その64 変身アイテム
『主人公、か』
アリスちゃん、ふてぶてしく欠伸をして。
『まあ、しょーじきそれも、ふつーのコトなんじゃけど』
「え、そうかなあ?」
『うん。じつのとこ、自分のことを物語の主人公みたいに思うのは、もっとも平凡な素養の一つなんじゃよ。わりとみんな、そう思って生きてる。……自分は、他と違う。”特別な存在”だと』
「………………」
『特にこういう非常時は、そういう思考が顕著になる。自分は、”ゾンビ”になった連中とは違う。運に見込まれている。だから、決して死なない、と。――これは実際、とてつもなく滑稽なことである。神ですら死を免れないというのに』
そう言われるとなんか、……ちょっぴりへこむなあ。
『だが、そんなおぬしに一つ、ぴったりなスキルを見つけてきたぞ』
「えっ。ほんとぉ?」
『うん』
そういって彼女が手渡してきたのは、――一台の、折りたたみ式携帯電話を思わせるアイテムだ。それも、かなりちゃちい……ピンク色で、プラスティック製のやつ。
あたしがそれを手に取ると、突然だった。
――あなたは”ある理由”により、生き残らなければなりません。
――あなたの存在が必要とされなくなるその日まで、あなたを導きましょう。
という声が、頭の中に聞こえてきたのは。
声の主は、すぐにわかったよ。
目の前にいる娘と同じ声だったからね。
あたしはすこし、眉を段違いにして、
「いまのは……?」
『ん。よしよし。聞こえたようじゃの』
「うん」
『これでおぬしは晴れて、”プレイヤー”になったということだ』
「ふーん」
と、言われても、”プレイヤー”が何なのかもわからないけど。
あたしはしばし、渡されたガラケー(?)的なやつを見つめて、
「えーっと。なにこれ?」
頭の隅ではちょっぴり、「馬鹿にされてる?」と思ってる。
ピンク色のそれは……どう見たって、子供向けの玩具みたいなんだもの。
だけどアリスちゃん、大真面目に胸を張って、
『ウィザード・コミューン、と名付けたものだ。これを使えば、おぬしは魔法少女に変身できるようになる』
と、そうのたまったんだ。
「魔法……少女?」
それはあたしの、ありとあらゆる想定にない言葉だった。
『うん。”物語の主人公”っぽいじゃろ』
……。
ええっと。
――あたし別に、そういうタイプの主人公キャラのイメージじゃなかったんだけど。
という言葉を、喉の奥で呑み込む。
その言葉を口にすること、それ自体がたぶん……アリスちゃんにとって、『つまらないヤツの発言』である気がしたから。
あたしその時、こんな風に考えていた。
――普通の自分を脱ぎ捨てろ。
狂気の果実にかじりつけ、……って。
『まず、最も大切な仕様について話そう。
このアイテムを天高く掲げ、”変身”ボタンを押しながら「変身」と叫びなさい。するとおぬしは魔法少女ミソラとなって、強力な力を発動することが可能になる』
「強力な……力……?」
『うん。その詳しいところは、使ってみてのお楽しみ、ということで』
「へー。そーなんだー」
よくわかんないけど、よくわかんないことはわかった。
『……どうにもピンと来ていないようじゃの』
「うん」
『いまはそれでいい。どーせ、生き残る奴はいろいろ工夫して生き残るし、死ぬヤツは何したって死ぬ』
「ひどいこと言うなあ」
『いいか』
アリスちゃん、あたしの肩にぽんと手を当てて、
『これから話す情報は、後になって必ず役立つ。いまは意味がわからなくても、……命に関わることだ。心して聞きなさい』
「う、……うん」
『ウィザード・コミューンに、”ステータス”と書かれたボタンがあるな?』
「ええっと……」
じっさいそれを観察すると、確かにそういうボタンがある。
『それを押すことで、現在のステータスと使用可能なスキルが表示されるようにできとる』
「ふむふむ」
実際にそのボタンを押すと、ウィザード・コミューンの画面が切り替わる。
灰色の画面に簡素な黒文字で表示された情報は、こんなかんじ。
【ステータス】
レベル:3
HP:11
MP:32
こうげき:4
ぼうぎょ:3
まりょく:54
すばやさ:14
こううん:18
【スキル】
《狂気(弱)》《正体隠匿(弱)》《自然治癒(弱)》《皮膚強化》《骨強化》《火系魔法Ⅰ》《水系魔法Ⅰ》《風系魔法Ⅰ》《地系魔法Ⅰ》
『詳しい性能は、あとあと自分で調べてもらうとして。……まあ、ざっくり見ればわかるとおり、純魔系のビルドを採用しておる』
「じゅんま……?」
『純粋な魔法使い、の略じゃ』
ふーむ。……ゲーム用語、ってやつかな?
