その43 殺るか、殺られるか
――神域に、至る……?
眉間に皺を寄せる。
言ってる意味がわからない。急にそのようなワードが飛び出したことに、妙な違和感を憶えていた。
あるいはそれも何か、宗教的な”教え”の一種なのだろうか。信心深くないせいか、その手の知識に疎い。
『そう。私とお前が戦うのは、運命なの。……神様に選ばれるための』
『まて』
なんでそうなる。
だいたいその、神ってのはどういうやつだ。
数歩後退し、彼女と距離を取る。
とはいえあの、妙に喧嘩腰のメモを見た時から、こうなるような気がしていた。
だが、納得はできない。
最初にアリスと会ったとき、彼女はなんと言っていたか。
――”プレイヤー”って連中がいてな。そいつらは基本、生き物を殺したり、人に感謝されるなどして経験値を稼ぐ。んで、レベルアップして、強くなっていくわけよ。
それだけだ。
それ以上のことは聞いていない。
”プレイヤー”同士で殺し合え、などと。
しかし少なくとも、目の前の女がそれを望んでいることは確かだった。
戦うこと、それそのものに恐怖は感じていない。所詮僕がいるのは、自室にあるPC前。自分の命を賭けた殺し合いではないのだから。
それでも、自分の指先が奪う、その命の価値には無関心ではいられなかった。
『やめ……やめて、くれ』
素早く文字入力を行いながら、僕は忠告する。
目の前の女は、燃えさかる火炎の剣を逆手持ちにし、両手をだらんと垂らしたような格好で、ゆっくりとこちらに近づいていた。切っ先がアスファルトに触れて、白い煙が上がっている。
――不確かな思い込みが動機のくせに、ヤル気マンマンじゃないか。
やはりこの女、どうかしてる。
『かさねさんたちは、』
僕が思いついた、最後の説得の言葉は、これだった。
彼女は、びくりと眉をしかめる。不自然な豪姫のイントネーションを、不気味に思ったのかも知れない。
『かさねさんたちは、どうするつもりだ』
『…………安心しろ。おまえが死んでも、あいつらは私が護る』
するとアリスの声が、脳裏に響き渡った。
――”強欲な魔法使い”が敵対行動を取っています。
――彼女を殺すか、降伏させてください。
こうなってはもはや、引き下がれない。
殺すか、殺されるかだ。
逡巡しながらも、その指はほぼ自動的に動いている。皮肉にも十字架を模した形をとった西洋の剣を手に、僕はしっかりと彼女を視界内に捉えた。
『ぐるるるるるるる……』
豪姫が威嚇する中で、慎重に彼我の距離を見る。
幸い、駐車場はかなり広かった。十分に走り回ることができるだろう。
だが、逃げられたとして、この駐車場を飛び出すことは難しい。
何故ならこの辺りは、美春さんたちが行った丁寧なバリケード封鎖によって四方が塞がれているためだ。
――もしここを出るなら、……踏み台になる何かが必要だが。
とにかく今は、”魔法使い”とやらの戦い方を知らなければならない。
先手を取ったのは、岩田さんだった。
『”火の二番”ッ!』
呪文を唱えると同時に、岩田さんの左手に鮮やかなオレンジ色の火球が出現する。
そして彼女は、アンダースローでそれを投擲。僕は素早く、ロングソードを盾にして防いだ。
どう、と、マグマのように粘土質の何かが弾け、火球が空中に溶ける。
――これは……。
駐車場の”ゾンビ”たちに使っていた技か。いや、技と言うよりもこれは、”魔法”とでも呼ぶべきシロモノかもしれない。
これまで、便宜的にスキルの力をそう呼ぶこともあったが、いま目の前にしているこれは、はっきりとわかりやすく”魔法”だ。
火の魔法。
こういうスキルもあるのか。
包丁に炎の力を付与しているのも、恐らくその一種に違いない。
とはいえ今のところ、遠距離戦にはさほどの脅威を感じなかった。
生身の身体であれば火傷の恐れがあるが……幸い、豪姫はほとんどのダメージを無視することができる。
しかし、一方的に攻撃を受け続ける訳にもいかなかった。
――さっさと終わらせる。
二発目を受ける前に素早く前進し、ロングソードが届くギリギリの間合いで左クリック。
『――があ!』
豪姫が雄叫びを上げ、剣を振るう。
しかし、――
『――……ッ!?』
金属同士がぶつかる硬質な音と共に、剣はピタリと動かなくなった。
岩田さんは身じろぎ一つせず、相変わらずの真顔でじっとこちらを見つめている。
「なん、だと?」
一瞬、このタイミングでPCがフリーズしてしまったのかと疑う。
大の大人ですら振り回すのに苦労しそうな大剣を、市販の包丁が、刃こぼれ一つ起こさずに受け止めているのだ。明らかにそれは、常人の業ではない。それどころか、物理法則にも反しているように思える。
――超人。
そんな言葉が、脳裏をよぎった。
逡巡は、時間にして一秒にも満たない短い時間だったが、――
「――ッ!?」
どろり、と、ロングソードがくの字に折れ、ようやく何が起こったか気付く。
溶けたのだ。剣が。
鉄の融点は1500度以上だから、これは尋常な出来事ではない。人間など、灰すら残らない温度だ。
女の唇の端がにやりと持ち上がる。
瞬間、どじゅうと音を立て、PC画面の右半分が、不調を起こしたように暗くなった。
例のあの火の包丁を、顔面に押しつけられたのだ。
『ぎあ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……ッ!』
豪姫の悲痛な声が上がった。
身を裂かれるような思いで歯を食いしばりながら、僕はこう思っている。
そもそもこれは、勝ち目のある戦いなのだろうか、と。




