その89 悪意の在処
たそがれ時。帰り道。
女子高生が三人、肩を並べて歩いている。
ぱっと観た感じ、仲良しグループの帰宅途中ってかんじ。
けれどその辺りには、ゾンビの死骸があっちこっちに散乱しているんだけども。
なんとなーくもの悲しい空気が、あたしたちの間に流れていた。
――あたしたち、立派に戦ったよ。
――その結果、強くなることができた。
――あたしたちは今日、着実な一歩を踏み出したんだ。
達成感は、ある。
けれど正直、……これからずっと、こんなことを続けなきゃいけないのかと思うと、すこし気が遠くなるような気持ちになったんだ。
「ものすっごい大変なアルバイトの初日……ってかんじ?」
奏ちゃんが、そう例える。
あたしたちはそれぞれ、無言のまま頷いた。
こういう、表現力って大事だ。心の痛みを、少しだけ癒やしてくれるから。
その言葉が皮切りになって、ぽつりぽつりと、あたしたちの間に会話が生まれていく。
最初に話題を提供したのは、……雛罌粟雪美。
あたしたちの間では”ロボ子”と呼ばれている女の子だ。
「ミソラ。……ひとつ、質問よろしいでしょうか」
「ん? なあに?」
「コーヒーというものは、銘柄によってそこまで、味が違うものなのですか?」
「ん。……もちろん、ぜんぜん違うよ。……ブルーマウンテンはバランスが良くて、コロンビアはちょっと甘め。モカはチョコレートみたいな風味がある……とかね」
「ふむふむ、なるほど。ちなみにミソラは、どの味がお好みで?」
「えっ? あたしの好み? ……そーだねえ。強いて言うなら、マンデリンかな」
「マンダリン? 『アイアンマン』の悪役の?」
「えっ。……あいあん……なに……?」
「――む。失礼。そんなわけがなかった。オタク知識がまろびでた」
ああ、漫画の話だったんだ、いまの。
「ところで、……なんでまた急に、コーヒーの話を?」
「これから、いろいろと楽しめそうだと思ったもので」
「どーいうこと?」
「気づきませんでしたか? 飯田さんの家のキッチン、実に多様なコーヒー豆が保存されていたんですよ」
あたし、ハッとして、ロボ子ちゃんの顔を見る。
「……そっ。……そうなんだ」
「飯田さん、どうやらコーヒー好きだったみたいですね」
ちくりと、胸が痛む。
――心にぽっかりと穴が空いて、そこから血が、ぶしゅーっと噴き出る。
そんなイメージが、あたしの頭の中に浮かんだ。
でもね。
それが決定的なきっかけだった訳じゃあなかった。
こーいうのはきっと、色んなことの積み重ねなんだ。
太陽が、どらまちっくに沈んでいくさま、とか。
人影が、まるでオバケみたいにこっちを睨んでいる気がしたり、とか。
ポケットの中に突っ込んだ、羊皮紙の違和感、とか。
くたくたに疲れ果てた手足。ぺこぺこのお腹。巻き爪が痛む親指。髪の毛がぼさぼさなこと。お風呂入りたい。歯を磨きたい。
そして、――今さらになってやってきた、罪悪感。
あたし、変身している間はハイになっちゃってるからさ。
正気に戻って初めて、自分のしたことに気づいたりするんだよねー。
だから、まあ。
心の器に溜まった水が、ちょっぴり溢れちゃったわけ。
具体的に何をしでかしたかっていうと、――あたし、その場にへたり込んじゃったんだ。
「ん。どーしたんでし?」
その時はたしか、晩ごはんどうしようかって話をしてる最中だったから、奏ちゃんとロボ子ちゃん、びっくりしちゃったみたい。
「ごめん」
溺れそうな気持ちになりながら、あたしはようやくそれだけ、口にした。
奏ちゃん、すこし離れたところにいるゾンビに気を配りつつ、
「ここに居るのは危険でし」
と、当たり前のことを言う。
けど、その時のあたしにとっては、何もかもどうでもよくなっちゃってた。
昨日の昼まで、普通の女の子だったのに。
今や、あたしたちの肩に乗っかっているものは、あんまりにも大きい。
そしてもう一つ。
確信して言えることがあった。
寝るとき。
お風呂に入るとき。
友達と話すとき。
美味しいものを食べるとき。
色んな、楽しいことをしてるとき。
ホズミさんはきっとまた、現れる。
あたしのことを、恨めしい目で、じっと見つめてくる。
