その62 力の代償、魔女の取引
「あの……」
そこでいったん、深呼吸。
「……白髪の……お嬢さん?」
少しうわずった声色で、訊ねた。
すると少女は、胡乱な目つきでこちらを見上げ、
『ん。何?』
なんだか、遠い昔を懐かしむように応える。
その時、あたしの頭の中に浮かんでいたのは、『金の斧、銀の斧』の童話に登場する、泉の女神さま。
この後のやり取り、……ひとつ答えを間違えただけで、チャンスをふいにする。
そんな気がして、胃がキリキリとしていた。
あたしはしばし、敬語で話せばいいのか、年上のお姉さんぶった方が良いのか迷った後、
「……なに、やってるの?」
友達に接するような口調を選ぶ。
『ちょっといま、考え中。……とあるプレイヤーのスキルについてな』
「そ、そうなんだ」
『いちおー、すでに実装済みなんじゃが、ちょっと細かい仕様の調整をする必要があってなぁ。……あー、忙し忙し……』
細かい用語は、よくわからない。
けれどあたしは、何もかも知っているようなふりをして、
「あたしになにか、手伝えること、ある?」
『ある訳ないだろ。普通人』
ぐさり。
胸を刺すような、冷たい一言だった。
いつも気にしている身体的欠陥を指摘されたみたいな気持ち。
「いまの一言、お姉さん、傷ついちゃったな」
『あっそ。儂の生活とは、なんの関係もないの』
冷淡な口調だ。
どうやら彼女、興味のない相手には、とことんこういう対応らしい。
「……ねえ。前に会った大男の人、いま、どうしてる?」
『知らん。きっとどこかで、自分の乳首をこねくり回しているんじゃろ』
なにそれ、こわい。
「あなたこの前……あの人に、不思議な魔法をかけていたよね」
『うん』
「あれって、どういう……」
『悪いが、それに応えてやることはできん。物語のネタバレになってしまうからな』
「そ……そう、なんだ……」
眉間を揉む。
この子の言語感覚、少し不思議だ。
『ちなみに』
と、そこで彼女、上目遣いにあたしを見て、
『言っておくが、儂の気持ちはすこしも変わっておらんぞ。おぬしみたいな普通のヤツに力を与えても、どーせ大勢に影響しないんじゃから』
ぐさぐさり。
また、言葉の矢が刺さった。
「本当に、そう思う? あたし結構、友達の間じゃ、変わり者で通ってるんだけど。……さいきんじゃ、ちょっとした悪事にも手を染めてるし……」
『っつっても、可愛いもんじゃろ。アマチュアレベルの』
「アマチュアって……、変わり者にも、プロとアマがあるの?」
『ある』
彼女、はっきりとそう断じて、……深く深く嘆息した。
そして、優しいおばあちゃんが孫に語りかけるように、言う。
『おまえみたいな”まともなやつ”に力を与えた結果、何が起こるか。教えてやろうか?
……まずおぬしは、自らの生命維持を第一に考える。
実際それは、容易いことだ。”スキル”を使えば、苦もないことじゃろう。
結果、おぬしの所属するグループは、ゾンビによる被害を最小に抑えることができるに違いあるまい。
となると、次に起こる事象は、――一つ。
英雄として祭り上げられたおぬしは、突如として手のひらを返す。
こんどは、自らの欲望を満たすため、他者を利用するようになる。
人間にとって最も単純な欲望……性欲、食欲、睡眠欲。それら全てを、よりよい手段で摂るために』
彼女の長台詞に、あたしは息を呑む。
まるで、最初から話すべき言葉を決めていたみたい。
『するとどうじゃろう。
それまで、おぬしを英雄視していた連中はある日、このように思う。
「自分はこんなにも惨めな境遇なのに、あいつはズルい」ってな。
んで、おぬしはその辺のくだらん雑魚に、”ゾンビ毒”あたりを盛られて死ぬ。
終わり』
いけない。
このまま言われっぱなしじゃ、以前の二の舞になる。
「じゃあ、そうならないようにすれば……」
『無駄無駄。人生は長い。いずれ禁忌をやぶることになる。「自分はきっと、大丈夫」なんて思い込んで、他者の知性を軽んじるようになる。……儂はそういう例を、山ほど目の当たりにしてきた』
そういうの、どこかで聞いたことがある。
『正常性バイアス』っていうやつだ。
……って、いけない。
へんに知識があるせいで、彼女に説得されてしまってる。
「でもあたし、そうならないって自信、あるけど」
『無理無理。それともおぬし、十年前に言われた親の説教をいまだに守り続けているか?』
「ええっと……」
十年前って言われても、そのときあたし、七歳だし。覚えてないよ。
『ことほどさように、おぬしみたいなのに力を与えても、しょーもないことに使うのが関の山っちゅうこと。一におまんこ、二にまんこ。それに飽きたら趣味的に、”正義の殺人”を行う。つまらん。じつにありきたりだ』
「ありきたり……」
少女がその言葉を、吐き捨てるような口調で言ったのを、あたしは聞き逃さなかった。
――やっぱり、そういうことか。
彼女が嫌いのは、それ。
わかっていた。
想定済みだった。
この一週間ずっと、いろいろなパターンを考えてきた。
そして、きっとそうだと思っていた予測の一つが、正解だった。
――神様と取引するには、何かを差し出さなきゃいけない。
あたしにとって、とても大切な何かを。
覚悟は、決まってる。
もし望まれるなら、自分の喉を掻ききる覚悟だってしていたんだ。
あたしは、この世界の主人公にならなきゃいけない。
そうじゃない自分なんて、これっぽっちも未練がない。
だから。
あたしは、契約の言葉を口にした。
「じゃーさ。あたしから、そういう欲望を奪ってよ。……人と繋がりたいっていう気持ちを。……あなたの魔法って、そういうことができるんじゃないの?」
自分でも、滅茶苦茶な言い分だってわかってる。
でもなんでか、絶対的な確信があった。彼女にはそれができるって。
『なぬ』
その言葉を聞いてはじめて、少女と目が合った。
彼女、目をまん丸にしてこちらを見て、
『人と繋がりたいという欲望。……つまり、性欲を奪え、と?』
「まあ、そう解釈してもらってもいいよ」
『おまえそれ……おまえそれ……自分で思っているより、かなり辛いことになると思うけど。まじで言ってる?』
「うん」
『ふむ』
そして少女は、しばし考え込んで、
『なかなかどうして、いかれとる。……ちょっとだけ、おぬしに興味が湧いてきた』
ベンチを立ちあがり、忙しそうにその辺りをくるくると歩き回った。
『すこし、考える時間をくれ』
「いつまで待てば良い?」
『明日。同じ時間に』
「わかった」
あたしは、特に迷うこともなく頷く。
すると彼女、あたしの顔を見上げて、
『……そういえば、名乗ってなかったな。儂はアリス。”魔女”アリスだ』
アリス。
彼女、魔女だったんだ。
「あたしは、凪野美空。改めて、よろしくね」
まあ、神様だろうが魔女だろうが、どーでもいいことだけれど。