その67 全年齢向けゾンビ
バリケードの外。
団地に住む人たちにとってそこは、『無法地帯』と同義だ。
そこですれ違う人影は、生きていようが死んでいようが……危険な存在であることに変わりは無い。
ただ一点、あたしにとって救いなのは、あの歩く死人たちはどうも、夜目が利かないらしいってこと。
夜中にコソコソ進むなら、移動そのものは安全とされていた。
『ぎぃいいいいいいあぅ! あうう、あう、あう、あうあう!』
もちろんそれは、……目立つ衣装に、オレンジ色のでっかいツインテを頭の上に載っけてなければ、の話。
あたしはさっそく、”ゾンビ”の一匹に見とがめられたらしい。
『ぎゃうぎゃう、ぎゃうぎゃう!』
その不快な鳴き声は、いかにもケダモノの様相を呈している。
――あんな風には、ぜったいなりたくない。
そう思わずにはいられない、知性のまったく感じられない声。
ヒトがヒトたる所以。……理性の価値を教えてくれる声。
それに導かれてだろう。
一匹、もう一匹と、ゆらゆらした足取りでその場に”ゾンビ”たちが現れた。
――合計、三匹。
これからあたし、三匹のゾンビを相手にしなくてはならないみたい。
けど。
それ、以前の大きな問題が、一つあって。
「――……なっ……なに、これ………!?」
それは……あたしの目の前に移っている、”ゾンビ”たちの……その、キャラクター・デザインに、である。
そのときあたしには、”ゾンビ”たちの顔が、奇妙なお面(?)でも貼り付けているかのように見えていたんだ。
彼らの顔はいま、ニコちゃんマーク……LINEなんかで使う絵文字みたいなやつで隠されている。
それだけじゃない。
彼らの身体の……欠損している部位にも、うっすらとモザイクのようなもやが掛かっていて、よく見えないようになっていたんだよ。
――うそ。ついにあたし、おかしくなっちゃった?
目を数度、ごしごしと擦る。
けどそれは、決して幻覚じゃない。
これ、ひょっとして。
――全年齢向けのゾンビってこと?
魔法少女。
子供向け番組。
だからこその配慮、なのかな。
「アリスちゃんったら、……ほんと、訳分かんない子……!」
そんな、得体の知れない真似をするくらいなら、もっとするべきことがいっぱいあるでしょうに。
『ぎゃはっ。ぎゃうううううううう……!』
と、そこでようやく、正気に戻った。
可愛く見えていようが、ゾンビはゾンビ。
やっつける必要がある。
とはいえあたしには、連中を直接殺すだけの手段はない。
けれど一つだけ、奴らを撃退する方法を思いついている。
あたしは、両腕をすくい上げるような仕草を行いつつ、
「いっくよー! 《ういんど》!」
いま、正式に名付けたその呪文を叫んで、
「さらに……もっともっと! 《ういんど》! 《ういんど》! 《ういんど》! ……《ういんど》!」
するとどうだろう。
重ねがけされたあたしの魔法の力により、最も近いゾンビの足元から、猛烈な風が発生したんだ。
『ぎぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……』
ゾンビの身体は、玩具のように天高く飛び上がり、……そして、数秒後、ぐしゃりと音を立て、近所の家の、生け垣の奥へと落下した。
「よーし、やったあ!」
と、ガッツポーズ。
「《ういんど》! 《ういんど》! もういっちょ《ういんど》!」
とにもかくにも、《ういんど》連発。
残った二匹も、ひゅーんと宙を舞い……そして、頭からぐしゃりと落下。
ゾンビのせん滅に成功する。
――魔法は、重ねがけで強くなる。
そういうことね、アリスちゃん。
あたし、戦いの中で成長してるよ。
▼
お目当ての火事場へ到着したのは、それから間もなくのこと。
「……って……これは……!」
そこには、あたしの想定を遙かに上回る”ゾンビ”の群れが集まってきていた。
総じて、二、三十匹くらいかしら。
とてもじゃないけど、《ういんど》でやっつけられる数じゃなかった。
締め切った一軒家の2階のベランダには、あたしと同じくらいの年頃の女の子が避難していて、もうもうと燃え上がる黒煙に咳き込んでいるのがわかる。
――なにをどうすれば、こんなに燃えるの?
思わず、そう思う。
家が、古びた木造建築であったこともマズかったのかも知れない。
この暗闇の中、あかあかと家が燃え上がっていた。
原因がなんであれ、はっきりいってこの家の人は……ひどい災難に見舞われた、としか言いようがない。
『ウウ………ぐお、お………おおおおお…………』
不幸中の幸いだったのは、その場にいたゾンビたちもみな、眼前の炎にうっとり夢中で居てくれたことくらいかしら。
どうもゾンビって、火の光に引き寄せられる性質があるみたい。
おかげであたしは、安全に状況を観察することができた。
んで、じっくり考えた、結論。
――まずい、かも。
唇を、ぎゅっとむすぶ。
玄関の鉄柵はすでに、ゾンビたちの手により完全に破壊されている。
いま、ぱりんと音がして、ベランダあたりから室内に、連中が侵入したことがわかった。
手遅れ、だ。
そう結論づけるのは、遅くなかった。
――逃げよう。見なかったことにしよう。
お腹の中にいる臆病者の虫が、そう叫ぶ。
実際、そうすべきだと思えた。
だってそうでしょ?
あたしはやっぱり、ただの女子高生。
魔法の力を与えられたからって、できることとできないことがある。
ここで逃げ出したからって、誰に責められるわけじゃないんだから。
けれど……その時、だったんだ。
――だっておぬし、あんまりにも普通なんじゃもん。
アリスちゃんのあの言葉が、あたしの脳裏に蘇ったのは。
「――ッ!」
気づけばあたしは、おもいきり駆けだしていた。
「やるぞやるぞやるぞやるぞやるぞ!」
つまらない人間には、ならない。
なってたまるか。
あたしは、この物語の主人公になるんだ。
あたしの声に気づいてか、一匹のゾンビが、振り向く。
ニコちゃんマークと、目が合う。
それから後の行動は、我ながら超人じみた判断力だった。
「《ういんど》っ。――おすわりしてな!」
言って、ゾンビの頭を殴りつけるように風の魔法を使う。
すると彼は、ちょうど「ごめんなさい」するように状態を屈ませて、ちょうど足場になるような格好になった。
「よーし、けいさんどーりっ(嘘)」
すかさずその背を踏み台にして、
「《ういんど》!」
そう叫び、自身をふわりと浮き上がらせた。
いやはや。
あとあと思い返しても、奇跡的なアクロバットだったように思う。
でも、恐怖はなかった。そういう感情は、完全に麻痺していたんだ。
あたしは、強い。
あたしは、運に見込まれている。
あたしは、きっと死なない、……って。
気づけばあたし、建物の2階へ舞い降りていた。
まるで、――天使のお迎えみたいにね。
「ええええぇ……っ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきの彼女を前にして、横ピース。
「――正義の魔法少女が助けにきたよっ!」
なんつって。
我ながら、なかなかカッコいい登場シーンだったように思う。