自明衣の理
「おい、あのバカは何処行ったか誰か分かるか!?」
「し、知らねえよ!」
「先生!」
「知らん。勝手に探せ」
俺のNGを知らないからって勝手な事を。続々と生徒が教室に帰る中で取り残されたら俺は死ぬ。だからこの流れから離されないようにあの大馬鹿を探さないといけない。なんて無理難題だ。ふざけているにも程がある。俺を散々振り回しておいていざ困ったら単独行動とはどういう了見だ。
「じゃああの生徒指導のクソ先公は! 明衣はアイツと一緒に居るんじゃないか!」
「ちょっと、何ですかその口の利き方は! 先生をクソ呼ばわりなんて!」
「クソはクソだ! 明衣にちょっかい掛けるとかどうかしてんだろ! 先生、体育館にも小さい職員室ありましたよね! 入らせてもらいますから!」
好きとから嫌いとかじゃなくて。これ以上誰かに死んでほしくないだけだ。相手がどんなにいけ好かない奴でもこれは変わらない。明衣に殺されるくらいなら俺が殺してやる勢いで死んでほしくない。とにかく行動は早い方が良い。職員室が外れだった場合に詰みかねないので一年生が怪談を下りている内に職員室へ。
「あがああああああああああああ!」
「先生。喫煙なんて駄目ですよ。それに生徒の目の前でなんて。受動喫煙とか知らないんですか?」
ああよかった。居てくれて。
「―――じゃない、明衣! 何やってんだお前ぇ!」
「あ、乃絃君。見ての通り、先生の煙草を注意してたんだよ」
見ての通りというと、先生の煙草を取り上げて根性焼きをしている事が注意なのか。顔中に火のついた煙草を押し当てられた先生はそれどころではなくのたうち回っている。よく見ると親指が片方ねじ曲がっているので、これではどちらが痛いかが分からない。でも顔を覆っているから、多分今は火傷が苦しい筈だ。
「聞いてよ乃絃君。先生に逆らうなんて悪い生徒だって、あの人私に手を出そうとしたんだよ。胸とか鷲掴みされそうになって凄く怖かった。私の身体は、貴方以外に触らせないのにね」
「普通にキモいから辞退する。ていうかそれ嘘だろ。生徒指導の先生だぞ?」
「イジメを見過ごすような学校なんてあり得ないよね」
そう言われると返す言葉もない。イジメは実際存在するが、無いものとして扱われる事が度々ある。だから根深い問題として扱われるのだ。人間は何もかも合理的に動くわけじゃない。時々あり得ない様な事をしでかすから、事実は小説よりも奇なりと言われる。
「あー……先生。弱気な子だったら強めに強迫したら屈服させられるかもしれませんけど、こいつは見ての通り人の心が無いんで辞めた方が良いですよ」
「ぐうううううううううう! あああああああああああああああ!」
「……これに懲りたら、コイツに関わるのはやめてくださいね。今日は大人しく早退した方がいいです。後……こいつが手出したからって警察呼ぶのも、あんまりオススメしないですよ。連行まではされるけど、結局戻ってくるんで」
「警察って偉いよね。誰が正しいか分かってるんだもの。でもそんな心配は要らないよ乃絃君。私を警察に通報したら自分の悪い事が明るみに出るもん。無実の名探偵に対する抵抗にしては滑稽だと思わない?」
帰ろ、と手を引かれて職員室を後にする。先生の今後が心配だ。口より先に手が出る人間を何故恐れるかと言われたら、それは仮にやり返しても遥かにやり返される恐れがあるから。効力のない脅迫もそれを考えれば随分恐ろしくなる。
だが明衣には通用しない。こいつに目をつけられた奴は必ず死ぬ。もしもコイツをどうにかしたいなら殺される前に殺すしかないが。
そ れ だ け は 俺 が 許 さ な い 。
俺の人生は、コイツを殺す為だけに存在している。意義を奪うのが誰であっても、俺より先にそんな事をする奴は止める。人様の大願を奪うな。
「もし次も襲われるようなら今度は俺に頼ってくれ。助手としてちゃんと守る」
「ありがと♪ 頼れる助手を持って私は幸せだな。ね、教室に戻ったら授業始まるまでまた髪を梳かしてよ。何だか気持ちよくて、良い夢見られそうだから」
階段を下りながらそんな話題で盛り上がる俺達は、やはり傍から見ると恋人に見えるのだろうか。はなはだ不本意だが、そうみられてくれた方が離れない口実にもなるから都合は良いという矛盾が俺を狂わせる。
そこの乳揺れを凝視する一年生。君のNGを今すぐ俺にくれるなら代わってやってもいい。どんな美人でもやってる事が気持ち悪ければ気持ち悪いのだ。乳揺れなんて全くリターンとして機能していない。
後ろから会談の高低差を悪用して真上から明衣の胸を見下ろす物好きも居る。二年生の誰かだが、そんなに気になるなら写真でも売ってやろうか。売ってもいいから近づくな。
「……授業はちゃんと受けろよ。名探偵が成績悪かったら目も当てられないぞ」
「だって、授業なんて答えが分かり切ってるからつまらないよ。先生の話を聞いて教科書を丸暗記してたらそれなりの点数は取れるじゃない。それに、今は別の事で頭一杯だから」
