その69 一色奏
ここで、一色奏が登場する。
彼女は気が狂っていた。奏には、とある理由により、やむにやまれぬ恐怖症を抱えていたのである。
――男性恐怖症。
もっと言うなら、「異性憎悪」という言葉が当てはまるかも知れない。
そのきっかけは、実に些細なことだ。
彼女の父親が、彼女に対して抱いた、気の迷いのような感情。……それに伴う肉体の変化を、つい目の当たりにしてしまった。それだけだ。
いらい、彼女はこのように思うようになっていた。
――男、殺すべし。
この言葉は彼女にとって、悪い冗談ではなかった。
欲望を、理性で制御できないような動物など、生きている価値はない。個体数を制限すべきだ。そうすることでこの世界から、ありとあらゆる争いが消え失せる。
奏はそう、心の底から信じていたのである。
ゆえに、彼女の目的はいま、実にシンプルな形となって、眼前に浮かび上がりつつあった。
――少女の、少女による、少女たちのコミュニティを作る。
そしていま、彼女にはそれができるだけの、十分な力を手に入れていた。
『おぬしは、アレじゃな。射手。射手が良い』
アリスと名乗った、”魔女”を自称するもの。
彼女によって与えられた力により、奏はとある力を得ていた。
”プレイヤー”としての力。
レベルアップの力。
人間を、――遙かに凌駕する、戦いの力。
いま彼女は、M24狙撃銃のスコープを覗き込んでいる。
高倍率の光学照準器の中では、ド派手な格好のコスプレ女が、人命救助を行っているところだった。
「ふーん……」
とりあえず、善人っぽい、と。
そう判断し、……大きく息を吸って、吐いた。
――問題は、やつを味方に引き入れるべきか、どうか。
奏は、傍らで眠っているもう一人の”プレイヤー”……雛罌粟雪美に視線を向ける。
――狂人は、一人で十分だ。
そう、思う。
先ほど得たばかりの”仲間”は、『男殺すべし』を信条とする奏から見ても完全に気が狂っており、はっきりいって今後、役に立つかどうかはわからない。
だからこそ奏は、新しい仲間を慎重に見極める必要があった。
「うーん。……どうしたもんかなー」
奏はしばし考え込み、再びスコープを覗き込む。
この闇夜に居て、彼女の姿はひどく目立つ。
スコープを使わなくとも、その姿を追いかけるのは容易だが。
彼女が、新たな仲間に望む理想は、一つ。
自分の手足となってくれる捨て駒、である。
ただしこの捨て駒は、覚悟ある捨て駒でなくてはいけない。
自分自身が危険に晒されているとわかってなお、自分自身が捨て駒扱いされているとわかっていてなお、仲間に忠実なものでなくてはならない。
オレンジ髪のいかれ女は、自身が品定めされているとも知らず、ぴょんぴょんと屋根から屋根へと跳びはねている。
気になることがひとつ、あった。
奏は、先ほどアリスと会ったとき、
――この団地で、三人の奇人を”プレイヤー”にした。
と、いう情報を得ている。
このうち二人が、自分と雪美。
いま見ている女が、最後の一人。
そこまではわかっているが、……いくら記憶を遡っても、その顔に見覚えがないのだ。
世界がおかしくなって以降、他人の顔を覚える癖がついている。
同世代の娘であるはずの彼女の顔を、忘れるはずがなかった。
「あちし、記憶力は良い方なんだけど……」
恐らくだがあの娘、”プレイヤー”として与えられた何らかの力で、自分の正体を隠しているの、かも。
彼女のことはしばらく泳がせておこうかとも思っていたが、場合によってはこのまま、見失ってしまう可能性もある。
「うーむ。……実際に会って……話すしか、ないか」
現場に出向くのは、自分のキャラクターではないのだが。
「めんどーだけど、しゃーないでし……」
嘆息して、立ちあがる。
――話すなら、バリケードの外が良いだろう。
そう判断し、父が置いていった9mm拳銃をホルスターに仕舞う。
その時だった。
眠っていたはずの雪美が、
「ういーん。がしゃん。がしゃん。ぎいいいいい」
と、わざわざ口に出していいながら、半身を起こす。
”雪美”という名にふさわしく、暗闇の中にいて目映いほどに白い肌を持つその少女は、日本人形のような黒髪を揺らしながら、
「……カナエ。行かれるのですか」
「カナ”デ”でし」
「失礼。記憶領域にエラーが発生したようです。システム起動中に稀に起こるバグですので。おきになさらず」
「……あっそう。その割にはあちし、まだ一度もちゃんと本名で呼ばれてない気がするんだけど」
「そうでしたか。残念です、カナエ。症状が深刻な場合は、システム管理者にお問い合わせ下さい」」
「……………さいでしか」
一事が万事、このような調子なのだ。
すでに奏は、彼女にあだ名をつけている、――「ロボ子」だ。
ユキミはどうも、自分のことをロボットか何かだと思い込んでいるらしい。
「例の”三人目”を勧誘しにいくでし」
「……私も、同行したほうがよろしいですか?」
「必要、ないでし。明日に備えて、いまは休んでおいて」
「ユキミは、疲れません。ロボットですので」
「ああ、そう」
――いかれてる。
そう思いつつも、彼女の考えを尊重してはいる。
ユキミがこのお芝居を続けたいと願うのであれば、それに付き合うつもりだ。
「どっちにしろ、いまは引っ込んでて。あいつを仲間にするかどうかは、あちしが判断するでし。あんたが出る幕ではない」
「……む」
ロボ子は、ちょっぴり傷つけられた顔になったが、
「……了解しました。では再び、スリープモードに入ります」
と、結局はソファ・ベッドにぽふんと横になった。ぱっと埃が辺りに舞い。奏はすこし厭な気持ちになる。
「まあ、そう拗ねるな、でし。見込みのありそうなやつなら、きっとあとで紹介するから」
「『拗ねる』とはなんでしょうか? ユキミにそのような機能はございません」
「はいはい……」
話によるとユキミは、この世の中がおかしくなる前からずっと、こんな調子だったらしい。
――やれやれ。どうかしてるでし。
肩をすくめて、暗い部屋に背を向ける。
やっぱり、新しい仲間は必要だ。
この、過酷な終末世界においては、――戦わなければ、生き残れない。
多少イカレていても、目をつぶろう。
すべては、……そう。
男という生き物を、一人でも多く殺すために。