その83 逡巡の代償
あとあとになって思い返してみて、ひどく心残りなことがある。
――生かすか。
――殺すか。
結局そのとき、なんの決断することもなく、状況が進んでしまったから……。
あたしは、しっかりと自分の考えを表明しておくべきだったんだ。
暴力を振るうには、強い気持ちが必要だ。
それが、負の感情、――憎悪であれ、怒りであれ、嫉妬であれ。
そーじゃないと、先手を敵に譲ってしまうから。
「………………………」
時間でいうと、ほんの十数秒ほど、だったかな。
あたしが、ぐずぐずと考え込んでいると、
「――そういう、ことかよ……」
声にはっとして、顔を上げる。
すると、――二階のベランダから、ちょうど出会った時と同じ構図で、ホズミさんがこちらを見ていたんだ。
もう、それだけであたしたちは「ぎょっ」としたんだけれど、……さらに、異様な出来事が起こった。
ホズミさんの目が、なんだか青色に発光していたんだ。
「――――――ッ?」
……ぞわ……っ。
と、厭な感じがする。
なんだか、お腹の中にある、誰にも見せたことがない大切な部位を覗き見されているような、……そういう感じだ。
「おまえら、全員”プレイヤー”だったのか……っ」
彼の顔が、くしゃくしゃに歪む。
瞬間、あたしたち全員の脳裏に、「?」マークが浮かんだ。
なんでいま、それがわかったんだろう、って。
それに応えるように、ロボ子ちゃんが呟く。
「おそらく、――プレイヤーどうかを見抜くスキルを使ったのでしょう」
うげげ。そんな便利な力があるんだ。
あたしが渋い表情をしていると、そこでホズミさん、ようやくあたしのことに注目したみたい。
「おまえ、……ずっと、どこかで見たことがあると思ってた。……あのとき、……アリスに会った時、見かけた女か」
うううう。バレちゃった。
しかも、最悪のタイミングで。
「あの……」
あたしは何か、言い訳しようと思ったけれど、
「それ、返せ。今すぐ」
交渉の余地なし、という感じだ。
ぴん、と、張り詰めた空気があたしたちの間に流れて……、ホズミさんが、2階のベランダから身を乗り出す。
どすん、と、土埃を上げながら、巨体の男が着地した。
本当のこというと、――この時、この瞬間であるべきだったんだ。
彼に、攻撃すべきタイミングは。
けれどあたしたち、
「…………………ご、ごめんなさい…………」
「…………………」
「…………………」
怖い学校の先生に怒られたみたいに、頭が真っ白になってしまっていた。
「……――う、動くなっ」
最もはやく決断したのは、奏ちゃん。
彼女、すばやく拳銃を構えて、ホズミさんに銃口を向けた。
けれどそれは、――言っちゃ悪いけど、これっぽっちも威圧感のない立ち姿だった。どこをどう見ても、小さな子供が、玩具の鉄砲を振り回しているだけ、という感じ。
だからだろう。ホズミさんはこれっぽっちも動じず、ロボ子ちゃんに歩み寄り、――その手に握られていた”悪魔の証明書”に手を伸ばした。
「…………ちっ」
閑静な住宅街に、発砲音が響き渡る。
狙ったのは、ホズミさんの足元だ。
ぱちゅん、と音を立て、地面に穴が空く。
けれどホズミさん、一度怒ったら、目の前のことで頭がいっぱいになっちゃうタイプみたい。そのまま、ロボ子ちゃんの細い手首を握りしめて、
「はなせ! それはおれのものだ!」
と、思わず耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げた。
――”勇気ある守護騎士”が敵対行動を取っています。
――彼を殺すか、降伏させてください。
頭の中に、アリスちゃんの声が響く。
それが、決定的な『戦闘開始』の合図となった。
「きゃあっ」
ロボ子ちゃんの、哀しげな悲鳴。
ほんの少しでも良識のある人なら、それで怯みそうなものだけど……その時のホズミさんは、そうじゃなかった。
彼は、乱暴に両腕を振るって、ロボ子ちゃんを突き飛ばしたんだ。
「――……ッ」
少女が一人、石塀まで宙を舞い、――そのまま頭を強かに打つ。
それきり彼女は、ぴくりとも動かなくなった。
「……………嘘……………」
ちょっと押しただけで、あんな風になるなんて。
正直に言おう。
あたしはその出来事に、すっかり怯えてしまっていた。
まるで、普通の女の子みたいに。
――女の力は、男には遠く及ばない。
そんな、決定的な事実を思い知らされた気がして。
「………………ちっ」
けれど、そんな風には思わなかった仲間がいた。――奏ちゃんだ。
彼女は、今度こそホズミさんの身体を狙って、拳銃のトリガーを引く。
発砲音。弾丸は、彼の右肩に命中した。
けれど……、
「んだ、お前……ッ。本物か、それ? 危ねーな」
弾丸は、彼の服をちょっと破いただけ、みたい。
「そんな……っ」
銃で撃てば、人は動かなくなる。
それが、この世界における絶対のルールのはず。
けれどホズミさんは、殺意をますます漲らせて、怒鳴りつけた。
「馬鹿女め! 家族に加えてやろうと思ったのに!」
「…………ちぃっ!」
続けざまに、鉄砲を撃ちまくる奏ちゃん。
けれどやっぱり、ホズミさんには通じない。
――レベルが、違う。
そう思った。
ホズミさんが、あたしたちに対してあまりにも無警戒だった理由も、きっとそれ。
「最悪、何かあれば暴力で解決できる」って……そんな風に思っていたからだろう。
あたしはすこし離れた位置で、ホズミさんの両腕が、奏ちゃんに振り下ろされるところを見ているしかなかった。
「ぶ、ぎぃっ」
踏み潰された小動物のような声を発して、少女がその場に倒れ込む。
――死んだ。
少なくともその時のあたしには、そう見えた。
――どうしよう。
あたしのせいだ。
あたしが、迷ったから……余計なことをしたから、……こんなことに。
あたしたちはこれから、彼に殺されるか、殺されるより酷い目に遭わされるだろう。
なにより、最悪なことがある。
きっとホズミさんはこれから、今までよりもっともっと、疑心暗鬼に囚われた人間になってしまうに違いない。
あたしたちは、――怒れる暴君を、この世に誕生させてしまったんだ。
……と、そこまで考えて。
右ポケットにある、”ウィザード・コミューン”の存在を思い出した。
いま、勇気を振り絞らなくちゃ……航空公園のグループや、アキちゃんたちにまで彼の手が及ぶかもしれない。
正義を行うなら、きっといま。
あたしが、責任をとらなくちゃ。
死ぬ覚悟を固めろ。
――戦え、戦え、戦え!
”ウィザード・コミューン”を、天高く掲げる。
「――めっ、……変身!」