その90 ケンカ
「どういうこと? ……ホズミさんの……死刑が、決まってたって」
すると奏ちゃん、イタズラが上手くいった子供のようにケタケタと笑って、こう言ったんだ。
「しれたこと。あちしは最初から、ホズミとの関係がこじれるようにするつもりだったのよ」
「えっ」
あたしは、耳を疑った。
続けて何か訊ねる前に、奏ちゃんは嬉々として答える。
「やり方は、……ま、いくらでも考えられたでし。かるく挑発してみるとか、わざと銃を見せつけるとか。……あいつ、ちょっとしたことで簡単に敵を作るタイプでし。喧嘩するのは、難しくなかった」
そんな……。
あたし、地べたに座り込んだまま、目の前の少女の顔を見る。
信じられない。
なんで?
どうして?
どうしてそんなに、よく知らない人を、そこまで憎めるの?
人と人は、わかり合うべきなのに。
そういう気持ちが大きかった。
実際にそう、彼女に言った気もする。
でも奏ちゃんは、そんなあたしを軽蔑するように見て、
「ノーミソお花畑のミソラちゃんに、教えてあげる。……この世の中はね、良い状態が維持される力より、悪い状態に変化していく力の方がよっぽど強いの。だから結局、コインの表裏は関係なかった。あちしが、奴を殺すと決めたその瞬間から、こうなることは決まっていたんでし。あとは結局、過程の違いに過ぎなかったの」
はっ、はっ、はっ……と、浅い呼吸をする。
――一色さんのとこは、ウチの団地でも変わり者で通ってたからね。……噂によると、親御さんが育児放棄キメてたって話。
――そ。あの娘、すっごい小柄でしょ。あれ、栄養失調が原因なんだって。
仲間だと思っていた娘は、……歪んだ魂の持ち主だった。
その時あたしは、そう思った。
「……なんで?」
思わずあたしは、訊ねている。
「ホズミさんに……むかし、何かされたの?」
「んーん、なんにも? 初対面でし」
「じゃあ、なんで」
「別にあちしは、ホズミだけを憎んでるわけじゃない」
「……どういうこと?」
すると彼女は、世界中に向けて意思表明するように、胸を張った。
「あちし憎んでるのは、――この世に存在する、すべての男なの」
「全ての?」
「うむ。やつらは生物として、明らかに劣ってる。どっかのタイミングで絶滅させた方が、世の中きっと、より良くなるもの」
しょーじき言ってあたしには、彼女が何を言ってるか、よくわからなかった。
「そんなあちしの最終目的は――……この地球上に存在する全ての男を、皆殺しにすること!」
みなごろし。
漫画の中に登場する悪役のようなセリフに、あたしは戦慄する。
――そんなことしたら結局、人類は滅びてしまうのでは?
