一糸乱れぬ死に様と散れ
「どうした!?」
かねてからの約束通り、一番にトイレへ駆け込んだのは俺だ。いざという時は必ず助けに行く。助かるかどうかはともかく―――いや、そんな事を気にしている場合ではないくらい全速力で。叫び声が聞こえたという事は『ぼっとん花子』ではないか。しかし俺の感覚が正しければ、それは透歌の声であったような。
「せせせせせせんぱぱぱぱぱぱぱあ! わわわわわあああああああ!」
入口に足を踏み入れた瞬間、腰が抜けた様子の後輩が這うように足にしがみついてきた。向こう側に花子の姿はなく、トイレは深夜の静寂を保ったままだ。
「居た!?」
「いや…………透歌。叫んだのお前だよな。何があったんだ?」
「そ、それが……な、中。中見てください……!」
「中?」
女子トイレの個室を俺に開けろと言っている様だ。誰も居ないのは分かっているが、どうしてこんなドキドキするのだろう。実は『ぼっとん花子』が出現しているから? 俺を見代わりにしようとしているとか?
そうじゃなくて、もっと違う……関係のない、胸騒ぎ。
「…………あん?」
勇気を振り絞って扉を開けると、中で寝転がっていたのは二人の女子。名前は分からないが、よく見るとその二人は中尾の取り巻きとして透歌を虐めていた二人ではないか。
「あれ、柊と坂月じゃないですか」
肩越しにトイレを覗き込んでいた唯戸がぼそっと二人の名前を明らかにする。そんな名前だったのか。確か二人は中尾がNG破りで死んだ時に静かになって……恐らく気絶したものと思われるが、まさか気絶しっぱなしだったのか?
それは非常に考えにくくは無いだろうか。普通、保護者が心配する筈だ。頻繁に夜遊びをする人間ならその限りではないとしても……クラスにいつまでも戻らない二人を誰も気に留めなかったのだろうか。透歌はラッキー程度に思っていたのかもしれないが……
「この二人がいつまでも寝てたら検証が出来ないな。蛹山君、悪いけど二人を引っ張り出してくれないか」
「人使いの荒い先輩ですね。まあいいですよ、眠ってるのいい事にいろんな場所触るんで」
「ああ……そう。そこまで守るつもりはないから後で訴えられたきゃ勝手にしてくれ。俺は知らない。運び終わるまで俺は透歌のメンタルケアしないといけないから、暫く一人にするぞ。大丈夫か?」
「へいへい。まあ問題ないっすよ。その辺の教室にでも入って寛いでてください」
入れねえよ。
と思ったが、元々鍵を用意してなかったのに入れたので、誰かが開けたのだ。多分先に来た奴。足にいつまでもしがみついてくる後輩を抱き上げると、明衣の待つ廊下に帰ってきた。
「ぼっとん花子居なかったんだ。残念」
「状況再現が甘かった。まだ中に人が居たんだよ。だから一旦仕切り直しだ。透歌、大丈夫か?」
「ううううぅ……えぐ……ひっく……」
「あーもう泣くなよ。別に二人共死んでた訳じゃないんだから。仮に死んでてもそれはお前のせいじゃないから気にするな。明衣。お前も何か言ってやれよ。依頼人の心に寄り添うのが探偵だぞ」
「はにゃ?」
「気持ち悪いから変な言葉を返すな。何も言う事はないってか? 生まれてこの方誰も慰めた事がないって?」
「うーん。透歌ちゃん、せっかく自分でボディーガード雇ったんだから私の助手に泣きつかないでよ」
こいつに慰めようと言う気持ちは微塵もなく、ただの追い打ちをしてきた。透歌はそんな直球の拒絶など意にも介さず、俺を抱きしめている。泣きじゃくる……女の子…………
『いゃ! いやぁあ……! た、たすけ……のい………!』
「…………」
嫌な記憶がフラッシュバックした。忘れそうもない記憶、だが思い出したくもない記憶でもある。特別変わった意味はないが、彼女の背中に手を置いて擦る。我慢ならなくなった明衣が割り込んで、透歌を引きはがした。
「泣いたフリして頼るのナシ。そう言うの卑怯だよ」
「ち、ちが……」
「これで運び出しましたけど……どういう状況っすかこれ」
「お、不用心棒君。有難う」
「そんな名前じゃないです。いやあへっへっへ。俺の好みじゃなかったんでちゃんと触らないであげましたよ。二人には感謝して欲しいっすね」
「セクハラしないのは当然の事なんだが、何をそんなに誇らしげなんだ? 他に誇れる物がないのか? ああ、手芸部だから誇るべきは創作物で自分には何もないのか。そりゃ悪かったな」
