目的不明衣探偵
悪夢に悩まされている。
幸いな事に自覚は出来る。不幸な事にこれは夢だと知っている。だからいつも最悪な気分になる。
眠りたくない。
生物の本能に抗う恐怖。毎度見る夢心地は絶望がひとしお身に染みる。それは妙な話だと思うだろう。ひとしおなんて大袈裟な話。毎度見るなら猶更それは普通の事である筈と。違う。とても簡単な話だ。三九九回目の悪夢と四〇〇回目の悪夢では恐怖からして段違いだ。言葉の揚げ足を取るなら他の場合と比べて格別な様子―――であるなら当然、積み重ねは特別な事だ。よって俺にとってこの夢は常にひとしお、一秒でも早く目を覚ましたくなるようなオシオキの時間。
「あ、が…ぐ…ぎぃ……ぃだぁぁぁあああああああああ!」
顔の皮膚を何らかの強大な力によって引き剥がされた友達が居た。俺とは馬が合って、顔を合わせれば話す仲でもあった。休み時間にやる事がなければ互いが互いの所に行ってとりとめのない事を話すそんな関係。
俺の肩を握る。力加減など考えられていない。爪が食い込んで、衣服を突き破りそうな程強く、強く、強く。
『助けて』
アイツはそう言いたかったに違いない。だが筋肉が剥き出しになった喉は正常に動く事を赦さない。血と痛みに紛れた声は何かとしか言いようのないうめき声に変わっていく。
こいつが何をした?
別に、何もしていない。強いて言えば明衣と仲良くなろうと話しかけた事が悪い。アイツがNGを探っている事なんて知らず、軽率にも心を開いてしまった。それが全ての間違いとも知らずに。
「お花畑な思考も甚だしいぞ、乃絃君」
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、夢の中の明衣は本を閉じて俺に向き直った。明晰夢という奴は自分自身の手で変えられる。そう言われていたのに、景色もコイツもそんな我儘には応じてくれない。俺がこれを悪夢とする理由、それは夢の中にも拘らずこいつが自立して喋るからだ。
「助けてなんて、死にかけた人間はそんな事言わないよ。助けて欲しいと思っても、助からないもん。だってNGを破ったんだから」
「……お前への恨み言を言ってたのか、じゃあ」
「へ? どうして? 私は殺してないよ。殺したのはNG」
「破らせたお前が何言ってやがる!」
胸ぐらを掴んで床に引き倒すも、夢の中の明衣は抵抗しない。殴って満足するなら幾らでも殴ればいいと言わんばかりに無表情で俺の反応を窺っている。
「……分からないな。乃絃君はどうしてそんなに怒ってるんだろう。所詮は他人で、貴方は死ななかった。それだけでいいじゃない」
「………………」
「私には分かるよ。乃絃君は心の中じゃ何とも思ってない。私と同じ。友達の死が堪えられないなら私の助手になる事なんか拒んで死んじゃえば良かったのに貴方は死ななかった。それは我が身可愛さだよね」
「黙れ! てめえを殺したくて俺はなってやったんだよ! 後で何言われようが、お前を殺す為に生きてるんだ! 何で日常を破壊してくれた!? なあ! 俺はこんな事望んじゃないんだよおおおおおおおおお……!」
「あーあ、泣いちゃった。そんななんだから友達が助けを求めるなんて幻想的な思考回路になるんだね。可哀そう。日常日常って、そんな平和なモノは一日もなかったのに」
「おま、おまえに…………何が……」
『死ねよ』
背後から聞こえる声に背筋が凍る。誰が発したモノでもない。友達だった人間は死体となり果て、隣で発火したクラスメイトに巻き込まれて灰となる。
「君が友達と言ってた子は、君にも同じ目に遭って欲しかったんだよ。みんな私が殺したって言うけど、乃絃君はそもそも狙われてなかったよね? それは何故? たまたま君のNGが難解だったの? ううん、違うよね。それなら最後の一人まで残される理由にはならない。むしろ私なら優先的に狙うって思わない?」
「黙れ」
「私を嫌うのは勝手だけど、みんなに恨まれる理由だったら君にもあるんだよ。最後の一人になるしかなかった理由。助手なら考えてみなよ」
「黙れ!」
「私と過ごした日々は一日たりとも忘れてないのに、君が愛してやまなかった日常は全然思い出せないのはどうして? 大切なら少しは思い返せばいいのに」
「黙れえ!」
「正直になろうよ乃絃君。私が殺したって言うけれど、殺したかったのは君なんじゃないの? NGを破らない為なら多少嫌な事があっても耐えないといけない。だって自分の命が懸かってるんだもの。でも人間、我慢の限界が来る。誓ってもいいよ。私が殺さなかったら君がみ~んな殺してた」
「だまれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「兄。起きて。兄」
身体を揺さぶられているのが分かる。寝起きの倦怠感は全身の汗と引き換えに失われた。時計を見遣ると朝六時。俺は何とか、眠りから脱出したのだ。ベッドはふかふかで気持ちいいが、寝覚めはそれにそぐわぬ気分の優れなさ。牢獄の地べたで眠ったように身体が痛い。指がつりそうだ。
季節としては春と夏の中間。布団は決して厚くないが、俺の身体は我慢比べでもしていたように温まっている。
「遥…………俺から何もされなかったか?」
「ん。今日は首を絞められなかった」
遥は寝間着のボタンを胸元まで外すと、鎖骨から首回りを見せつけるように胸を張った。確かに強がりではなく、手で絞めた痕跡はない。他に何かされなかったかとも聞いたが何もしていないという返答は一貫していた。
「……ならいい。俺はちょっとシャワー浴びてくる。どうせ両親はまだ起きてないし、起きててもリビングか寝室に居るから来なくて大丈夫だ」
「そんな事言わない。私も行く」
「―――そうか」
不安定な足取りを『妹』に補佐してもらいながら階段を下りる。夢の中をさまよっているみたいに足が地面を捉えてくれない。ふわふわとした歩き方はそれこそ夢遊しているようだ。
「兄。今日は学校行けるの」
「行く。行かないと駄目だ。アイツが何するか分からない。お前は……まあ好きにしてくれ。一人で外出はリスクが高いからな」
脱衣所につくとまず先に顔を洗った。もうこれ以上眠りたくない。眠る訳にはいかないのに、身体が許してくれない。疲れなんて吹き飛ばせ。意識を覚ませ。眠ればそこにはスティージュの沼が待っている。
鏡越しに遥を見つめると、彼女は胸を下から突き上げるように触っていた。
「…………もしかして、暴力と言わずそういう事したか、俺」
「―――兄が魘されてたから落ち着かせようとしたら何回も突き放されただけ」
「ああ………………それはすまん。すまんって別に、意識的にやってる訳じゃないんだけど」
振り返って、遥を抱きしめる。意識があるならそんな真似はしない。
「そんなつもりじゃないんだ。ごめん。お前の気遣いを無碍にしたみたいで申し訳なく思う」
「気にしない。兄はいつも困ってる。私は少しでも力になりたい」
「…………ごめん」
「謝ってばかり」
「兄は何も悪くないのに」
そう、俺は悪くない。だがそんな風に開き直るには遅すぎた。旅は道連れ世は情け、冥府魔道の探偵道に俺はお供している。明衣を悪と認定する限り、俺もまた悪だ。それは覆らない。覆せない。
『お前だけは離れないでくれ』
そんな我儘は、許されない様な気がして。
「シャワー浴びる。昨日は話せなかったけど、『ぼっとん花子』について後で聞かせてくれ」
「分かった」
今日も俺は亻を為す。