「別の事?」
「多田先生のNGが何かなって、考えてるの」
―――興味を引いたままか。
「おい。まさかまだ根に持ってるのか? もうアイツは手を出してこないだろ、気にするなって」
「駄目駄目。うちの大切な助手に手を出したんだから懲らしめなきゃ。でも私一人だけじゃ時間かかるかも。勿論、協力してくれるよね?」
「…………そりゃまあ。そういう約束だしな」
当人からNGを聞き出す作戦は、直前の状況から不可能だと判断。こうなったら活路は一つで、明衣に積極協力して先に答えを導き出す事でミスリードをする事だけ。
ルールその2。NG以外で人を殺さない。
と言ってもその1と違って事実上のルールというだけだ。今回はこの猶予を使って多田先生を助ける。これはその為に必要な全面協力だ。
体育シューズから上履きに履き替える最中、あんまりにも明衣に注目する視線に腹が立ってきたので、振り返って大声を挙げた。
「各学年の、この馬鹿にきゅんきゅんときめいている奴に告ぐ! こいつにお近づきになるくらいだったらバストが九八センチの別の女子を恋人にした方がマシだ! そいつの性格がどんなにクソでもこいつよりはマシだからな!」
「今は一〇〇センチだよ」
「……だそうだ! そんな訳で間違っても告白とかするなよ! こいつの犠牲になるのは俺だけでいいからな!」
「…………ふ、ふふ」
振り返ると、明衣がこれみよがしに胸を揺らして、悪戯っぽく微笑んでいた。
「は? 何だその眼」
「ううん。乃絃君って、結構無茶苦茶な事言うなって思って」
「言ってる意味が分からん。女性なんて星の数程居るんだぞ。この学校に限っても沢山居るんだから、真っ当な事を言ったつもりだ」
「私より大きな子は居ないよ。一番大きくて三年生先輩の九十センチだもん。ふぅん、そっか。乃絃君はそんな風に、私を独り占めしちゃうんだ」
「誤解を招く言い方はやめろ。お前を見る目があんまり多くてむかついただけだ。ていうか何でそんな事知ってる? 三年なんて接点ないだろ」
「NGを隠してる人を調べるのは、当たり前じゃない。名探偵として、さ?」
何のかんのあって教室に戻って来た。全校集会の中で奇行に及んだ明衣も、その異常性を思い知るクラスメイトは気にも留めない。相変わらず取り扱いは俺に一任して、担任も出来るだけ触れないように授業の準備を始めた(教科担任として一致した)。
本人はやる気なしといった口調だが、こいつのノートは抜群に綺麗で、一切の無駄がない。無駄がないというのは纏め方が上手いという意味ではなく、ノートに書きこまれた範囲がそのまま本当にテスト範囲になる。
この授業は数学だが、余ったページに書き込まれた数式は十割の精度で絶対にテストに出る。超能力としか思えない技能は明衣を変な目線で見なくても友達として欲するには十分だが、性格で差し引き圧倒的マイナス。恩恵に与れているのは、現状俺しか居ない。(最終手段で頼るやつはいる。俺の仲介で)
授業が終われば休み時間。
次は体育で、外に出る事になる。昨夜が雨だった影響で地面の状態は今日の晴れと合わせてトントンといった処。休み時間は十分しかない為、次々と着替えて校庭に向かっていくクラスメイト。
「…………あー、きもち~……♪」
「キモイ言い方すんなよ。ただ梳かしてるだけだ。ちゃんと自分の家で、自分でやって欲しいがな」
「たまに忘れちゃうんだ。いつもありがとね。もう私より上手いかも」
「こんな風に甘えてくるの今日が初めてじゃねえだろ。変な言い方すんなよ。慣れだから」
遥の髪も梳かした事あるし、明衣の甘えたガリは今日が初めてという訳でもない。開いた机を集めて大きな台にすると仰向けになって髪だけを外へ。俺は椅子に座って垂れた髪を掌で支え、優しく梳かしてやる。
「授業に遅れちゃうね」
「ちっとも気にしてない奴に言われても悲しむ気にすらならねえ。今日は何だったかな。サッカーだったけな。俺の出る幕なさそうだ。サッカー部に任せとけ」
「そんな事言わないで頑張ってよ。私、チアガールになって応援するよ」
「体操服を着ろ」
明衣はチアガールについてわざと勘違いしており、確かにその服は持っているが、スカートの下は直に下着だ。上着はへそ出しと乳房の大きさが災いして服がカーテンみたいになってしまう。俺を応援したとてそれに盛り上がるのは他の男子だけで、俺だけは盛り下がるが男としての反応で興奮してしまうので―――それが無性に腹立たしい。
こいつで興奮したら負け。義務教育の敗北なんて屁でもない。
「―――多田先生のNG、実は見当がついてるなんて言わないよな」
「んにゃ、全く。でも助手のナイスアシストのお陰で早めにわかるかもね」
「あ?」
明衣は悪意のなさそうな瞳をぎゅっと細めて、ウィンクした。
「早退促したでしょ? 帰ってくれるなら机調べ放題っ。素晴らしいぞ、助手!」