その44 待ち伏せ
経験上、自分が操作しているゲーム・キャラクターがダメージを受けたとき「痛い」と口走るようなことは珍しくない。
だが、その時に感じた痛みはそういう、条件反射的なものとは少し異なっていて……確かに僕は、顔の右半分を焼かれたような痛みを感じていた。
別に、痛覚が繋がっているとか、そういうことではない。
ただ、友だちが傷つけられたことに、強い精神的苦痛を受けていたのだ。
――すまん、豪姫。
その一方で、こうも思っている。
まだゲームは終わっていない。まだ戦える。
この戦い、どれだけ傷を受けても、絶対に勝ってみせる、と。
左シフトキーを入力しながらSキーで、飛ぶように後退。
即座に壊れたロングソードを岩田さんに投擲した。
『――ッ!』
痛みを知らぬ反撃に、少なからず意表を突かれたのだろうか。彼女はもろにそれを受ける形になる。
利き腕の肩を刃が掠め、その肉を数センチほど切り裂いた。
ぱっと花が咲くように血が噴き出し、アスファルトが濡れる。
「むッ?」
一瞬、疑問に思う。
今のは、致命傷になってもおかしくない一撃だ。
どうも彼女、常人よりも遙かに頑強な皮膚を持つらしい。
「浅かったか……!」
もし勝負を決めるなら、――もっと。
もっと急所を攻撃せねば。
そう判断するや否や、僕は脱兎の如くその場を後にする。
視界の隅で、彼女の手のひらが緑色に輝いているのが見えた。同時に、傷が見る見るうちに癒えていくところも。
――回復魔法。
ホイミとかケアルとか、その手のやつ。多分。
ことここに至って、敵の持つ術の多彩さを見せつけられた気分だ。
『……待て!』
女が鋭く叫ぶが、もちろん聞き入れる訳にはいかない。
僕は、ここに来る道中に見かけた死骸の山を目指して、走る。食事の邪魔にならないよう、駐車場の隅にまで追いやられたそれの前に移動すると、山を踏み台代わりに使って、バリケードを飛び越えさせた。
『な……っ!』
その行動に、流石の岩田さんも絶句する。
死臭に満ちたそれに触れるなど、常人であれば間違いなく躊躇することだろう。
だが少なくとも、PCモニター前にいる僕は気にしない。
『に……逃がすかっ!』
とはいえ、岩田さんもなかなか肝が据わっている。どうやら、彼女も同じことをするつもりらしい。
――それなら、この手だ。
その後に行った僕のキー操作は実に正確で、ゲーマーやってきて良かったと自惚れずにはいられない。
まずESCキーを入力し、豪姫を退避させる操作を行いながら、地図上の死骸の山がある辺りをチェックする。そこに赤点を発見した僕は、素早くそれをクリック。その個体を支配下におく。
画面は、暗い。それもそのはずだ、今操作しているのは、半死半生の状態で辛うじて生きながらえている”ゾンビ”なのだから。
まだ息がある個体があるかどうかは賭けだったが、今回は運に恵まれたらしい。
僕は移動キーを連打し、とにかくそいつを暴れさせる。
力を振り絞った”ゾンビ”が藻掻き、死骸の山がぐらりと揺れた。
『――ひッ!?』
こちらを踏み台にしようとしていた岩田さんが悲鳴をあげる。
僕はすかさず、彼女の身体に噛みついてやろうと”ゾンビ”を前進させる、が。
『………………ッ』
ぼき、と音を立て、右足が根本から砕けた。
ガソリンで焼かれたため、足腰がほぼ炭化していたらしい。
ごろりと地面に転がって、仰向きの姿勢で見上げた岩田さんが、――
『……このっ。――《火の四番》ッ!』
こちらに手をかざし、もの凄い勢いの炎を放射する。
即座に、PC画面がブラックアウトした。
――殺られたか。
瞬間、強い飢餓感に胃を締め付けられる。
たっぷりカロリーを摂取したお陰で、まだ余裕はあるが。
できればワンパンくらいは食らわしてやりたかったが、少なくとも時間稼ぎはできたらしい。火の”魔法”のバリエーションを知ることができたことも大きな収穫だ。
《火の一番》《火の二番》《火の三番》《火の四番》。
恐らく、さっき使ったあの火炎放射の術こそが彼女の持つ最大の技だろう。
飛距離は目測で、三、四メートルほどか。
その射程内が、彼女のが使う術の必殺の距離である、と見た。
再びESCキーを入力し、豪姫に操作を戻す。
とりあえず、武器を探す必要があった。
こちらに意識を向けさせるに足る武器が。
行くべき場所は、最初から決まっている。
以前女たちが身を隠していたBarだ。
暗闇の中、さっと店の扉を開けると、狭い店内のカウンターに、包丁が数本と、アイスピックが一本。マグネット式のホルダーに綺麗に並べられている。
「……よし」
それを手に取り、さっと窓のカーテンを引き、店内を暗闇で満たした。
今の豪姫は夜目が利くようになっているため、月明かりがない方が都合が良い。
そして僕は、店の中央に豪姫を立たせ、武器を構えさせる。
――できればこのまま、引き下がってくれ。
正直に言おう。
ここまでやり合っておいて今さらかもしれないが、できれば岩田さんを殺してしまいたくはなかった。
別に、彼女の長話を聞いて同情したから、ではなく。
それだけ、彼女の持っている情報は貴重なのだ。
仮に殺し合いが我々の運命だとしても、協力し合うことはお互いの不利益にならないはず。
集中力を保ったまま、じっと店の出入り口を睨む。
待っていたのは、十数分ほどだろうか。
こつ、こつ。
僕の期待に反して、ゆっくりと階段を昇ってくる音が聞こえてくる。
がちゃり。がちゃり。
どうやら、しばらくこちらを見失っていたようだが、このビルに見当をつけたらしい。
こつ、こつ。
足音が、各階の扉を順番に開けていくのがわかる。
内心、何度も「諦めてくれ」と願っていたが、女は淡々と作業を繰り返した。
――それほどまでか。
それほどまで、彼女の想いは強いのか。
”神域に至る”……。
その意図はまだ、よくわからないが。
やがて彼女は、店の前で足を止めて。
『……ここか』
と、確信に満ちたつぶやきを漏らした。