天地鳴動の推理劇
「………………なん、だと?」
トイレの中からは観察しにくいので一度外に出て、改めて彼の死体に立ち会った。それで初めて透歌も彼が死んだ事を理解し、すっかり委縮している。
「ぁ、あぁぁあああぁぁあっ…………あ、あ、あああああああああああああ!」
人の死体を見るのは初めてか。ならば身体を震わせ、腰を抜かすのも無理はないかもしれない。あれだけ俺に大声は出すなと言っていたのに、雨を切り裂き雲をつんざく金切り声を上げている。とても正気では居られない様なので、昇降口前に待機させようと思ったが……それを行うには不自然にも明衣に一度同行してもらう必要があったので、やめた。そういう意味でも気安く顎で使えた唯戸君が死んでしまった事が悔やまれる。
「縊死してるけど、近くに凶器はないね?」
「狂気なら傍にいるけど」
「真面目に」
「あっはい。そうだな、こんな真夜中の学校、しかも外でこんな死に方が衝動的に出来るかは疑問だ」
縊死とはざっくり言えばロープなんかで首を圧迫する事で死ぬ事で、一括りに縊死と言っても違う言葉で区別される事もある。これが殺害で、紐を使うなら絞殺、腕や手を使うなら扼殺等。
これは自殺などでも同じで、体重を利用していないから今回は絞死と言うべきなのだろうが……それは一般的な見解だ。体重がかかっていないというのは現場から見た状況判断。同じ死に方を見てきた俺に言わせれば、不可解な事に体重は間違いなくかかっている。
「ふむ、助手よ。私は彼の死因が分かっちゃったよ。君には分かるかな?」
「勿論分かる。死に方としては『ぼっとん花子』に関連のない死に方でも、見た事あるんだから仕方ないよな。彼は自分のNGを踏んで死んだと見るべきだ。でなきゃこうはならない」
NGを破った際の死に方は人それぞれだ。一人一人が必ず違う死に方という訳ではないが、そこには幾つか種類がある。そういう意味なら中尾の破裂死は珍しい死に方だったと言えるが、何故別のパターンが用意されてるかは永遠の謎だ。
NGを破った時点で手遅れとはいえ、助けを呼ぶ事さえなかったのはこの死に方が原因だろう。首が絞まれば呼吸が出来ない。呼吸が出来なければ喋れない。この雨の中だし、物音を立てて俺達の興味を引くというのも難しい。
目玉が飛びだしかねない常軌を逸した死に顔は、彼が死ぬまでの恐怖を遺している。
「せ、先輩はぁぁぁぁぁ…………こここ、こういうの、だだだ、だいじょ、です、なん、か?」
死体に耐性などつかない方が人間的に健全だ。顔を背けて涙をこらえる透歌の背中を擦って、肯定するしかない。
「慣れだよ慣れ。でもお前の反応の方が正しいから気にするな。そうやってずっと目を背けてる方がいい。取り乱して一人になるのも危ないから、傍を離れるなよ」
「ひぃん…………分かりましたぁ」
「彼のNG,結局何だったんだろうね。ハッキリはしなかったな」
「そんな事言って、お前は気付いてたんじゃないのか?」
「ううん、全然。幾ら私が名探偵でも推理材料が足りない。助手、それは買い被りすぎだよ。判断出来る材料がないのに分かってたらエスパーじゃない」
「……まあ確かに、お前は俺と一緒に居たから踏ませるのは難しいか。しかし自分のNGをうっかり破る馬鹿なんて居るのか? 割と大真面目に考えられない」
NGを破れば死ぬというのは、別に試さなくても分かる。物心ついた時から両親の区別がつくように、それは何となく最初からハッキリしているモノだ。だからもし、うっかりで死ぬ危険性がある内容なら高校に進学するまでに死んでいる。人生を少なく見積もって六〇年とし、高校までの一六年はおよそ四分の一。さりとて日数に換算すれば五〇〇〇日以上も経過している。例えば彼のNGが『影を踏んではいけない』だとしたら、今日までに一度も破らないのは不可能だ。
「考えられなくても、彼がNGを破って死んだのは間違いない。ちょっと死体を調べてみようか。死後硬直が始まっても面倒だから」
現場保存という概念は明衣に存在しない。推理だけが生きがいのシャフテキ探偵らしくポケットを調べたり制服を引き裂いて裸体を確かめたり。助手として力を貸すのはもう少し先になりそうだ。
「……そう言えばなんだが、蛹山君は右手にだけ手袋してるんだな。ポケットに手を入れてるから気付かなかった」
常にそうだったとは思わないが、彼には特別注目していなかったのでポケットに手を入れていた印象しかない。明衣は握り込んでいた手を開かせると、手袋を外して俺の方に投げつけた。
「私は素手を調べるからそっちお願い」
「いや、普通の手袋だが…………そう言えばお前、ハッキリしなかったって事は見当ぐらいはついてたのか?」
「初歩的な事だよ、助手。私は名探偵だよ? それぐらい分かって当然! そもそも蛹山君は手芸部じゃないからね」
「何?」
とても、初耳な情報。
「知ってたのか、お前!」
「推理に必要とあらば全校生徒の情報を暗記するくらい訳ないよ。ふふ、もっと褒めてくれてもいいんだぞ?」
「そういう風に調子に乗るから褒めないけど。だったら言えよ」
「言って欲しかったんだ? じゃあ今度から言うね。助手がクラスに流してる私の写真をクラスメイトが更に流して下級生に売ってるって事」
「それは…………なんか嫌なビジネスモデルになってるみたいだな……」
