明衣鏡止水の心
「なあ郷矢。俺等ずっと気になってんだけどさ。お前らが付き合ってないとしたらどんな関係なんだよ」
「探偵とその助手だが?」
いや、そうじゃなくてさ」
サッカーは予定通りサッカー部に任せておけばポジションなんて合ってない様な物だ。目に見えてサボりを防ぐ為にもボールの周りをうろちょろしてはいるが、特に何もしていない。話しかけて来たのは俺と同じかどうかは分からないがボールに触れないで周りを歩くだけの陸上部の男、最守東二。
「後、主語がでかいぞ。俺達って、お前以外気になってないだろ」
「割と結構な奴が気にしてるぜ。女子もな。お前って結構ムキムキだし、顔も悪くないだろ。で、探偵ごっこしてるから浮気とかそういう心配もない。だもんで結構狙い目みたいな話があるんだよ。でも明衣がアレだろ? ほんっと見た目だけは最高なのに性格があんなだから……マジで損してる」
「損かどうかは本人が決める事だ。アイツは気にしてないから損じゃない。俺は……ま、確かに損してるんだろうな。でも俺が損しなきゃお前等全員が損するぞ。明衣の相手が全員に務まるか?」
「それは……じゃ、じゃあせめて好きな女子のタイプとか教えてくれよ。それ、こっそり共有するから」
「俺に構わなくて大丈夫だ。身体づくりなんてあいつの無茶に振り回されてたら嫌でもこうなるってだけだよ」
もしくはアイツを殺す為に、捻じ伏せる力が必要。それ以外に理由があるとすれば中学生の頃に太っていた奴のNGが『痩せてはいけない』だった為、肥満体である事に精神的な抵抗がある。それくらいか。
「なあ。そうやって助けを拒むのやめろって。アイツがやばいのは知ってんだ。それはもう、去年から嫌って程さ。でもお前は違うだろ。お前は……いい奴じゃないか」
「俺がいい奴に見えるんだったら、きっと幸せな人生だよ。俺はお前達が思ってるような人間じゃない。まあそれと好きなタイプは別の話だけど……あんまり迂闊な事言うと、アイツに勘付かれるからな」
「は? でも女子は女子同士で試合するから練習中で……」
最守は女子の溜まる場所を見て、即座に目を逸らした。俺の近くに居るのだから視線の行き先が何処かなんて聞くまでもない。試合の状況は良く分からないが、俺達が攻めているらしい。だから背中を向けられるだけ今はまだマシだ。口元を見せてしまうと読唇術で会話の内容を悟られかねない。出来る事ならこのまま一生攻めていて欲しい。
「俺だって好きこのんでアイツの世話してんじゃないんだ。お前達に望む事はアイツに殺されず、無事に卒業してくれるかどうか。良きクラスメイトとしてサポートくらいはする。俺にちょっかいかけるとアイツが『助手を盗られた』とか言い出して興味を持つからな。それだけはやめてくれよ」
自己犠牲の精神というよりは、単に関わって欲しくない。名探偵様に関わった奴は等しく不幸になる。その結末の殆どは死に繋がるものだと分かり切っているから。
どうやらターンが変わったらしい。俺達は一転、ボールを止める為に防御側へ回るようだ。
「乃絃く~ん! 頑張ってー♪」
見計らったようなタイミングで明衣が身体全体を揺らして応援していた。ぴょんぴょんと小柄な体を跳ねさせて無邪気に応援するその様子は紛れもなく交際相手か、もしくは誰からも明らかな片思いか。気分が悪いので俺は努めて目を逸らすが、アイツの写真を求めるような不届き者は視線を引かれてしまうだろう。
―――よく見ると、周囲の女子の目線が、険しいような。
「……俺がモテてるみたいな話なんだけど、もしかしてまあまあ本当なのか?」
「だから言ってんじゃん。まあ俺等は……特に一年からお前等見て来た奴はお前が明衣にずっと尽くしてるの知ってるからな。女子の間じゃ結構それがウケいいんだぜ。普通にお前良い奴だし」
だから険しい目線が全て明衣に注がれているのか。
危険だから関わるなと俺はこれまで何度も言ってきたし、お陰様で実態を知る者は極力明衣に関わる事をしない。だがらといってその不満まではどうする事も出来なかったらしい。なまじ俺に妙な人気が生まれてしまったせいで、アイツ等の命が危ない。
急に頭が痛くなってきた。ボールでも顔に当たって、この悩みを一瞬でも忘れさせてくれればいいのに。
「…………明衣を彼女って言っておけばトラブル避けられたって、マジか」
「お前が見るからに辟易してるのは分かってるから今更遅えぞ」
「急募。モテない方法」
「お前を好きだからってフラれた奴もいるくらいだし無理じゃね? 諦めろよ」
諦められるか。
何を呑気な、まるで他人事みたいに言ってくれる奴だ。俺がモテて誰に実害が及ぶかと言われたらクラスメイト全員だ。お願いだからやめてくれ。起こすつもりなんてないから白状するが、クラスメイトの全滅は正真正銘俺のトラウマだ。