「郷矢先輩さっきから俺に当たり強いですよ。何なんすか?」
「明衣を変な目で見ると後で損するのは君だからな。そういうつもりで、当然のようなセクハラには厳しく対応している。さて、透歌、行けるか?」
「むむむむむむむむ! 無理ぃですずうぅぅぅぅぅぅ!」
「こんな使い物にならない子じゃなくて、私が行こっか」
「……」
明衣を行かせるのは、どうだろう。
今ここでコイツと離れる分にはNGを踏まない。そして当人は話している時から分かるように基本的には淡白だ。怖がって話が先に進まないという事もないだろう。『ぼっとん花子』に誰かが殺されたという話も聞かないから行かせてもいいが。
胸騒ぎがする。
俺に言わせると明衣はNGを利用した殺人を認識していない訳ではなく、単にすっとぼけているだけだ。トイレでコイツを単独にすると、そこに何らかの仕掛けを施す可能性がある。探偵名物『今はまだ言えない』。実は透歌なり唯戸なりのNGに気づいている可能性がある。
「いや、お前が行ったらお化けの方が怖がって出てこないだろうから、透歌しかない」
「それ、どういう意味?」
「でも本人はこれだから、状況再現としては甘いけどまずは男が行こう。そんな訳で蛹山君、頼んだぞ」
「え、その流れはどう考えても郷矢先輩……」
「駄目! 先輩は行かない! 貴方が行ってええええええええ!」
まさか反論の急先鋒が彼女(予定)の透歌だと誰が想像しただろう。蛹山君は終始呆気に取られ、しかし彼女の言う事を聞かない訳にもいかないと、渋々納得してくれた。俺の予想だと個室に物を入れるのは女子でなければ現れない筈だ。一応、存在しているという仮定なら。
何故なら毒蜘蛛と称して蟲を入れたのは女子であり、そうでなければここは女子トイレではない。邪魔者二人をどかした今、個室に物を入れる程度の行為に恐怖はないだろう。
「……彼女にすんの、間違えたかな」
「お互い様だな。下心だけで交際しようとすると碌な事にならない。これに懲りたら約束を果たした瞬間にでも別れる事だ。本当の恋ってのを探せよ」
「うわ。先輩がなんか先輩風吹かせてなんか言ってら。分かりましたよ分かりましたー! 俺が行けばいいんでしょ! 付き人のつもりでしたけどいいですよ! 身代わりになりますよ!」
「じゃあ改めて個室に何でもいいから入れてみてくれ。俺は廊下で様子を窺うけど、怖くなったからって逃げるなよ?」
「逃げませんってそりゃ。こんな暗い夜道を一人で帰るとか正気の沙汰じゃないんで」
唯戸は任せろと言わんばかりに胸を叩いて、意気揚々と女子トイレの中へと入っていった。ここだけ切り取ると常習犯の変態っぽい。
廊下で待つとは言ったが、季節も季節、そして後輩が抱きついている現状暑苦しくてたまらないので廊下に座り込んで頬を壁につけた。
「ポータブル扇風機でも持ってくれば良かったね」
「雨の中持ってくるのかよ……ああ、雨だからなんか蒸すんだな。最悪だ」
「すん、すん…………ぐす」
ターゲットから外れて少しは落ち着きを取り戻したか。胸の中の後輩はいつまでも顔を上げないが、心拍は落ち着いた。
それから五分経っても。
十分経っても。
蛹山唯戸は帰ってこない。
「…………なんか、変だね」
「様子を見てくる。明衣、一緒に来い」
「助手が先導するなんてちゃんちゃらおかしな話だけど、いいよ」
「あ、先輩、待ってください!」
透歌がすっかり泣き止むほどの時間、彼は何をしたのだろう。女子トイレの中に彼の姿はなく、窓だけが景気よく開いて、外から雨を呼び込んでいた。
「………………に、逃げた」
「ええ!? つっかえない奴! せっかく私が彼氏にしてやるとか言ったのに!」
「え?」
「ん」
「あ……い、いえ。何でもないです……」
…………二面性くらいあるか。
それもこんな危機的状況ならそういう事もある。振り返ると、隣に立っていた筈の明衣が窓から外を覗き込んでいた。
「おい、濡れるぞ!」
「少しくらいは大丈夫だよ助手。それよりも…………ねえ、窓の真下を見て? 今スペース空けるから」
「は? 真下……?」
明衣が戻ってきて、代わりに俺が窓から上半身を突き出した。言われた通り真下を見やると。
蛹山唯戸が、首の前で両こぶしを握りながら死んでいた。それはまるで首を吊ったようで。
「………………マジ、か」
まるでというより、その物だ。彼は縊死した。