その61 モヤモヤの一週間
そうしてあたしは、くらくらする頭を抱えながら帰途についた。
頭には、あの娘に言われた、
――だっておぬし、あんまりにも普通なんじゃもん。
って言葉が、何度も、何度も。
まるで、何かの呪いみたいに繰り返されていて。
その時、厭でも気づかされたんだよ。
あたしずっと、自分のことを物語の主人公のように想っていた、けど。
それってよーするに……個性がない、ってことなのかも、って。
だってそうでしょ。
物語の主人公って結局、良い子ちゃんがなることが多いじゃない。
そーいう人って、魅力がない訳じゃないけどさ。
あんまり、仲良くなれる気はしないもんね。
――そんなやつに力を与えても、……つまんないし。
つまらない。
あたしは、つまらない人間。
…………ううむ。
……。
……………。
……………………ちくしょう。
▼
そうしてトボトボと、アキちゃんの家に戻って。
ポケットの中にはまだ、くしゃくしゃに丸めた紙束(二十万円)が入ったままだった。
道中、親の仇みたいに握りしめていたそれは、ちょっぴり手汗で湿っている。
「お帰り。みーちゃん」
アキちゃん、あたしの顔色をうかがいながら、訊ねた。
その時のあたしったら、そりゃーもう酷薄な表情だったみたい。
みんな、オバケでも見るような目つきだったよ。
「それで? …………どうだった? ……煙草は……?」
仲間の一人が、おずおずと訊ねる。
まるで、それの有る無しが命取りになる、とでも言わんばかり。
対するあたしは、吐き捨てるような口調で、こう言った。
「お金は、役に立たない。たぶんもう、永遠に」
そうして、くしゃくしゃの紙切れをアキちゃんに突っ返す。
「そんな」
さっと、みんなの顔色が青くなった。中には、「じゃあなんで戻ってきたのよ」とでも言わんばかりの子も居る。
そこであたしは、懐に隠していた煙草を、ばらばらと床に落とした。
……もちろん、持ってきたのは、煙草だけじゃあない。
缶詰類にチョコレート、粉スープなど。
保存が利いて、カロリーの高そうな食べ物を、片っ端から。
「わあ!」
するとどうだろう。
クリスマスプレゼントを目の前にした子供みたいに、みんなが集まってきた。
「……こ、こんなに!? どうしたの?」
「もちろん、盗んできたに決まってるじゃん」
「えっ」
アキちゃんが、悲鳴のような声を上げた。
「それで、バレなかったの?」
「うん。その辺りはすっかり混乱していたし、誰がお金を払っていたかなんて、いちいち確認している様子もなかったから」
淡々と説明しながら、……胸の中では、暗いものを感じている。
――あたしは決して、つまらない人間じゃない。
ぜったいあの娘を、見返してみせる、って。
▼
それから一週間ほどは、平和な時間が過ぎた。
とはいえ、同居人はすっかり減っちゃったけれど。
「ごめん。やっぱり私、お母さんを探しに行く」
「私も」
「……私も」
「お父さんに会いたいの」
「弟を探さなきゃ」
「ずっとここでこうしているわけにはいかないから」
一人抜け。
二人抜け。
三人抜け。
「世界が元に戻ったら、また会いましょ」
「怪我しないでね」
「元気でいてね」
「お互い無事でいようね」
「困ったことがあったら、いつでも頼って」
「あたしたち、一生の友達よ」
四人抜け、五人抜け、六人抜け。
いつしか、あたしたちのグループは、あたしとアキちゃんの、たった二人だけになっていたんだ。
「「「「あたしたち……きっとまた、ここに帰ってくるから!」」」」
みんながみんな、再会を誓い合ったけど、それが今生の別れになることは、お互いうっすらと気づいていた。
だってもうすでに、……この辺りにも、”ゾンビ”の群れが押し寄せていたんだもの。
とはいえ、航空公園のグループはかなり、運が良い方。
大人たちがバリケードを作ってくれたお陰で、辛うじて生活圏内から”ゾンビ”を追い出すことができたから。
だからあたしたち、地獄みたいな街に住みながら、わりとのほほんとした生活を送ることができていたんだ。
その頃のあたしは、毎日のように外を出歩いては、他人様のものをポケットに突っ込む日々を送っていた。
盗んだものは、さまざま。
煙草に食糧品、ライターや、携帯ラジオ、……場合によっては、防災用鞄を丸ごと盗ってきたこともある。
そのどれもが、「絶対に必要だったから」って訳じゃない。
ぜんぶ、練習のつもりだった。
この、狂った世界を生き抜いていくための、練習。
これから先、人類はたぶん、資源の奪い合いをする羽目になる。
だからもう、きれい事を言っているだけでは、生きていけないんだ。
――だっておぬし、あんまりにも普通なんじゃもん。
この一週間、たっぷり考える時間があったことは、あたしにとって幸いだった。
彼女に気に入られるには?
それが、主な思索のテーマ。
その頃すでに、あたしはこの世界の本質に気づいていた。
この世界の正体。それはきっと、――神様の暇つぶしに過ぎないって。
例えば、……そう。
ギリシャ神話の世界では、色んな英雄が、神のきまぐれに翻弄される様子が描かれるでしょ。
この世界で行われているのはきっと、そういうことなんだ。
だからこそあたしは、できるかぎり行動範囲を広くしていた。
そうすれば、もう一度あの、白髪の女の子と出会えるかもって。
彼女はいま、「面白いやつ」を探してる。
あの大男一人だけで、満足するはずはない。
そう思えた。
そしてあたしの予測は、見事に的中したんだ。
「ねえ、ミソラちゃん、ずっと探してた子、見つけたよ! すぐそこの緑地でさ」
なんて。
近所に住む、噂好きのおばさんが声をかけてくれたから。
あたしが毎日、「白髪の女の子」のことを聞いて回るから、気にかけてくれたみたい。
それであたし、大慌てでおばさんが教えてくれた場所に向かったんだ。
この辺りで”緑地”と言ったら、団地専用の小さな公園のこと。
ブランコをキコキコする、幽霊みたいな女の子を見かけたって。
あたしは、走った。
この一週間、ずっと抱えていたモヤモヤを、胸に秘めながら。
▼
たそがれ時。
この世とあの世の境界線を思わせるその時間に、少女はぼんやりとブランコに腰掛けていた。
――うわ。
その姿を見て、……あたしはどこか、本能的な恐怖を感じている。
ノスタルジックな陽光に照らされた彼女は、どこをどうみても”普通の人間”じゃあない。
黄泉の国の住人。
そんな雰囲気だった。
「あの……」
震える声で、声をかける。
『むむむむむ……』
少女は応えず、なんだか真剣な表情で考え事をしているみたい。
その時、あたしはこう、直感していた。
これから行う、何もかもが……あたしの運命の、大きな分かれ目になるって。