今度は乗り越えられそうにない。
分かるだろう、超能力なんかじゃない。少し考えればどうなるかなんてハッキリしている。モテて喜ぶなんて冗談じゃない。それで周りが死んで何故喜べる? だが意図して暴力的なふるまいをするのもまた本望ではない。何故なら普段の俺から外れた行動は明衣に推理され、見透かされる可能性があるからだ。
もし、まだ俺のNGが特定されていないならなんやかんやあって特定されるかも。何処がどう引っかかるかなんて誰にも分らない。一見関連性はないが、トリックを仕掛ける犯人だって名探偵に見破られると思って仕掛ける訳じゃない。誰にも見破られない自信があるから仕掛けるのであって、そこに差し掛かる名探偵は因果応報の災いとも言える。だから俺も、出来れば無意味な行動はしたくない。
でも……このままだと、明衣の被害者が増えてしまう。
「あー…………分かった。分かった。リスクを避けるだけじゃどうにもならない事もあるんだなって」
「何の話だよ」
「こっちがちょっと優しくしただけでコロっと好きになるクラスメイトにも問題があるって話だ。もうどうにもならんから、毒を以て毒を制す。最守、俺の好きなタイプよりこっちを共有しとけ。明衣とデートしたい男子にデートさせてやるって」
「ええ? でも流石にそれ……きつくね?」
「だから俺も一緒に行ってやるよ。そんで、女子に俺とデートしたい奴が居るならそいつも名乗り出ろ。そんな簡単に惚れられても困る。俺がどんなにつまらない人間で、且つ隣に爆弾抱えてる奴なのか分からせてやるから。そっちを伝えろ。いいな?」
「おお~それなら人が集まりそうだな。俺も参加していいか!?」
「お前、彼女居ただろ。大事にしてやれよ」
何事もなく、試合は終わったが。
この試合だけでも俺に幻滅してくれ。活躍しないどころか大してやる気も見せなかった。無気力な男性がタイプなんて言い出す奴はおかしい。この瞬間注目されるべきは華麗なシュートを決めたサッカー部だ。
そっちにメロメロになってくれるなら一向に構わないので、俺はやめてくれ。頼むから。
「お疲れ様~乃絃君。私の応援聞いてくれた?」
「おお聞いた聞いた。耳が腐りそうだった。応援自体は結構だけど、ブラ透けだけはどうにかしてくれねえかな。急遽写真を用意する羽目になった俺の身にもなれよ」
「お、という事は臨時収入だ。それが調査費用に充てられるか打ち上げに使われるかは今後の成果次第。早速調べよっか!」
体育が終わった休み時間。昇降口で合流すると教室に戻る事なく職員室へと一直線。多田先生は不幸にも本当に早退しており、机はがら空きだ。ただ先生達も出勤という形で来ているのだから私物は大して残っていないだろう。
そういう説得も考えたが仮に多田先生の成果が無かったとしてもちゃっかり他の机も見て回るのが名探偵。絶対に骨折り損はしないという強い気概のもと行われる調査に外れなし。
「失礼しまーす。多田先生に用事があって来ました」
「先生はもう帰ったみたいだよ」
「あ、大丈夫です。机を見るだけなので。助手、こっちこっち」
「……そんな訳でお邪魔します。明衣、先生達は個人情報も取り扱ってるだろうからその辺りは気を遣えよ」
「分かってるって。私は上のノート調べるから助手は引き出し見てくれる? 何も無かったらそれでいいや」
人一人が使うだけの小さな机を二人がかりで調べるのだ。どんなに丁寧に調べてもすぐ終わってしまう。明衣の前評判を後で聞いたからかは分からないが、多田先生の個人情報に繋がる様な物体は何一つとして残されていなかった。
引き出しから見つかったのはこの先生が過去始動した生徒の反省文をまとめたファイルとメモ帳だ。良し悪しはともかく、反省文にしつこく添削を繰り返した様子が窺える。欄外に赤ペンですらすらと人格否定の言葉を連ねるのは如何なものか。
「……人として問違って……『間』の誤字に気づかないのは先生としてどうなんだろうな。これを添削って言うのも変だけど、矢印伸ばしてわざわざ生徒には間違い指摘してるのに」
そして提出された反省文にまだ添削分が残っているのも、順序として妙だ。添削を受けて新しく書き直すのが普通なのではないか? 他の反省文も覗いてみると、違いが分かった。誤字と内容は無関係なのだ。
内容は十分だが誤字があるという場合に限って矢印を伸ばして誤字を指摘。それを直させて再提出させるという工程と見た。これなら手間も省けるから生徒だって吝かじゃない。実際、赤ペンで矢印を伸ばされた部分に消しゴムで消され、上書きされた痕がある。だがこれだけだと添削文が残しっぱなしになっている説明が弱い気がする……
「―――ああ、そういう事か」
「助手、何か気づいたんだね」
