しさに抗えない。
それは丁度、こんな時にも新しい煙草をふかす鬼姫さんのように。
「―――割とこっちも楽しいですけど、そっちはいつまで遊ぶつもりなんですか?」
「この煙草が吸い終わったらだな。それまで付き合えよ郷矢君。お姉さんからのお願いって奴さ」
―――。
明衣の傍にいるせいだろう。そういう発言をされるとどうしても、喫煙はNG絡みな気がしてくる。




