その88 感謝の言葉
――”例のあれ”は、暴君だった。
――”例のあれ”は、意志薄弱な男だったよ。
――”例のあれ”は、身体の大きな赤ん坊だったように思う。
――”例のあれ”はこの場所を、彼の楽園にしようとしていた。
――”例のあれ”はきっと、そのうち人を殺していただろう。
――いや。それはどうだろう。”例のあれ”にはそもそもそういう、意志の力すらなかったんじゃないか。
――おれはあの人が、部屋で一人、ぽろぽろと泣き崩れているのを、見た。
――ゾンビを一匹、殺した日のことだ。
――彼は、我々にそう見せかけていたような、”頼りになるパパ”じゃあなかったんだよ。
――それでも、俺はこう思うね。あの男が死んでくれて良かった、って。
――”例のあれ”は、何かをしようとしていた。
――何か、残酷な……我々には想像も出来ないような、恐ろしい何かを。
――あれは決して、善人じゃあなかった。
――殺して、正解さ。
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あたしたちが家に戻ると、レモンちゃん、いちごちゃん、アオイちゃん……だと思い込んでいた男女が、あたしたちをじっと見つめていて。
異様な光景だった。
だってそうでしょ。
その場に居たみんな、例のあの、でっかいリボンのついた制服を身に纏っていたんだもの。
――どうも、”悪魔の証明書”の効果は、完全に切れてるみたい。
その後、彼らから事情を聞いたところ、いくつかの事実が判明した。
「なるほど。”悪魔の証明書”は――現実を根っこから変えるものではなく、そのように見せかけるものに過ぎなかった、ということですか」
とのこと。
たぶん”証明書”の効果が切れているのは、……書き手のホズミさんが死んだから……だよね。
実際あとで”悪魔の証明書”を確認したところ、紙に大きく『証明失敗』のハンコが押されていた。
「ずっと、不思議に思っていたのです。モモちゃんの口調と、立ち振る舞い。――私にはとても、十歳前後の子供には見えなかったものですから」
さらにロボ子ちゃん、ちょっぴり鼻を高くして、こう付け加えたんだ。
「私、ロボットですので。人間の動きは、よく観察するようにしているのです」
ってさ。
この子、キャラ作りをわすれないなぁ。
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ちなみに、あたしたちがここの人たちにする説明は、必要最小限度に抑えておいた。
――あたしたちは、スーパーマン。
――世界の平和を護るためにやってきた。
ってね。
みんな、あんまり納得してくれてなかった感じだけど、質問攻めにあうことはなかった。
きっとあたしたち、恐れられていたんだと思う。
無理もないよね。
だってあたしたち、……彼らの目の前で、人を殺したんだもの。
それも、ただ殺したんじゃない。
たっぷり痛めつけたあと、腕をぶった切って、目を撃ち抜いた。
考えうる限り、もっとも残酷な殺し方をやってのけたんだ。
でも、それでも、ここの人たちはみんな、あたしたちに感謝の言葉を言ってくれた。
――”例のあれ”から、助けてくれてありがとう。
――”例のあれ”は我々を、子供のような扱いをしたんだ。
――お菓子を与えて。ゲーム機を与えて。
――そうして、……上から目線のお説教。
――正直、不気味だったよ。
――ここにいる間はずっと、夢を見ているようだった。
――例のあの、奇妙なコスプレをさせられていることも、これっぽっちも不思議に思わなかった。
――恐らく、ある種の催眠術か何かを駆けられていたんだろう。
――我々は、お互いを……まるで年若い、小学生のように感じていたんだ……。
結局のところ。
それが、この場所で起こったことの結末。
本当はもっと、”この後の物語”があったのかもしれないけど……それを、あたしたちが目の当たりにすることは、もうない。
あたしが彼を、殺したから。
彼の人生を、断ち切ったから。
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いちおう、ここに居た人たちのその後も話しておこう。
”モモちゃん”だったお爺さん、――源田鉄五郎さんは、ホズミさんを埋葬したあとも、ここに残るのだという。
理由は単純。
他に行くところがないから。
家族に見捨てられたから。
――そいつは、恩知らずな家族に棄てられた……。
あの時、モモちゃんはそう言ってたけれど。
あれって、鉄五郎さんの本音だったんだね。
”レモンちゃん”だった、三十代後半くらいのイケおじ、――曽我和宏さんも、そう。しばらくここに居残るって。
この人もまた、天涯孤独の身の上みたい。
逆に、ここを出る決心をした人もいる。
”いちごちゃん”だった女の子、――神園優希さん。
それと、”アオイちゃん”だった男の子、――天宮綴里くんの二人組だ。
なんでも二人には、「会わなきゃいけない人がいる」みたい。
「もともと俺たち、その人に会うためにここまできていたんだ」
それなのに、……ホズミさんに捕まって、ずるずるとここで、足止めを喰らってしまったみたい。
結局二人は、挨拶するのもそこそこに、この場所を旅立ってしまった。
なんなら、武器になるものを貸そうか申し出たけど、それすらいらないみたい。
「この数日間で、学んだよ。”ゾンビ”どもとやりあうより、さっさと逃げた方が手っ取り早い、ってね」
たしかに、それはそう。
「この恩は、必ず返す。……ありがとう。ミソラ」
優希ちゃんったら、ボーイッシュでカッコいいかんじの子だったから、ついついポーッとしちゃった。
またどこかで、――会えるといいな。
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そうしてあたしたちは、最高に豪華な新拠点を獲得することができたんだ。
この拠点はこの先、あたしたちがゾンビ時代を生き抜く上では欠かすことができないものになるだろう。
これからあたしたち、たくさんの人のためになることをする。
たくさんの人のために、たくさんのゾンビを殺す。
そうして、誰よりも強い”プレイヤー”になって……”凪野美空”の名前を、世界中の誰もが知っているようにする。
それが……あたしの”物語”の着地点。
きっと、長い戦いになるだろう。
……だからこそ、あたしたちの帰る家は、安心できる、誰かに任せたい。
そう思った。
――それを頼めるのはきっと……たった一人しかいないよね。
あたしの幼なじみ。
秋月亜紀ちゃんだ。
ってことをさっそくこれを、奏ちゃんに提案してみたところ、
「まあ、別に構わんでし。……他に、任せられるアテもないことだし……」
とのこと。
どーやら二人には、あたしにとっての”アキちゃん”みたいな人はいなかったみたい。
そうしてあたしたち、いったん航空公園のコミュニティへ戻ることになった。
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その……帰り道、だったかな。
あたしたち三人にとって、とっても大切な意味を持つ出来事が起こったのは。
といっても、大したことじゃあない。
ただちょっぴり、あたしの心が……くしゃくしゃになった。
それだけのこと、なんだけれど。