その46 追跡者
岩田さんの死に顔は、僕がもたらした苦痛に反して、――実に安らかだった。
ただ一点、この世の行く末を憂うような、哀しげな目をしている。
生きていたころより、今の方がよっぽど生気が感じられるのが不思議だ。
「…………――さて。どうしたものかな。この始末」
僕はまず、彼女のその目を閉じさせてやろうと、Fキーを使ってココアに探らせる。
が、どうやら”ゾンビ”たちには「死者を丁重に扱う」というコマンドがないらしい。
『ぐるる……』
ココアはぺたぺたと彼女の顔面を触れるだけで、まったく僕の意図通りの行動をしてくれなかった。
――こういう時、不便だな、やっぱり。
どうも”ゾンビ”たちは、使い方が明確ではない物体への扱いが苦手らしい。この辺、次にアリスに会った時に一言言ってやるべきかもしれないな。
何度かFキーを使ってぺたぺたさせているうちに、僕はふと、Eキー(アイテムを取得する操作)を使って一度、その顔面を持ち上げてみることを思いつく。
するとどうだろう。
『ぐるぁッ!』
気合い一声。
ココアは岩田さんの首から上を両手で掴んで、もの凄い力で引きちぎってしまった。
「わあっ、これはひどい!」
自由度の高いゲームなどでは特に、不用意なミスクリックで非人道的な行為をしてしまうことがある。この時はちょうど、そんな感じだった。
強引に引き裂かれた首の断面から、血がどくどくと噴き出している。
乱世の敵将ですら、ここまで酷い扱いは受けなかっただろう。
――しまったな。……すまん、岩田さん。化けて出ないでくれ。
僕は、二目と見られない姿となってしまった彼女の首から上を眺めて、
「……焼いてしまうか」
さすがに、ここまで尊厳を踏みにじられた死骸をみんなに見せるのは忍びない。
――場所は……あの”ゾンビ”たちの山でいいか。
木を隠すなら森の中、死体を隠すならゾンビの中。
そう思いながらずるずると死骸を引きずっていき、ビルを出て道路へ進み、さてこの死体、バリケードをどう飛び越えさせるか、いっそ投げてしまうか、と、思案していると。
本当に……唐突だった。
ぷつん、と、電源のスイッチが切れたみたいに、ココアの視界が消滅したのである。
「……ん?」
驚き、停電を疑う。誰かが電子レンジを点けたのか、と。
だが、そうではない。
いま、PC画面上にはホームセンター付近の地図が表示されていた。
加えてこの、胃を締め付けるような飢餓感。
――まさか。
可能性は一つしかなかった。
ココアは殺されたのだ。
岩田さんが生き返って? あの状態から?
いや。まさか。
となると、考えられるのは、――
――第三者の介入か。
ぞ……っと、背筋が凍る。僕もいずれこんな風に、前触れなく死ぬ時がくるのだろうか。
逡巡はたっぷり、数秒ほど。
慌てて、Barで休ませていた豪姫に操作を戻すと、画面いっぱいに一人の女の顔面が表れた。
「な……ッ、なんだこいつ!?」
ぎょっと上体をのけぞらせる。
『んー? ……これ、動かないゾぉ?』
一目見て、少し変わった娘だとわかった。
眼球の中に、きらきら光る銀色の★のマークが入っている。たぶんそういう柄のコンタクトレンズを入れているのだろう。
『おーい。……はろーはろー。えにばでぃ、ほーむ?』
彼女は、壊れた家電にそうするように、豪姫の頭をこんこんと叩く。
『……がるるるる……』
『おっ動いた動いた! よしよし!』
そして彼女、ニコニコと笑って、今度は豪姫の頭を愛おしげに撫でた。
『きゃわいいね、あなた』
そうして初めて、彼女の全身像を見る。
オレンジ色に染めた毛量の多いふかふかのツインテールに、フリルやレースなどが過剰にあしらわれたドレス。かつて原宿あたりでよく見かけたロリータ系のファッション……に、よく似た服装。
一言でそれを表現すれば、”魔法少女”系アニメのコスプレ、という表現が最も近いだろうか。
――綴里がいてくれれば、細かい解説がつきそうだが。
そっち系のアニメには造詣が深くないため、その正体まではわからない。
『はろはろ~。聞こえてるぅ~? この子を操ってるプレイヤーさーん!』
……何?
こいつ、僕の正体を知っているのか?
眉をひそめていると、
『あは、あは、あはは。聞いてるんだったら、応えてよぉ~。この子も”退治”しちゃうよー?』
退治……か。
その無邪気なセリフに、「ああ、やはりココアは殺されたのか」と、胸をえぐられた気分になる。
指は、勝手に動いていた。
『……なにものだ、おまえ』
何となく、彼女を刺激するのは危険な気がして、僕は素早くチャットを入力する。
『おお! アリスが言ってたとおりだわ! 本当にそこいらの”ゾンビ”と違うんだ! オモシローイ』
そう言って彼女、しばらくけらけら笑っているので、僕は再び訊ねる羽目になった。
『なんの、ようだ?』
『用? 用件? えーっと。なんだっけ。わすれた』
おいおい。
『あれ? あれれ? マジであたし、どうしたらよかったんだっけ?』
『――ちょっとミソラしゃん、ちゃんとメモ渡したでしょ!?』
『ごめん、たぶんなくした!』
『ばか、ばか、うんこ!』
口を挟んだのは、「さ行」が苦手らしい、妙に舌っ足らずな声だ。
見ると、ミソラと呼ばれた魔法少女っぽい女のベルトに、無線機が装着されている。声はどうやら、そこから聞こえているようだ。
無線機から聞こえてくる音声はさらに、こう続ける。
『我々は、とある新参”プレイヤー”のチームでし。しくよろ』
『……ああ。しく、よろ』
『おまえしゃんも、こっちのことは聞いてたはずだよね? ――今日、JKを三人、”プレイヤー”にしたって』
ほう。
『それじゃ、君らは……』
『そのとおり! 我々もまた、アリスから不思議な力をもらった三人組、なのでし!』
一拍遅れて、『……なのだ!』と胸を張るミソラさん。
――ということは、ついさっき”プレイヤー”になったばかりか。
眉間を揉む。
それで、彼女たちがこの場にいる筋道がわかった。
――こいつら、あの並木通り……恐らくは団地のどこかに潜んでいたのだ。
そして、例の”ゾンビ”襲撃での戦闘を目の当たりにし、――夕闇に紛れてこちらを追跡していた。
その結果いま、岩田さんとの戦いに介入される形になっている、と。
『「なるほど。ついさっき”プレイヤー”になったばかりか。だったら今のうちに殺してしまった方がいいか」……おまえしゃん、そう思ってる?』
『…………イイエ?』
『白々しい。――けどそれ、甘い考えでし。もしここでお前がミソラしゃんを殺しても、こちらにはぜんぜん痛手にならないから! そいつはぶっちゃけ、捨て駒でし!』
『そう! 私は捨て駒なのよ』と、何故か自信満々に言ってのけるミソラさん。
『ちなみに、そっちに拒否権はないことを言っておきましゅ。――あちしらはいつでも、おまえしゃんの仲間を八つ裂きにできるからねえ……!』
ため息と共に、PCから視線を逸らす。
モニターから伝わってくる情報だけでは、どうしてもこの手の尾行に弱い。
今回はその弱点を突かれた形になったか。
――それにしても、アリスの奴め。
こうなってくるとこのピンチ、ほとんどあいつのやらかしが原因じゃないか?
今度会ったら、運営にクレームつけてやる。