「反省文の邪魔をしないように書いてるのも妙だと思ってたけど、多田先生って単に性格が悪いんだな。誤字脱字の指摘はともかく、欄外の文章は添削とは名ばかりの誹謗中傷だ。直しようがない。誤字脱字を除いて直させるつもりが無い。明衣、これを見ろ」
机の上にファイルを広げて、一つ一つを指で注視させる。
「読めないとか、字が汚いとか、とめはねはらいがなってないとか、ここにまとめてある反省文はちゃんとした指摘から殆ど難癖みたいなものまで勢揃いだ。俺が思うに一度返却させてこの誹謗中傷文章を見せて嫌な気持ちにさせたいんじゃないか?」
「ふむふむ……」
多田先生のペン立てにはそもそもボールペンしかない。消しゴムなんて必要ないから存在しないし、修正液だって何処を探しても見当たらない。手元にないのはもとより使う気が無い証拠だ。単に持って帰った可能性……それは低い。セロハンテープやらハサミやら、普段使いしそうな文房具は残っているから。
「そっちのメモ帳は?」
「色んな事に使ってるみたいだな。夕飯の買い出しのメモから、生徒の校則違反までよりどりみどりだ。ただ、俺みたいにものぐさなんだろうな。文字のサイズとか考えずに書き殴るからスペースがなくなって文字を潰してる。シャーペン使えば消すだけでいいんだけどな。まあ気持ちは分からなくもない。ボールペンの方が書いてて気持ちいいし」
「えーシャーペンの方が気持ちいいよ。カリカリって刻む感じが、なんか癖になるのに。助手に分かってもらえないのやだな。今度シャーペン使ってよ」
「ボールペンで授業受けてねえよ。んなの狂気の沙汰だろ。板書ミスッたらどうするつもりだ」
引き出しの収穫はこれくらいで、後はゴミがちらほら。元あった場所に戻して視線で明衣の収穫を尋ねると、彼女は後ろ手に持っていた本をこれ見よがしに押し付けて来た。
「私の方は、こんなのみつけたよ。『人間指導術』って本」
一緒に読もうよと明衣は俺の腕を胸で挟むように捕まえ、片手で本を開いた。授業開始のチャイムが鳴ろうと彼女は気にも留めない。タイトルに偽りなく、中身は幾つかの章に分けて人を効率よく指導するにはどうしたらいいかという記述に終始していた。
「―――ななめ読みした感じだと、こんな本読んでてよくあんなゴミみたいな指導出来るな」
「知識として得るのと実践するのは違うんだよね。教師ってろくに社会経験とかないから分からないのかな」
「言い方」
「助手を殴ったりする奴なんかろくでもないよ。そうだ、あの時の怪我大丈夫? 痣とかは出来てないみたいだけど」
ちらと横目を流すと、明衣の視線がめいっぱい俺の横顔に注がれていた。心配しているのか、今の言動を受けて反応を窺っているのか。真意は分からない。でもこいつは人間経験が足りないので恐らく後者だ。そして前世は肉食動物。
「痛がってないんだからノーダメージでいいだろ」
「痛い痛いのとんでけー。痛い痛いのとんでけー。どう、治った?」
「そんなんで応急処置になると思ってるお前がイタい」
『人間指導術』の本を棚に戻して、職員室を後にする。推理に付き合って授業を完璧に聞き逃したら元も子もない。早い所戻ろう。
「つれないなあ助手。ちょっとしたおまじないなのに」
「名探偵がオカルトに頼るな。そんな事よりも次の授業だ。まず着替えるぞ」
「んー私はいいかな。この方が動きやすいし。ちょっと眠いから」
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「てめえもさっさと着替えやがれ!」
次の授業は世界史で、その授業の終わりに際し。
ロッカーの中に畳まれていた制服一式をおねむな明衣の頭に叩きつけた。
「…………んもう、何? おはよう助手。もう授業終わったんだ」
「終わったんだじゃねえ。お前が体操服で居続けるだけでうちのクラスの様子がちょっとおかしくなるからとっとと着替えてくれ」
「ん…………」
しかし明衣は寝起きで頭が働いていないのかその場でブラのホックを外して本格的に着替えようとしたので慌てて男子トイレに拉致監禁。ここの個室トイレは広いので二人入っても十分なスペースがある。
「名探偵が公然猥褻すんな」
「ふふ。助手~まだまだだね。体操服から制服に着替えるだけなのに下着外す訳ないでしょ。慌てて私を抱っこしてたその焦り方、あー面白い」
「うっざ。化かし合いは俺の負けでいいから早く着替えろ。何の為に背中向けてやってんだよ」
「もう着替えたから大丈夫。嘘吐いてないの、分かるでしょ?」
同じ空間に居た都合上、衣擦れの音がどうしても耳に入ってくる。だから着替えたフリはきかないしするつもりもないのだろう。安堵して振り返ると、明衣は活発な女の子を演じるように、片足を上げてダブルピースしていた。
「ミニスカエディションッ。似合ってる?」
「校則違反」