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芭蕉謡の怪(阿部正信集録)

作者: 秋島武雄

これは安倍郡(あべのこおり)駿府城(すんぷじょう)にまつわる話である。


なんでも駿府の町で噂されている話だということだ。


駿府城では「芭蕉(ばしょう)」の謡をすることが禁止されている。そのいわれを聞いてみると、昔、駿河の国主の今川義元が、隣国の織田信長との合戦で尾州(びしゅう)鳴海(なるみ)に出陣する際、軍兵を閲した。


その時、義元は戦いの門出に「芭蕉」の()()を謡った。


これを聞いていた近習の松田左膳某(さぜんなにがし)が進み出て言った。


「御屋形様!このご出陣の門出に『身は古寺の軒の草…』などとは忌まわしい文句……その謡、ただちにお止め頂けますでしょうか!」


左膳の言葉を聞いた義元は激怒した。


「なにをー!こざかしい奴め!勝敗というのは時の運で決まるものなのだ。どうして謡の吉凶なんかで戦いが決まるものか!お前のような奴のくだらん話を聞いては、兵の士気に関わる。この不忠者が!」


そう言うと義元は左膳を一刀のもとに惨殺してしまった。


「ふはははは!必ず信長めをして、こやつのようにしてやるわ!」


左膳を殺した義元はそう叫ぶと気色ばんで出陣した。



この時の戦はあまりにも義元方が優勢であった。


その様子を見た義元の心は(おご)っていた。


「見ろ!さきほどは左膳が縁起でもないことを言いやがったが、むしろ俺があやつを誅してそれを信長に例えてやった通りに、この戦は我らが勝ちも同然だ…だが惜しむらくは今、信長の首をここにあげられないことだな…」


義元がそう言いった時だった。


不思議なことに、空中に声がした。


「よしや思へば定めなき……世は芭蕉葉の夢のうち……」


なんと左膳の声で、「芭蕉」の謡が空に大きな音で響き渡るではないか。



「…見てろ…今に思い知るがよい!」



空中の声がそう言ったかと思うと、突然、空はかき曇り、にわかに大風が吹いて、砂や石を飛ばし、木を倒し、降る雨は(しの)()くが如しである。


雷も鳴り響いて、義元方の兵士たちは恐れおののいてしまった。



義元はこの様子にいったん戦を止め、陣を張って、酒宴を催した。


その時だった。


信長の軍勢が義元の本陣に一気に突入し、義元はあっけなく討ち取られてしまった。



このことはひとえに左膳の呪いだと噂された。その後、駿府では「芭蕉」の謡を謡えば、左膳の亡霊があらわれるなどといった噂が流れ、ついに「芭蕉」の謡は行われなくなってしまった。



時が下って元和の末、徳川頼宣が駿府城主だった頃、「今は時代もかわったことだ。もう『芭蕉』の謡も忌むべきものではないだろう」ということで、この能を行わせた。ところが、その年に彼は紀州藩へ国替えになってしまった。これにより徳川忠長が駿府城に入ったが、やはり「芭蕉」の能を催したところ、改易となってしまった。


こういったことが重なったので、駿府では「芭蕉」は行われなくなった。


このことは町奉行久松忠次郎某の組同心、坂本元右衛門某という者が語ったものによる。


「芭蕉謡の怪」(『駿国雑志(すんこくざっし)』巻之廿四下より)

〔原文〕


安倍郡府中御城にあり。駿府雑談云。今は昔、駿府御城内に於て、芭蕉の謡を停止す。其権輿を尋ねるに、国主今川義元、織田信長公と国を争い、尾州鳴海に出張すべしとて、軍兵の列を糺す。此時義元、首途に芭蕉のくせを謡はる。近習の士、松田左膳某、是を聞き、御出陣の門出に、身は古寺の軒の草とは、忌はしき文句也、御止め候て、愛度御出陣あれかしと申す。義元怒て、それ勝敗は時の運也、何ぞ謡の吉凶によらん、汝無用の舌を動かして、人情を折く、不忠の甚しき者也と、只一刀に惨殺し、必信長をして、汝が如くなすべしと云つつ、気色ばふて出陣す。時に此戦大に利あり。義元心驕り諸軍に向て、先に左膳、兵の英気を折く、我是を殺して信長に譬へ、其勢ひを以て出陣す。故に兵気強く、戦大に勝を得たり、惜らくは今日、信長が首を見ざる事をと云時、不思議哉、空中に声ありて、よしや思へば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうちと、大音に謡ひ、見よ今に思い知らせむと、云かと思へば、忽天かき曇り、俄然として大風起り、砂石を飛し、古木を折り、降る雨、篠を衝が如く、雷電大にはためき渡りて、恐怖せざる者なし。義元戦を止め、甲冑を脱ぎ、幕をたれて酒宴す。信長公時分はよしと、本陣に突入、義元を討とる。是偏に、左膳が霊の所為也と沙汰せり。或は芭蕉を謡へば、左膳が亡魂顕るなど流説して、終に謡はざる事となりぬ。元和の末、中将頼宣卿在城の時。今は御代も替たれば、芭蕉の謡も忌べきに非ずとて、初て此能ありけるに、其年紀州へ国替あり。是より大納言忠長卿の領と成り、在城の時、此能を催されしに、其年■ありて御番城と成る。是より弥此謡を停止すと、此事、町奉行久松忠次郎某組同心、坂本元右衛門某と云者語りき。云々。


(※上記の原文は「国立国会図書館デジタルコレクション」の『駿国雑志』4,怪異(吉見書店、1912年)の画像<マイクロフィルム>を翻刻したものです。この話を現代語訳で紹介しているものに堤邦彦『現代語で読む「江戸怪談」傑作選』(祥伝社、2008年)があります。)



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