その40 隣室にて
――では、取得するスキルを選んで下さい。
――1、《死人操作Ⅵ》
――2、《拠点作成Ⅱ》
――3、《格闘技術……、
「ちょっと五月蠅いぞ。静かにしていろ」
頭の中の声にそう応えつつ、全神経をヘッドセットに集中する。
深夜の来訪。
この状況下で。
まさか、荒事にはならんだろうが……。
一応、マウスとキーボードに手を当て、戦闘の用意をする。
『あ、どうも……お疲れ様です』
『うむ』
かつ、かつ、と、歩く音。
『そこ、座ってください。飲み物いります?』
ぼす、と、ソファに座る音。
『……いらない』
『うす。じゃ、おれ、一杯いただいちゃいますね。喉、渇いちゃって』
『どうぞ』
そして、妙に気まずい沈黙が二人の間に生まれる。
『あの……何か?』
『ひとつ』
『え?』
『ひとつ、どうしても聞いておきたいことがある』
『はあ』
『カリバ――豪姫さんのことだ』
『え? ああ……』
『君は言ったよな。彼女、超人なんだって。そして、きみのお兄さんの恋人だと』
『はい』
『その真偽を問いたい』
『真偽、ですか?』
『ああ。……やはりどうにも、……不安なものでね』
『不安。そうですか』
弟は、少し困ったように、
『そう言われましても。おれだってよくわからないんです』
それでいい。下手な嘘よりも、『わからない』という方が信憑性がある。
すでに僕は、亮平と一つ、約束をしていた。
今後、僕の居場所と正体に関しては一切、誰にも話さない、と。
『わからない……なら、わからないなりに、君の考えを聞きたいんだ。彼女は何者だ? なぜ、あんなにも力が強い?』
『ですから、たぶんスーパーマンと一緒じゃないかと。知ってます? スーパーマンってほら、クリプトン星っていうところの生き残りで、ものすごく強いのは宇宙人だからっていう……』
『彼女も宇宙人だと?』
『じゃ、ないでしょうか。あるいは未来人。超能力者。妖怪。その類』
美春さんは、ふーっ、と、深く嘆息して、
『そうか。とにかく君には、彼女の正体はわからない、と。その、恋人だっていうお兄さんにも?』
『兄……ですか』
『うん。昼に住所を渡してもらったよな?』
『え、ええ』
しかし、すでにこの三人にだけは僕の居場所が知られているのがネックだな。
何なら、――不慮の事故とかで、死んだことにしてもらう必要があるかもしれない。
『でも、恋人だっていう言い分も、正直なところ怪しいのかもしれませんね。兄貴がそう言い張っているだけかも』
『……そういう人なのか、その、お兄さんは』
『はい。――兄貴のやつ、ガキの頃からちょっとイカレてるところがあって、父と母に疎まれて育ったんです。金には不自由しませんでしたけど、ずっと一人暮らしで。放任主義っつったら聞こえはいいですけど、半分くらい育児放棄されてたっつーか。お陰でおれも、中学まで親と香港で暮らす羽目になったりして。実は一緒に暮らすのも、わりと最近になってからなんですよ』
『ほう。亮平くん、……帰国子女だったのか』
『まあ、つってもおれ、ずっと日本人学校にいたんで、全然外国語とかしゃべれませんけどね。うまい小籠包を出す店なら知ってますけど』
『ふーん……』
余計な情報ばかり、べらべらと話すやつだ。
とはいえまあ、そこは話に真実味を持たせる詐欺師のやり口ということで、大目に見ておこう。僕をことさら変人扱いするのも、注意を逸らすという意味では役に立つかも知れない。
『つまり。――カリバさんについて我々が今わかっていることは、……君の言葉に従い、君を護ろうとする。この性質だけだ、よな?』
『ええ。それだけは間違いないです』
『ところで一つ、君に聞きたいことがある』
『なんですか』
その瞬間、二人の間に妙な沈黙が生まれた。
実を言うと、この空気には覚えがある。
僕がかつて、――とある女の子にお付き合いを申し込んだ時も確か、こういう感じになったな。
『……その…………だね。ごほん』
『?』
『君は今、特定の誰かと付き合っている訳では、ない?』
『はい。絶賛恋人募集中っすよ』
『そうか』
不意に、がさ、ごそという衣擦れ。
『ん……ちゅ……むちゅ』
そして、雀が鳴くような、短い音が聞こえた。
『ふ、ふあああああっ。な、なんすか、美春さん、きゅ、急に……』
『何って、……わかるだろ。それとも私ではダメか』
『いやぁ、そんなぁ、めっそーもない』
弟の声は早くも、とろけてふにゃふにゃになりつつある。
……。
………………。
……………………ほほう?
その時ばかりは僕も、さっと襟を正した。
ひょっとするとこれは、アレか。
春が来た、ということか。
――ハンドルネーム『†漆黒の黒き翼†』のあの亮平が。
――神園優希に「俺がノンケだったとしても、アレはない」と言われた亮平が。
――好きだった女子に男の浮気肯定論を語った結果、音速で振られたあいつが。
――初デートに違法ダウンロードした『Fate』の鑑賞会を敢行した、あの阿呆が。
どさ、と、ソファの上に何かが倒れる音。
いやはや。
いやはやいやはやいやはや。
出会ったその日に一線を越えるとは。
まるでエロマンガみたいな展開じゃないか。
そこで僕は、いったん一階に移動し、ポップコーンを深皿に空け、冷たいコーラをコップに注いでから、のんびり戻ってきた。
聞かれていることは、弟も知っている。
二人がその場を去るのであれば、追うつもりはない。
『ここ、少しソファが硬いな。……場所、変える?』
『あ、いやその。このままで……』
『ふふふ。そうかい……』
だが二人はまだ、その場でボソボソと会話を続けている。
僕は、弟の言葉に隠された意味を、誤解していない。
――警戒しているんだな。たぶん。
気持ちは、わからなくもない。
このお誘い、……あまりにも弟にとって、都合が良すぎる。
はっきりいって、不気味だ。
案の定、彼女が提示した条件は、以下のようなものだった。
『頼みがある。……私を、――いや、かさねと早苗を、見捨てないでくれ』
『え、え、え、え? そりゃ、見捨てません、けど……』
『保障がほしい』
『ほ、ほしょう……?』
『怖いんだ。ある日突然、君たちがいなくなってしまわないか、と』
『そんな……そんなこと、おれ、ぜったいしません、けど』
『今はな。けど、これからはわからないだろう』
再び、衣擦れの音。これは僕も、何をしているかはわかる。たぶん、上着を脱いでいるのだろう。
『わあ! うわ、お、お、おれ、風呂入ってないっすぅううううう』
『私も一緒だ。におうか』
『ふええええ……こっちはむしろウェルカムですぅううううう』
なんだ、この会話。
僕は、塩味のポップコーンをぽりぽりとやりながら、あきれ顔でことの成り行きを見守っている。
「まあ、男として一皮むけるのだ。悪い兆候ではないだろ……」
すると、なんでかアリスの声がして、
――では、取得するスキルを選んで下さい。
――1、《死人操作Ⅵ》
――2、《拠点……
「男として一皮むける」あたりの台詞に反応したのだろうか。
「今、良いところなんだ。少し黙っててくれ」
ぶっちゃけもう、スキル選びとかどうでもよくなっている。
がんばれ、弟よ。
兄さんはここで、応援しているぞ。