その48 男子便所にて
その後、なんとかかんとか死骸の山まで移動した僕は、ココアと岩田さんの死体を立てかけるように二つ、並べる。
そして、すぐそばに放置されていたガソリン携行缶を拾って、
「南無阿弥陀仏」
と、再び唱えて、どぼどぼどぼどぼと二人の死体にガソリンをかけていった。
少し離れて、マッチに火を点け、ぽいっと死体へ投擲。
ぼう、と火の手が上がって、すぐに真っ白い煙が二人の身体に覆い被さる。
暗闇を照らす火の光が、一匹の魔物のように揺らめくところをぼんやり眺めながら、
――さて。
と、足早にそれに背を向けた。
長い時間、屋外に出ていたくないという気持ちがある。
少女たちの気が変わって、豪姫まで狙撃されないとも限らない。そういうことを平気でするのが、若さというやつだ。
――とりあえず、弟に事情を説明してしまうか。
ということで、奴が寝ている従業員用の休憩室を目指す。
もちろん、その場には美春さんもいるだろう。しかし事態は、急を要する。悪いが四の五の言っていられない。
断固たる決意で休憩室を目指したところ、すでにその扉が半開きになっていることに気付いた。
「……む?」
疑問に思いながら室内を覗き込むと、毛布にくるまれて芋虫のように眠っていたのは、美春さんただ一人。亮平の姿はない。
僕は少し心配になって、まず便所を目指す。
水が流れないトイレは、今のところ何の価値もない空間ではある、が。
弟は悩みがある時によく、便座に座り込む癖があるのだ。
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そうして、男子便所に足を踏み入れる、と……。
「む」
否応なく、鏡に映った豪姫の顔面を目の当たりにする羽目になる。
彼女は今、火の魔法をもろに受けた結果、片目がほとんど潰れてしまっているようだ。
「………――むう」
こんな風になってしまってはもう、彼女を使って人と会うことはできないかもしれない。
僕はまず、店内で拾った包帯で傷痕を隠したのち、フードを目深に被せることにする。
鏡を見ると、なんだか闇属性の魔法を操るダークヒーローみたいなキャラデザになったが、これはあくまで応急処置だ。
やはり、女の子の顔を傷つけたままにしておくのは、すこし気が重い。
――どうにか、怪我を治す魔法のようなものを憶えられればな。
そういえば岩田さん、回復魔法、とでも言うべきスキルを取得していたようだが……果たして、僕がそれを憶えるのはいつになることやら。
ちなみに弟の存在は、とっくの昔に確認できていた。
男子便所の最も奥にある個室から、『ウームムムムムムム……』という、オバケが悲鳴を上げているような声が聞こえていたためである。
「……かさねさんたちがこの声聞いたら、泣くだろ」
独り言を言いつつ。
『りょうへい』
まず、声をかける。
足音から、誰かがいることは察していたらしい。弟は大して驚いた様子もなく、
『よう、兄貴』
『とびらをあけろ』
『ごめん。ちょい無理』
『なぜだ』
『いま、おちんちんいじってる』
さて。
この世に存在する兄弟には、成人向けの雑誌を共有し合うような仲の者もいると聞く。
そのような関係性であれば、シモの話も気兼ねなく行うのかもしれない。
だが僕たちの場合はそうではなかった。我々は一緒に暮らし始めたのがほんの数年前であるためか、年の離れた同居人、という印象が強い。
僕は、どう応えるべきかさんざん迷って、
『ちんちんいじるの、メーッでしょ。やめになさい』
と、なんだか赤んぼうを諭すような口調になってしまう。
『だって……おれ、……おれ……』
『おちつけ。なにがあった』
『知ってるくせに。聞いてたろ。おれのていたらくを』
『ああ……』
そういえば、弟は豪姫が休んでいる場所を知っていたのだったか。
『あれから……なーんかおかしいなって思っていろいろ試してるんだけど……どうにもうまくいかん。かつてあんなにも多くの冒険を共にしたおれの相棒が……おれの可愛いジョーが……どうしても、立ち上がってくれないんだ……真っ白に燃え尽きちまったみたいに……』
こいつ、股間にニックネームをつけてるのか。
……いや、どうなんだ? みんなそうしてるのか? そうするのが普通なのか?
僕ははっきりいって”普通の男”ではないから、その辺の基準がわからん。
『なあ兄貴。……おれ、ふにゃちん野郎になっちまったよぉぉぉぉぉ』
額に手を当てて。
なんだか、じっとりと汗をかいていることに気付いて。
そしてゆっくり、慎重に、キーボードを叩く。
『まあ、じんせいには、いろいろなことが、ある。きにするな』
『気にするなって……気にするよ。お、お、お、おれ、男として情けねえ……』
『おとこのかちは、それだけじゃないぞ』
続く言葉をタイプしながら、こう思う。
僕はもっと、迫る危機について、有意義な相談をするつもりで来たのだが。
『ほんとぉ?』
個室の扉が、数センチほど開いた。
泣きそうな表情の弟と目が合う。
『具体的にはぁ?』
『けんかがつよい、とか、あたまがいい、とか、かせぎがいい、とか』
『ぜんぶ自信ないよぉぉぉぉ』
ぱたん、と、扉が再び閉まる。
……まったく。
さすがに、深いため息が出た。
とはいえ、かつて自分も通った道のため、同情の気持ちも大きい。
その後、僕と亮平の議論は、『果たしてアダルトビデオ男優はこの世で最も幸福な職業だろうか』的な道草を経由した後、『たぶん心因性のものだから気にするな』『僕が以前そうなったときは、なぜか明石家さんまのジョークで笑っていたら治った』『そのうち必ず、泌尿器科のお医者さんかバイアグラを見つけるから元気を出せ』あたりの説得で決着をつける。
げっそりとやつれた弟が便座から引き剥がし、――ようやく本題に入れた頃には、時間は0時前。
弟と同じくらいやつれた顔になって、僕はようやく、この数時間の出来事の概略を説明することができた。