その70 頭のいかれたコスプレ女
あのコスプレ女と、直接会う。
そう決めたはいいものの、下手に目立つわけにはいかなかった。
一色奏は、狙撃手である。おいそれと潜伏地を明らかにはできない。
奏は、慎重に人目を避けながらバリケードを越え、夜陰に紛れつつ、目標地点へと向かった。
――あんだけ目立つんだから、見逃すことはないだろうけど。
そう思っていると、火事場へ惹かれている”ゾンビ”を、三匹ほど見かける。
「やれやれ……」
こちらに気づいた様子はないが、放置していると普通人が噛まれる恐れがある。
奏は、その後頭部へ狙いをつけて……慎重に引き金を絞った。
ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ。
頭部に9mm大の空洞を作って、敵はあっけなく沈黙する。
不規則に揺れる目標に対して、狙いは寸分と違わなかった。これはアリスに与えられた能力の一つだが、それがなくともこの距離なら、当てることくらいはできただろう。……彼女はもともと、射撃に長けている。父の影響で、サバイバル・ゲームの訓練を受けていたためだ。
「さて……」
奏は、慎重な手つきで銃をホルスターにしまった。
拳銃は、もっともイージーにゾンビを始末する手段である。反面、発砲音で新手を引き寄せてしまう欠点もあるが……。
――いまはみんな、火事に集中してくれているな。
慎重に歩を進めながら、火の出処を目指す。
空は今、一軒の家から吐き出される黒煙と火で、赤々と照らされていた。
「あららー? あなた、生きてる人ぉ?」
例のオレンジ髪と出くわしたのは、それから間もなくのこと。
「こんなご時世に、珍しいなあ」
派手な服装の女が、まるで散歩でもするような足取りで近づいてくる。
改めてその姿を目の当たりにして、奏は内心、苦虫を噛みつぶしたようだった。
この状況で、この格好……やはりこいつ、頭のネジが外れているとしか思えない。
「ねえ、おチビさん。こんな夜中に、どうしたのかなー?」
イカレ女が、膝を折って目線を合わせる。
完全な子供扱い、であった。
とはいえ奏は、そのような対応に慣れている。奏の身長は、140センチほど。高校生になったいまも、小学生に見間違えられるほどなのだ。
「……そっち、何歳?」
「え」
「だから、そっち、いま、何歳でし?」
「十七だけど」
「なら、あちしのほうが年上でし。二度と子供扱いすんな、でし」
鋭い口調で、言う。
すると向こうは、★マーク入りの目を丸くして、
「えー? まじ? ちっさい先輩だなあ」
「……失礼なやつでしねぇ」
唇を尖らせる。
――こいつ、想像した通りのキャラクターでし。他者への配慮というものを、ぜんぜん知らない。
ところで、先ほどから一つ、気になっていたことがあった。
「そういえば、おまえしゃん、連れがいたはずでは?」
「え? ……みてたの?」
「うん」
奏は、素直に頷いて見せた。
「人助け……してたでしょ? あの女の子、どこいった?」
「あゆみちゃんのこと? ……あの子なら、その辺に置いてきたけど」
「置いて、きた?」
奏は少し驚いて、
「この、ゾンビだらけのところに?」
「うん」
「なんで?」
「だってもう、経験値は手に入ったし。邪魔だったから」
「邪魔」
思わず、オウム返しにする。
せめて、安全地帯まで送り届けるとか、……そういう発想はなかったのだろうか。
「まあ彼女、あとは自分でナントカするでしょ。たぶん」
「……たぶんって」
火事場から救出したのだから、後のことは知らない、ということか。
――まるで、子供がする気まぐれなお手伝い、って感じ。
いい歳してその振る舞いは、……さすがに少し、不気味だ。
彼女に直接会って、ひとつ、わかったことがある。
自分も、このオレンジ髪の女も、根っこのところは一緒だ。
狂気的な何かを、その旺盛な行動力の起源にしている。
「ねえ、おまえしゃん」
「ん? なあに?」
「あんた、駅近の団地住みでしょ」
「…………えっ。こわっ。なんで知ってるの?」
「あちしも、同じ場所に家があるから」
「えっ。そーだっけ? 見覚えないなぁ」
「あちし、平時は目立たないように暮らしてきたから、気づかなくて当然でし。……ただ不思議なのは、そっちの顔に覚えがないってこと。あちし、記憶力には自信があるんでし。とくに、同い年くらいの女とみると、かならず顔を覚えるようにしてる」
「なんで?」
「そりゃ、まあ。……『そのうち、追いついてやる』って気持ちがあるから……」
と、ちょっぴり視線を泳がせながら。
これは彼女にとって、鉄板の話題であった。
――自分のチビさ加減をネタにする。
するとみんな、不思議と気を許すのだ。
信頼を得るもっとも簡単な手段の一つは、自分の弱さをまず、相手にさらけ出すこと。奏なりの処世術であった。
「ああ、なーるーほーどー」
想定した通り、オレンジ髪の女はにっこり微笑んで、その言い分を信じる。
「……………………………ふん」
とはいえ実際のところ奏は、背が低いことにコンプレックスを抱いてはいない。
膨らんだ乳とすらりとした背丈を望むのは、「雄の希望に応えたい」という感情のあらわれだ。
彼女にとってそうしたことは、憎悪に値するものの一つであった。
「まあ、とにかく。……おまえしゃんの顔に、覚えがないのは変でし。あんたいったい、何者でし?」
「あたしは、魔法少女ミソラちゃんだよ」
「ミソラ……」
奏は、脳内にある名簿帳をぺらぺらと捲って、
「……ああ。秋月亜紀と同居してる……元気の良い女か」
すぐさま、答えを導き出す。
「おっ! わかるの?」
「あちし、記憶力は良い方でし。一度でも聞いた名前は、決して忘れないの」
「へー。あなた、頭、いいんだねぇ~」
「でも、妙でし。……だとしても……前に見たあんたの顔と……びみょーに一致しない、っていうか……」
それは、奇妙な感覚だった。
ミソラの顔面。決して、特徴が無い訳ではないのだが、……なんとなく、記憶に残らない感じがする。
「あ、それたぶん、魔法が掛かってるせい」
「……魔法?」
「うん。たぶん、アリスちゃんに与えてもらった力の一つだとおもう。――ほら。魔法少女モノのキャラって、顔を隠してる訳じゃないのに、不思議と正体がバレなかったりするでしょ? それを再現したスキルなんだと思う」
「ふーん……」
ちくり、と、針で刺されたような違和感が襲う。
説明すべき、決定的な要素を忘れたまま、なんとなく会話が進行している、ような……。
――彼女の世界観に呑まれている。
そんな感じだった。
「あ……あ! あちし、言い忘れてた!」
「なあに?」
「あちし、一色奏っていうの。……あんたと同じ、アリスから力を与えられたものの一人、なんだけど……」
「うん」
「スキルのこととか、アリスのこととか……知ってるのは、そーいうことでし」
「ふーん。そうだったんだー」
不思議なことに彼女、そのことに関して、これっぽっちも気にしていないようだ。
喉の奥になにか、引っかかるものを感じつつ。
数秒ほど逡巡したが、……結局は、
「ところであんた、あちしの仲間にならない?」
ミソラの勧誘を、心に決める。
この、”魔法少女”とやら。
……いろいろ問題はありそうだが……。
――あとあときっと、役に立つ。
そういう、奇妙な確信があった。