最初にこの商売を思い付いた俺は間違いなく天才だが、二番煎じで真似をされると商法として如何に悪質か良く分かる。写真の中の明衣はさながら純白の女神であり、面識が無ければ心まで清らかに違いないと思い込む可哀想な人間も生まれてしまう。
クラスメイトは中身の悪辣さを知った上でBが九八の見た目だけを頼りに自慰に使っているが、それを流された後輩に同じ事を要求するのは酷だ。会社を興した初代、初代の苦労を知る二代目、苦労を知らない三代目と同じ様に、彩霧明衣という女性を知らないで嫌悪しろというのは不可能に等しい。
「大切なのは偽った先が手芸部って所。役立たずって思われるのが目に見えてるなら、空手部でも柔道部でも嘘を吐けばいいのにね」
「体格でバレそうな嘘だな。まあ新入生だし、身体づくりから始めてるって事なら俺も疑わないけど」
「それで右手だけこんなに防御してるんでしょ? だから私の推理によると手芸部っていうのはNGを誤魔化す為の嘘で……手を守りたかったんじゃないかなって思ってるんだ。ほら、手芸部って手先の部活だから手を怪我するイメージがあるでしょ? そう言っておけばNGが手に関連する物とは思われなくなるみたいな」
「―――おい!」
「うん。おかしいよね。まるで誰かからNGを見破られまいとしていたみたい」
ね? と愉しそうな笑顔を浮かべる明衣とは対照的に、俺は背筋が凍り付いていくのを感じた。体内の水分が結露して張り付いている様だ。明衣がNGを見破ろうとしてくる事を知るのはクラスメイトのみで、知っているからこそ積極的に関わらない。それをするのはNGと復讐の都合上、俺だけになる。
だが俺は蛹山唯戸にまで警鐘を鳴らしたつもりはない。一体誰がそんな事を。
「……あれ、助手。どうかした? 顔色悪いよ?」
「…………お前の目がイカれてるだけだ。俺は至って普通」
「もしかして自分が疑われてるって思ってる? ふふ、そんなの心配しなくてもいいのに。だって助手はいつも推理を手助けしてくれるもの、私の邪魔なんてしない。そうでしょ?」
「……そうだな」
「そんな事より、今からお腹の中みたいから切り開いてくれる」
「えええええ!」
声を上げたのは、またも透歌だった。
「お、お、お腹きりひら、え? ええ? う、嘘? 嘘ですよね! 何でそんな事!」
「見た目が縊死っぽく見えるだけで本当は違うかもしれないから解剖するんだよ。助手、ハサミ」
「…………はいはい」
「先輩!」
「NGを破って死んだ奴は何故か消える。法律には疎いけど本来なら死体損壊罪とかに引っかかるのかな。でもまあ、現物が無いならバレようがない」
「け、警察! 警察に言わなきゃです! 通報します!」
「やめろ。そんな事しても無駄だ。明衣は捕まらない、手伝ってる俺だけが罰せられそうだからやめてくれ」
「やだあ! おかしいよ二人共! 何でそんな平然として居られるんですか!? 人が一人死んでるのに当然みたいな顔して何してるんです! もうやだ! やだやだやだやだや! 信じられない! 信じなくて良かった! 蛹山君頼ったの間違ってなかった!」
――――――コイツ。
まさか透歌が教えたのか。
今回も俺は、信用されなかったのか?
後ろ歩きで下がっていく後輩を咎められない。それを追えば、追いつかないといけない。距離が離されればNGを踏んでお終いだ。明衣の傍に居る方がリスクを回避出来る。
「通報通報通報! 警察呼んで対処! これが一番なのぉ! 二人は犯罪者! 死ね! 死んじゃええええええ!」
「おい、待てよ透歌。一人で何処かに行くなって!」
傘も持たず、透歌は奥の暗闇に駆け込んでいってしまった。明衣に今の発言が引っかかっていないかが心配だ。十中八九蛹山君に探偵のクソ性質を教えたのは彼女。お陰様で絶賛命の危機だ。自衛の為には切り捨てないといけない。勿論、そんな事はしたくないけど。
「追わなくていいの? 助手、信用されてたんじゃなかった?」
「―――危機を救ったからある程度は信用されてたけど、これまでみたいだな。俺もお前同様、情報を聞き出す事は出来なくなった。これでイジメの真相は闇の中だ。まあ、お前にはどうでもいい話か? NGさえ分かればそれでいいんだもんな」
「まだハッキリした訳じゃないよ。けどさ、私のだいっすきな助手に『死ね』って言ったよね」
「………きーめた。あの子のNG、暴いちゃおっ♪」
この状況で明衣を止めれば俺にも疑念の刃が向けられる。どうにか止めてやりたいが、明衣からも透歌からも協力が得られないなら絶望的だ。
明衣が横で髪を後ろに束ねている内に俺は持っていた鋏で後輩のお腹を切開。力任せに切り開いた事でハサミも切断面もぐちゃぐちゃになったが、臓器を取り出す分には問題なさそうだ。こういう事は毎回行っている訳ではないが、実際何を見たいのかは俺も分からない。臓器を外に全て運び出すと、明衣は遠目から携帯のライトをつけて空っぽになった身体と、雨に打たれる臓器を観察している。
「ん。いいよ」
「結局何を見てるんだ?」
「今はまだ言えない。残念。収穫も無かったから『ぼっとん花子』にもどろっか」
それから明衣を生贄に『ぼっとん花子』を呼び出すあらゆる方法を試したが、間違っているのかそもそも存在しないのか。ついぞそれが現れる事はなかったし。
中尾のNG死で気絶した二人が目を覚ます事もなかった。