とか、どうとか。
なんだか間の抜けた感想が、頭に浮かんでいた。
気づけばあたし、ポケットから”ウィザード・コミューン”を取りだしている。
――本当に危険なのは、ホズミさんじゃなかった。
あたしが倒さなきゃいけないのは……他ならぬ、一色奏だったんだ。
その時だった。
奏ちゃんが拳銃を抜き、発砲したのは。
結論から言うとそれは、あたしの背後にまで迫っていたゾンビを一匹、始末しただけのことだったんだけど……その行動が、発端になってしまったんだ。
「……ッ! 変身!」
変身の合い言葉を叫ぶと、――しゅるしゅるしゅるしゅる! という音と共に、あたしの洋服が、分解・再構築されていく。
あたしの肌から非現実的な虹色の輝きが放たれ、もさっと毛量が増える。
――”終末のガンスリンガー”と、敵対しています。
――彼女を殺すか、降伏させてください。
「…………はははッ」
あたしと同じく、アリスちゃんのセリフが聞こえたんだろう。
奏ちゃんは、酷薄な笑みを浮かべて、
「残念だけど……お前じゃあ、あちしには、……勝てない!」
”少女漫画フィルター”を通した奏ちゃんは、子猫のように可愛らしかった。
けれどあたしにはそれが、邪悪を隠すオブラートに思えている。
あたしは、即座に彼女に手をかざし、
「――《ういんど》!」
そう叫ぶ。
ホズミさんと戦ったときに比べて、上がったレベルは、3。
あたしの魔力も、それだけ強くなっている。
ぶわっ、と、不可視のエネルギーが前方に出現。小柄な奏ちゃんなんか、明後日の方向に吹き飛ばしてしまう……はずだった。
けれど彼女、突風の中でも、鼻歌交じりって感じ。
「……なっ」
効いていない。完全に無効化されている。
だって彼女、髪の毛一本、揺れていないんだもの。
――普通じゃない。
たぶん、何らかのスキルの影響を受けていっぽい。
「……あれー? いまなにか、したぁ?」
奏ちゃん、嫌みったらしくそう言った。
しょーじき、すっごく悔しかったけど、もうどうしようもなかった。その時初めて気づいたんだけど、《風系魔法Ⅰ》が発動している間は、他の呪文を唱えることができないみたい。
「そんじゃ、……次はこっちのターンってことで……」
まずい。
そう思った頃には、すでに彼女の弾丸が、あたしの両足を撃ち抜いていた。
その早撃ちの見事さたるや……ハリウッド映画で見たヒーローのそれより、よっぽどすごい。
「……!」
あたしは前のめりにくずおれて、額を地面に、強か打つ。
「く……そ……!」
「わかってないなぁ、ミソラ。――ホズミにトドメを刺したのは、あちし。……つまり、経験点を多く得たのも、あちしってこと」
「ううううう………」
憎悪に身をよじり、奏ちゃんを睨む。
《風系魔法Ⅰ》の効果が切れた瞬間を見計らって、あたしは叫んだ。こうなったらもう、破れかぶれだ。
「……っ。み、《みずまほー・2》!」
《水系魔法Ⅱ》。
どういう効果があるかわからないけれど、試してみる他になかった。
「…………って、――あれ?」
けれど、……ダメだったんだ。
少なくともこの魔法は、地面にぶっ倒れたまま使うタイプのものじゃなかったみたい。あたしの手のひらに、ざばーっと球形の水の塊が産み出されて、すぐに形が崩れてしまった。
そんなあたしに、奏ちゃんは一切の容赦なく、銃口を向ける。
「次のは、痛いでし。――《雷撃弾》ッ」
その、次の瞬間だった。
あたしの全身を、強烈な痛みを貫いたのは。
これほどの痛みを受けたのは、……あたし史上、かつてないことだ。
「ぐ、ああああああああッ……」
悲鳴を上げ、地面の上をのたうちまわる。
心が、へし折れる。
けれどあたしは、戦意を失っていなかった。
まだ、試していない魔法がある。
《地系魔法Ⅱ》。新しく覚えた呪文の一つだ。
「つ、……《つちまほー》……」
あたしがそう詠唱した、その時だった。
「――ッ!?」
奏ちゃんの足元から、長方形の壁が出現したのは。
それは、3×6メートルほどの、ブロック塀に似た何かだった。
強烈だったのは、それが出現した、速度。それはまるで、高速道路を走るトラックみたいだった。
奏ちゃん、悲鳴を上げる暇もなく、――宙空に投げ出された。
彼女、声も無く苦悶の表情を浮かべている。
「……………っ。まだだ……!」
最後の力を振り絞り、駆ける。
もう、一撃。
あの娘に、決定的なダメージを喰らわせてやる。
もうこれ以上この世に、哀しい人が現れないように。
けれど、喧嘩はそこまでだった。
「ストップ、です」
ふと、雛罌粟雪美、――ロボ子ちゃんの声が聞こえて。
次の瞬間、あたしの首筋に、とすんと衝撃が走った。
たったそれだけであたしの意識は、すぱっと暗闇の中へ消えたのである。