その37 帰還
さて、と。
一仕事を終えて、僕と亮平は避難所から去るべく、例のゴブリンっぽいおじさんに挨拶する。
『すんません。そんじゃ、そろそろおれたち……』
吉岡さんは、始末した”ゾンビ”をバリケードの外に投げ捨てる作業を中断し、
『えっ。君たち、すぐ出て行くの?』
『ええ』
『そんな。我々の英雄じゃないか。せめて食事だけでも……』
『ごちそうになっちゃうと、ますます帰れなくなっちゃいそうなので』
『では、居場所だけでも教えてもらえないか。この災厄が落ち着いたら何か、お礼をしにいくから』
『えっ、いいんすか』
『もちろんだとも』
僕だけだが、PC前で渋い顔をしている。
――災厄が、落ち着くとき、か。
きっとそんな日は、永遠にこない。
世界は、その在り方を根本から変えてしまった。
我々はもはや、この狂気と共存して生きていくしかない。
『それに、――正直言うと、この避難所には問題が山ほどある。君も見たらしいけど、団地住みの連中はどうも、危機感に欠けるというか……協調性に欠けるところがあって』
弟は鼻の頭を掻いて、
『きっとまた、戻ってきますから。もしおれたちが相談にのれるようなことなら、その時に」
『ああ、頼むよ……』
と、そこで違和感。キャスケットを落としていることを思い出す。
先ほど”ゾンビ”を蹴ったとき、脱げたものだ。
――おっと。あぶない、あぶない……。
慌ててそれを拾い上げる……と。
その時だった。
『あんたッ!』
ふいに、声をかけられたのは。
顔を上げると、思わず、わっと声を上げそうになる。
そこにいたのは、僕も見知った顔。高校時代の同級生、六車涼音だったのである。
『やっぱりあんた、ゴーちゃんやないの……!』
なんという……。
いや、この避難所の人の多さを考えると、たまたま知り合いと出くわさない方がおかしいくらいか。
『うわ、めっちゃ久しぶり! 高校卒業以来やん!』
言いながら、ニッコニコで近づいてくる涼音に、慌てて亮平が間に入った。まるで、アイドルを守るマネージャーのように。
『あ、すいません! 申し訳ない! ちょっとおれたち、急いでるんで!』
『だれ? ゴーちゃんの彼氏?』
『彼氏ちがう。ノー彼氏。とにかくまた来ますので。話はいずれ!』
弟は早口でそういって、さっさと避難所を後にする。
『ちょっとちょっとー! ゴーちゃん、なんとかいってよー!』
悪いがしゃべらせる訳にはいかない。今の豪姫の棒読みちゃんボイスを聞いたら、当時の彼女を知るものであれば100%違和感を抱くだろうから。
『それでは、さいなら!』
弟の機転で、僕たちはようやく避難所を後にすることができた。
バリケードを越えると、さすがに引き留める声も聞こえなくなって、僕たちは二人、安堵する。
『……次からは、マスクも必要かもな』
それか、この避難所には別の”ゾンビ”を使って来るようにするか。
いずれにせよ、僕の正体を第三者に知られる訳にはいかない。
殺人行為にメリットがあるとわかった今、――万が一、悪意のある”プレイヤー”に僕のことを知られたら、いいカモにされてしまう。
なにせ僕自身には、なんの戦闘力もないのだから。
『てんやわんやだったけど、とにかく戻ろう。みんなのところに』
▼
その後の道中は、沈みゆく太陽と競争する形となった。
結果、綴里と優希の痕跡を見逃す形となって、僕たちはとぼとぼとホームセンター”クロスロード”の看板を目印に進んでいく。
『いやあ。どうにも今日は……濃い一日だったなー』
やれやれと嘆息する弟だが、その声は少し弾んでいる。
いかにも、お楽しみはこれから、……といった声色だ。
『しかし、それもこれも、美女たちがおれを待っていると思うと、なんだかスキップしたくなるぜ』
素直なヤツである。
いまいち理解できない弟の趣向として、複数の女性にちやほやされたいという欲求が挙げられる。
そしてほぼ、その趣向が邪魔してモテないことに、本人はまるで気付いていない。
弟はあれで優しいところがあるし、ちゃんとしていれば恋人の一人くらい、いてもおかしくないと思うのだが。
『ふーむ。ここからまで匂ってくるな。焼き肉のいーい匂いだ!』
ほう。焼き肉。
ならば、僕も今晩は豚カルビ弁当にしようかな。
『ってか、良い匂いがここまで……あれ?』
弟が、僕にとっては不可解な理由で首を傾げる。
『ちょっとまて。見ろよ』
その時、ようやく僕にも、ホームセンター”クロスロード”がどのように変貌しているかがわかった。
どうやら、園芸用の土嚢を山と積み上げて、駐車場入り口がばっちりバリケードで固められているらしい。見たところそれは、例の並木通りに作られたものよりよっぽど頑丈だ。
『え、え、え? あれ? ……これ、どういう……』
二人、小走りに”クロスロード”の駐車場に顔を覗かせる、と……。
『おにく焼けてきたよー! みんな!』
『ごはんもたけた! わあ! もうおなかぺこぺこー!』
『お皿の準備は、……あ、岩田さん、ありがとうございます!』
『……………ふん』
四人の女性が仲睦まじく、バーベキューのコンロを囲んでいるところだった。