クラスの男子がよく、そういう話をしていた気がする。ノーキンとか、ジュンマとか、カミソーコーとか……。
『純魔といっても、縛りがあるぶん、普通よりかなり強めのステータス設定にしておいた。ただし、この能力はあくまで”変身した状態”の強さであることを間違えないように』
「つまり、……プリキュアとかと一緒ってことね?」
『その通り。変身しなければ、おぬしは常人とまったく変わらぬ。”ゾンビ”一匹にすら手こずることを、よく肝に銘じておきなさい』
「ん。りょーかい」
その言葉の裏に潜んでいる意味を、私ははっきりと理解している。
――変身さえすれば、ゾンビにはもう負けない。
ってことだ。
『あとはまあ、……RPGとかといっしょ。敵を殺したり、人の世話をしたりすることで経験値が入って、レベルが上がる。レベルを上げれば上げるほど、おぬしは強くなっていく。そんなかんじ』
「……あーるぴーじーと一緒……」
『うむ』
ちょっと説明、投げやりじゃない?
オタクの人と話しているとき特有の、奇妙な説明不足を感じる。
あたしだって別に、まったくゲームをやらないって訳じゃないけど、……そーいうの、あんまり詳しくないんだよ。
けれどアリスちゃん、そんなあたしにはお構いなし、って感じで、
『説明すべきことは、そんくらいか。……そんじゃ、あとはお主次第じゃから。がんばれよー』
席を立った。
「あ、ちょっとまって。――例のあの、……性欲がなくなるって話は?」
するとアリスちゃん、『ああ、そうそう。忘れるところじゃった』と、なんだか頼りないことを言って、
『それなんじゃが、……ちょいと路線を変更することにした』
「え」
『性欲を失う程度じゃ、少々生ぬるいと思っての』
なま、ぬるい?
そうかな。ぜんぜんそんな風に思わないけどな。
けれどアリスちゃん、小悪魔的な笑みを浮かべて、こう続けたんだ。
『おぬしはもう、二度と恋愛できないようになった』
「……どういうこと?」
『たんじゅんたんじゅん。おぬしがこれから、誰かと両思いになったら、頭が爆発して死ぬのよ』
「あたまが……ばくはつ?」
『うん。そりゃもう、――ぼん! ってなる』
冗談みたいな言葉だったけど、嘘を言っている様子はない。
あたしは不安になって、自分の頭を撫でた。
何か、……爆弾のようなものが埋め込まれた気配はない。
ただ、自分の身体が、これまで通りでないという自覚はあった。
じっさいさっき、アリスちゃんの声が脳内に響き渡ったわけだし。
「ええと、……それって……」
『安心しろ。もしそういう状況が起こったら、いったん警告音が鳴るようにしといた。……警告音がしたら、すぐその場を離れる。恋人になりかけたそいつとは、二度と会わないようにすればよい。そうすりゃ、死なずに済む』
「そ……そっか…………」
『そっちの方が、……ほら。いろいろ面白くなると思ってな。――アニメに登場する魔法少女は、敵わぬ恋に苦しむものじゃ。ワハハ』
しょーじき言うと、その瞬間だったんだ。
自分の考えがいかに甘い見通しだったか、思い知らされたのは。
あたしこの娘のこと、ちょっとでも理解出来ると思ってた。
けど、違ったんだ。
この娘は、……”魔女”は。
あたしたち人間とは、まったく別個の倫理観を持っている。
――ちょっと待ってちょっと待って。
一瞬、何か質問しようと思う。
けど、舌がもつれて、言葉にならなかった。
考えるべきことが……山ほどあったから。
モゴモゴしていたのは、ほんの数秒間だけだったけど、
『そんじゃ、せいぜいがんばれよ~♪』
そう言ってアリスちゃん、溶けるようにその場から消え去ってしまったんだ。
「………………………」
その場に残されたのは、……ぼーぜんとベンチに座り込む、あたしだけ。
砂漠の真ん中に取り残されてしまったみたいな気分だった。
たそがれ時。
オレンジ色に染まる公園に、どこかの家の夕餉の香りが漂ってきている。
ぐう、と、お腹が空いてきていた。