その82 理想的な関係
あたしが気になったのは、――奏ちゃんが掻きむしっていた……その、髪だ。
「ねえ、奏ちゃん」
「ん?」
「奏ちゃんって、そんな髪の色だったっけ?」
と、指摘して。
その時になって初めて、「あ」と、ロボ子ちゃんも目を丸くした。
「…………へ?」
奏ちゃん、上目遣い(可愛め)で自分の髪を確認して、
「な……なにこれ」
ぎょっとする。
彼女の髪はいま、――まるで最初からそういう色だったみたいに鮮やかな、濃い緑色に変貌していたのだ。
「あたしが見てないうちに、イメチェンした……とか?」
実際にそう口にして、それが、どれだけ異常なことであるかに気づく。
「えっ。うそ。うそうそうそ!?」
その時の奏ちゃんの狼狽っぷりといったら、ちょっとした見物だった。その場でぴょんぴょん跳ねたり、髪の毛を引っ張って、太陽に透かしてみたり。
「こんなの、おかしい。絶対、異常でし!」
「……ふむ」
ロボ子ちゃん、興味深い実験サンプルでも眺めるように奏ちゃんを観て、――そして改めて、”悪魔の証明書”の記述を読み返した。
「実に、興味深い」
その、お人形さんみたいに真っ白いほっぺが、朱に染まっている。
「恐らくこの、”悪魔の証明書”の影響でしょう」
「そんな、ばかな」
「間違いありません。”悪魔の証明書”。……実在の証明が困難なものを、現実化させるアイテム……といったところでしょうか。……ここを見てください」
そこでロボ子ちゃん、羊皮紙の裏面に書かれた一文を指さした。
そんなところに文字があるとは気づかなかったあたしは、驚いてそれに目を走らせる。
おじさんらしからぬ、丁寧な筆跡で書かれたそれは、
『命題:ハーレムアニメで描かれる、理想的な相関性の証明』
と、いう内容。
あたしは眉を段違いにして、
「……これは、どういうこと?」
「詳細は、不明です」
ロボ子ちゃん、首を傾げる。
「ただ、間違いなく言えるのは、――ここで、何らかの現実改変が行われている、ということ。……ずっと、奇妙に思っていたのです。この家の子供たちの、髪。桃色、青色、赤色、黄色……」
ロボ子ちゃんとあたし、少しの間だけ見つめ合って。
そして今さらながら、ぞおっと背筋を凍らせたんだ。
あんな髪色の娘たちが、現実に存在するわけがないっていう、その事実に。
何が気味悪いって、……ここにいる間ずっと、その異常性に気づかずにいたこと。
奏ちゃんなんか、いの一番にツッコミそうなものなのに。
「つまりこの……”悪魔の証明書”は……、書いた内容の通りになっちゃうアイテム……ってこと?」
「しかも、その影響が及ぼす違和感を、最小限度に抑える。それが異常であるということに、誰も気づかない……と」
「うへぇ。すご」
思わず、乾いた笑い声がもれる。
アリスちゃんと会ってから、あたしの思い描いていた世界観は、こなごなに打ち砕かれっぱなしだ。
「冗談ではないですよ。……このアイテム、ひょっとすると、もっともっと恐ろしいシロモノ、かも」
「どういうこと?」
「……ひとつ。私の頭に、……どうしても連想せずにはいられない、とある漫画のアイテムが存在するんです」
「なあに?」
「ドラえもんの、”もしもボックス”」
「…………………?」
漫画に詳しくないあたしは、首を傾げるだけだ。
「それくらい履修しときなよ。――『もしも、○○が✕✕だったら』を口にすると、それが現実になるひみつ道具でし。使い方によっては、この世界すべてに影響を与える力がある」
「へぇ」
われてみれば、聞いたことある、かも。
なんか、そーいうテーマのバラエティ番組で。
「もしこれが、私の想像したとおりのアイテムならば、――恐らく、この家の少女たちはみな、飯田保純の影響下にある」
「えいきょうか……?」
「ええ。……”悪魔の証明書”は、彼の思ったとおりの、絶対服従の少女たちを身近に置くためのアイテムなのでしょう」
「えっ。……えー…………」
それ、めっちゃ怖くなぁい?
「奏の髪の毛が緑色に変わったのも、この”証明書”に書かれた”ミドリ”というキャラクターの設定を反映しているため。――その影響力が、どこまで絶対的なものかわかりませんが……対応を急いだ方がよさそうですね」
「ひえええええええええええええっ」
すると、奏ちゃんの狼狽は、よりいっそうひどくなった。
彼女、その場でくるくると回転しながら、
「う、嘘でしょ……、ってことはあちし、これから、この家の一員になるよう、洗脳されちまうってこと……? い、厭だ厭だ! そんなの死んだ方がましでし!」
「落ち着いて下さい、奏」
ロボ子ちゃん、この期に及んで冷静だ。
「どういうプロセスで改変が行われるかわかりませんが、――この、”ミドリ”という少女の設定はまだ、”書きかけ”とのことです。恐らくこのまま放っておいても、大丈夫ですよ。……たぶん」
「たぶん、じゃダメでし! 焼いて! その紙、いますぐ焼き捨てるでし!」
「とんでもない。そんな真似をしたら、何が起こるかわかりません。こういうのはもっと、慎重にやらないと」
「ううううううう…………っ!」
「それに、この問題を先送りにしてでも、――私たちは一刻も早く、決定しなければならないことがあります」
そこに来てロボ子ちゃん、早口で、言う。
「あの、ホズミという男を、どうするか、です」
「そんなの、決まってるでし! 死刑! ぜったい、死刑!」
正気を失っている奏ちゃんは、ぶんぶんと両腕を振って、叫ぶ。
対するロボ子ちゃんは冷静で、
「……ねえ、ミソラ。”悪魔の証明書”は、ここにあるもので全部なのですか?」
「えっ。どうだろ。わかんない……」
言われてみれば、他に予備があってもおかしくないよね。あたしが調べられたの、ホズミさんの部屋の一部分だけだもの。
「で、あれば私も、奏に同意します。万に一つでも、この紙切れをあの男の手元に置いておくわけにはいかない。いますぐ、やつを始末しなくては」
……うーん。
ホズミさんったら、すっかり嫌われ者だ。
でも正直、気持ちはわかる。
人間的に信用できない人に、強力な力があるってのは、……すごく、不安だもの。
「それで、ミソラ。あなたはどうしますか」
「………………」
「あとは、あなただけです。あなただけが、納得していない」
そう言われて、あたしはぎゅっと、奥歯を噛みしめた。
――二人のいっていることは、わかる。
正直に言うよ?
あたし、怖かったんだ。
自分の手で、死刑判決のハンコを押してしまうことが。
でも一方で、こんな風にも考えていた。
やっちゃえばいいじゃん。
……どーせ、人を殺すのは初めてじゃないんだから。
ってね。