んで、こう思っちゃったのさ。
そんな人生に、どれほどの価値があるんだろう……ってね。
――だっておぬし、あんまりにも普通なんじゃもん。
アリスちゃんと出会ったとき、そんな風に言われたのを思い出す。
その瞬間、決定的に気づいちゃったんだよ。
あたしには、向いてない。
あたしは、この物語の主人公じゃない。
……ってさ。
あたし、今になってようやく、気づいたんだ。
自分の才覚に。その限界に。
「どうしましたか。ミソラ。……辛くなってしまったのですか?」
ロボ子ちゃんが、あたしの顔を覗き込む。
そして、
「元気を取り戻し、気力を奮い立ててください」
言っちゃあなんだけど、毒にも薬にもならないことを言った。
「あなたが今日したことは、とても意義のあることだったんですよ」
残念ながら、そうは思えなかった。
――かぞくに会ったら、言ってくれ。おれは最後に、正しいことをした、と
ホズミさん、はっきりそう言ってた。
正しいことをしたって。
家族に誇れることを……したんだ、って。
悪意は、なかったんだ。
悪意は。
それなのにあたしたち、彼を殺してしまったの。
ロリコンで、ちょっぴり厭な冗談を言う人だったけど……コーヒーが大好きだった彼を、殺してしまったの。
そこまで考えてようやく、あたしの両目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
情けない。
今日会ったばかりの友達に、カッコ悪いところを見せてしまっている。
そんな風にも思ったけど、涙はぜんぜん止まらなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……あたし……」
アリスちゃんと、出会わなければよかった。
そう思った。
「あの……その……」
オロオロとするロボ子ちゃん。
彼女、こういう感情の発露が苦手みたい。
「ご……ごめんなさい。きっと私が、彼のコーヒー趣味のことを話題にしたせい、ですね……」
なんて、頭を下げてくれたりして。
でも、違うんだ。
あたしが苦しんでるのは、ロボ子ちゃんのせいじゃないから。
あたしは、アスファルトをぽつぽつと濡らす涙をじっと見つめながら、このまま死ぬことを考えた。
難しいことじゃなかった。
”ウィザード・コミューン”を棄てて、ゾンビに食われれば良いんだって。
でも結局、……あたしにそうさせなかったのは――奏ちゃんだった。
小柄な彼女は、しばらくの間、あたしの顔をじっと覗き込んで、こう言ったんだ。
「アホか、おまえ」
と。
「……どういう、こと?」
苦しんでいるところに、さらに冷や水をぶっかけるような真似をされたものだから、さすがにムッとする。
この娘の、皮肉っぽいところは理解しているつもりだった。
これまで作った、どんな友達とも違うタイプの人間だということも。
「なあ、ミソラ。おまえしゃんもしかして、自分のこと、物語の主人公かなんかだと思ってる? ――この世で起こる、ありとあらゆる問題を、自分の制御下におけるとでも?」
「………………」
それは、図星。
だけれど、今回の件は、話が別。
だってそうでしょ?
ホズミさんとの関係が壊れたのは……あたしの判断ミスが原因なんだから。
するとどうだろう。
奏ちゃん、「ちょっと近所迷惑では?」ってくらいのトーンで、
「ば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~か!」
と、叫んだ。
これにはロボ子ちゃんもびっくりしたみたいで、目を白黒させている。
「あんた、そもそも問題、……あちしたちがここにいる原因、なんだったと思う?」
「そりゃあ」
奏ちゃんが、飯田保純さんの情報をあたしたちに流したから。
「そう。……その時あちし、こう言ったよね。『これから三人で協力して、こいつを殺す』って」
「そうね」
「ぶっちゃけその時点でもう、奴の死刑は決まっていたんでし!」
奏ちゃん、まるであたしをあざ笑うような口調で、そう言った。
あたしはというと、――信じられないような思いで、彼女を見つめている。
ポケットの中の”ウィザード・コミューン”を、ぎゅっと握りしめながら。