その81 違和感の在処
応接室に戻ると、『退屈なお茶会』をそのまま形にしたような空気が、あたしを出迎えた。
「おっ。嬢ちゃん。ずいぶん長かったな。でっかいお子さん、こさえたか?」
「アハハハハハ……そんなとこですぅ~」
乾いた作り笑いで、その場を適当に誤魔化して。
とはいえホズミさん、あたしにはあんまり興味ないみたい。
すぐに話題は、彼お得意の陰謀論へ回帰する。
「――おれが匿名掲示板で調べたところ……」
「――世界政府が陰謀を巡らせているのは明白な事実で……」
「――この国のあちこちには、毒電波の発生装置が……」
「――携帯電話には、鉛製のピースを取り付けることべきで……」
「――異次元へ繋がる扉は、我々の生活のすぐそばに…………」
結局のところ、彼の話は、
・この世界は、とある秘密組織によって陥れられつつあること。
・その事実に気づいているのは、ホズミさんを始めとする、好事家だけであること。
って内容の、バリエーション違いってかんじ。
どれもこれも、否定材料を持たないあたしには良くわかんない内容だったけど、
――うさんくさいなあ。
ってことだけは、感覚的にわかる。
「――はあ。へえ。……にゃるほど」
さすがのロボ子ちゃんも、胡乱な表情で相づちを打つばかりだった。
「…………………………………(ちらっ、ちらっ)」
そんな二人に、あたしはそっと目配せして、「収穫あり」を伝えておく。
すると奏ちゃん、すぐさま反応を示した。
「――よーしっ」
彼女ったらまるで、お尻を叩かれたみたいな仕草で席を立ち、
「ホズミく……さん。――もうしわけないけど、あちしたち、ちょっとだけ外の空気を吸ってきてもいいでしか?」
「……あ?」
するとホズミさん、夢から覚めたみたいに、
「ああ、別にいいけど」
と、目をぱちくりした。
その様子はどこか、「自分の話を傾聴しない女がこの世に存在したのか」って感じ。
「でも、うちには、小さな庭くらいがあるだけだが。……それとも、表通りに行くか? ゾンビいるけど」
「……庭を、お借りするでし」
「そうか。それなら、どうぞご自由に」
ということであたしたち、ぺこぺこと会釈しながら、応接室を出た。
螺旋階段を降りる途中、ロボ子ちゃんが囁く。
「……ミソラ。――ひとつ、お願いしても良いですか」
「なあに?」
「もし、私をまた、あの男の聞き役にするおつもりでしたら、いっそ機能停止させてください」
その顔色が、思ったよりも深刻だったものだから、あたしはくすりと笑う。
「あらら。ロボットでも、おしゃべりが辛くなることもあるんだ」
「物事には、限度があるということです。これ以上、荒唐無稽な情報で、私のメモリーが穢されるのは避けたい」
「……ふーん」
どうやらロボ子ちゃん、すっかりホズミさんにしてやられたみたいね。
▼
ガラス戸を開くと、四方を壁に囲まれた庭に出る。
二十平米くらいのその場所は、広くもなく、狭くもなく。しっかりと除草剤が撒かれているらしく、雑草一本生えていない。ずいぶんと殺風景な印象だ。
たぶんホズミさん、面倒な手入れを嫌ったんだろう。
広いお庭のガーデニングは、けっこう手間暇かかるからねぇ。
土足のまま外に出たあたしたちは、そろって大きく、深呼吸。
慣れないことをしているせいだろう。
あたしたちみんな、すっかり疲弊していた。
「それで、――何か見つけたのですか?」
「うん」
「見せてください」
すぐにあたしは、ポケットの中の羊皮紙を引っ張り出す。
「……悪魔の……証明書? ……これは?」
「わかんない。けど、なんか重要そうだったから」
「……ふむ」
順番にその内容を読んだ二人は、――そろって「なんだこれ」という表情を浮かべた。
「これは……なんでしょう。なぞ、ですね」
「うん。でもこれ、ただの紙切れじゃないと思うんだよ。あたしの勘だけれど」
そこで奏ちゃん、軽蔑するように鼻を鳴らして、
「単なる、モテないおっさんの哀しい妄想なんじゃねーの?」
「いいえ。それはないでしょう」
「……なんで、そう言い切れるんでし?」
ロボ子ちゃん、”証明書”を目の前まで持ってきて、じっと観察する。
「この紙質、――羊皮には……見覚えがあります」
「えっ。まじ?」
「ええ。あの”冒険者ランキング”で使われているのと、まったく同じものかと思われます。――おそらくこれ、”実績報酬”の一種なのでしょう」
「………なっ………」
言葉を失う。
実績報酬。
あたしたち”プレイヤー”が、特定の条件をクリアすることで獲得できる、不思議なアイテムのこと。
昨夜、……奏ちゃんから説明を受けたばかりだ。
「やっぱりこれ、ちゃんと調べた方がよさそうだね」
「ええ」
しばし、おじさんの文章を精査する女子三人。
やがてロボ子ちゃんが、ぼそりと呟いた。
「ちなみにこの、……”悪魔の証明”という言葉自体は、わりと有名です」
「そーなの?」
「ええ。『無いこと』の証明は、『有ること』の証明より難しい、ということです」
「……………へ?」
あたしはその言葉の意味を呑み込むのに、しばらく時間が掛かった。
「それってつまり、どういうこと?」
「例えば、……そうですね。ミソラがこれから、”人を噛まないゾンビ”がいないことを証明しようとする場合、どうしますか?」
「そりゃまあ、一匹一匹、自分に噛みつくかどうか調べていくけど」
「そうです。……そしてそれをするためには、この地球上ぜんぶをくまなく調べる必要があります」
「まあ、そうだね」
でも、それってしょーじき、現実的じゃないよ。
「それに対して、”人を噛まないゾンビ”が存在することを証明するとしましょう。……その場合、たった一匹の”人を噛まないゾンビ”を見つけてくればよい」
「ふむふむ」
「ことほどさように、”有ること”の証明と”無いこと”の証明には、その難易度に差が生じる。両者を同列に扱うことは出来ない……ということです」
「……………………」
どぼん!
と、音を立てて、あたしの脳みそがパンクしそうになった。
――うん。だから、なんなの?
っていうのが、正直な感想。
見かねたロボ子ちゃん、
「もっと噛み砕いていうと、――こういうことでしょうか。”悪魔の証明”とは、『困難な証明』の言い換えであると」
と、さらにわかりやすく説明してくれた。
「それはわかったけど……やっぱり、これが何なのか検討もつかない」
奏ちゃん、髪をわしわしと掻きむしりながら、大きく嘆息する。
「一つだけ確かなのは、この、……『”守護騎士”の力を持つ』って設定でし。たぶんこれが、アリスに与えられたジョブっぽい」
「守護騎士、ですか。……なにか心当たりが?」
奏ちゃん、首を横に振る。
「わからん。でもたぶん、防御系のスキルが充実してそうな感じ」
「なにか、現時点で思いつく対策は?」
「どーだろ。タンク系のキャラって動きが鈍いことが多いから、みんなで袋だたきにすれば倒せる気がするけど」
「みんなで袋だたきにすれば倒せる。――それって、普通のことでは?」
「……それはまあ、たしかに」
そこでしばしの、沈思黙考。
あたしはというと、ぼんやりと奏ちゃんたちを観察していた。
――ゲームの話は、よくわかんないな。
なんて、そんな風に思いながら。
と、その時。
唐突だったんだ。
「えっ。あれ?」
ここにいる間、ずっと感じていた、違和感。
その在処に、ようやく気づくことができたのは。