その73 例のあのひと
ぺったりとした髪質の天パを額にはり付けた、鼻息の荒い、体重百キロくらいの、筋肉質な大男。
頑強そうな見た目に反して、その顔つきはすこし、『ぎょっ』となるくらい幼い。
――頼むよ。……きみを初めてみた瞬間からずっと……きみのこと、頭から離れないんだ……。きみのことが……好きになっちゃったんだよ! いいだろ?
彼の言葉が、脳裏に蘇る。
二の腕を撫でると、わずかに鳥肌が立っていた。
「飯田保純。西所沢あたりのでっかい家に住んでる男でし」
「…………………」
それは、この辺りに住んでいる人なら、みんな知ってる話だった。
――その辺りの豪邸で、人生でいちども働いたことがないおじさんが住んでる。
ってね。
はっきりいって、あんまりいい噂じゃあない。
――例のあのひと、爆音でアニメ・ソングを流して問題を起こす。
――例のあのひと、腐り果てた食材を一度にたくさん棄てて、異臭騒ぎを起こす。
――例のあのひと、半裸で近所をぶらついて、警察に怒られる。
――例のあのひと、自分を吠えてきた犬に吠えかえす。
なんて。
どこまで本当かわからないけど、いろいろとご近所トラブルを起こしてるって。
顔までは知らなかったけど、それがあの人だったのか。
「この人、前に一度、観たことがある」
「と、いうと?」
「近所のスーパーで、アリスちゃんを口説いてたの」
「アリス。――それってまさか、”魔女”の?」
「うん」
すると奏ちゃん、カートゥーン・アニメのキャラクターみたいに驚いて、
「うえええ! それ、マジでしか。あいつぱっと見、ほとんど幼児じゃないでしか」
奏ちゃんはそこで、ぺたんぺたんとテーブルを叩いて、
「やはり、ホズミは生かしちゃおけないやつだ。ロリコン、死すべし」
そんな、極端な。
その理屈で言うと、人と違う性癖の人はみんな、死ななきゃいけないことになるじゃない。
「それでこの人、具体的に何をしでかしたの?」
「子供を、――集めてるんでし」
「え」
「知っての通りあいつ、家だけはでっかくて、物資も豊富にあるっぽいからね。……んで、一昨日、このあたりのコミュニティに寄って、チラシを配って回ったんだって。『子供を保護します!』っつって」
「その……何が、悪いことなの?」
言いながらあたし、ちょっぴり厭な気持ちになっている。
たしかに彼……なにかしでかしそうな……そんな気がしたから。
「わかってないなぁ。”ロリコン”であることに目をつけられた”プレイヤー”が、子供を集めてるんでしよ? ぜったいぜったい、何か企んでるに決まってるでし!」
「うーん……」
あたし、少しだけ首を傾げて、
「でもホズミさんって、変人で有名じゃん。彼に子供を預ける親御さんなんて、きっといないよ」
「もちろん、それはそう。実際、このコミュニティにいる親で、あの男に子供を任せようってやつなんて皆無でし」
それなら、ほとんど無害じゃない。
「でも、……これからのことはわからないでしょ? ……こんなご時世でし。身寄りの無い子供は、あっちこっちに増えてきている。そんな子供が、ホズミの毒牙にかかる可能性は……ゼロじゃない」
そっか。
あたしの頭には、昨夜保護した、あずきちゃんの顔が浮かんでいる。
ああいう娘が、もしホズミさんの元へ走ったら……。
「ってわけで、これからホズミには、我々の経験値になってもらう。……異存はないでしか?」
押し黙り、少しの間、考え込む。
はっきりいって、奏ちゃんの考えには賛同できなかった。
いくらなんでも、『怪しいやつだから、殺してしまおう』というのは、あまりにも短絡的だ。
「ひょっとするとホズミさん、親切心で子供を助けているだけかもしれない」
「甘いでし! 甘いでし!」
再び、ぺたんぺたんとテーブルを叩く奏ちゃん。
「野郎ぜったい、子供たちに……なんか、あちしたちが想像もできないような、そんな、えっちなことをしてるに決まってるでし! 男なんてみんな、ちんちんでものごとを考えるんでし! 間違いない!」
「そんなの、決めつけじゃん」
「のーのーのーのー! 疑わしきは、罰せよ! ホズミのやつは、見つけ次第、射殺! それに決まり!」
「いやいやいやいや! せめて、もうちょっと情報を集めてからにしようよ」
「そんな、悠長なこと言ってる時間はないでし。もし野郎が、あちしたちの手に負えないような、そんな力を手にしてしまったら……もう、取り返しがつかないんでしよ」
「ううむ……」
思わず、押し黙る。
あたしたち”プレイヤー”は、戦えば戦うほど強くなる。
たしかに、奏ちゃんの言っている情報が事実なら、被害が大きくなる前に殺してしまった方がいいの、かも。
でも、それでもあたしは、反対だった。
喧嘩をするにしても、もう少し話し合ってからでも遅くないはずだよ。
「……………………」
「……………………」
二人、唇を尖らせたまま、睨みあう。
――賭けても良い。きっとあんたら、喧嘩になるよ。
昨夜したアキちゃんの予想が、早くも的中している。よくない兆候だ。
そこで「やれやれ」と、ロボ子ちゃんが仲裁に入った。
「争いを止められない哀れな人類のみなさんに、私からひとつ、提案があります」
「……なんでし?」
「意見が対立したということは、その双方にある程度の利がある、ということ。……であればこういう時、もっとも単純に答えを導き出す方法があります」
「と、いうと?」
「”幸運のコイン”です」
そう言ってロボ子ちゃん、ポケットから金ピカのコインを取り出した。
「これで決めましょう」
「えぇえええ。……人の命が掛かってるのに、いくらなんでも、それは……」
「いいですか、二人とも。いま起こりうる最悪のケースは、私たちが離散して、――そのまま、”冒険者ランキング”の予言通りの未来になることです」
それは、そうかもだけれど。
「我々にとっての”最悪”は、チームが瓦解すること。それに比べればいっそ、コインで決めてしまった方が後腐れが無い」
「でも……」
「いいですか、人類のみなさん」
そうしてロボ子ちゃん、学校の先生みたいな口調で、言う。
「こんな世の中です。どのような行動が良い結果に繋がるかなんて、誰にも予測がつかない。それならいっそ、『あの時ああしていたら』と思わずに済む選択決定の方が、よっぽど組織運営に都合が良い、と申し上げているのですよ」
「…………………ふむ」
そんな彼女の姿にあたしたち、ちょっぴり驚かされていた。
――この娘、ただの変わり者かと思ってたけど、ちゃんと自分の意見があるのね。
そんな風に思えたんだ。
「『揉めたら、コインで』か。……ま、それも一興、か」
結局あたしたち、ロボ子ちゃんの意見を採用することになる。
ホズミさんを……出会い次第、殺してしまうか。
それとも、いったん彼と話し合って、その上で彼の処遇を決めるか。
朝日を浴びて輝くコインが、宙を舞った。