その36 駅前での防衛戦
『下がってください! ”ゾンビ”はおれの仲間が始末します!』
通常であれば、突如として現れた妙なガキの言葉に従うものなど、いなかっただろう。
だが皆、大なり小なり気付いていた。このままでは壁は破られ、”ゾンビ”どもの餌食になるのは間違いない、と。
だから彼らは、目の前に差し出された藁にすがるしかなかった。
声をかけ合うこともなく、その場にいた全員がぱっと壁から離れ、――その数秒後、めきめきめきと音を立て、脆弱なバリケードが張り裂ける。
宵闇の中、ぞろぞろとこちらに向かってくるのは、その場にいた全員を絶望させるには十分な死人たちの姿だ。
ここまで生き残ってきた屈強な男たちであれば、数匹程度の”ゾンビ”なら対処できただろう。
だが目の前に現れたのは、少なくとも三十匹以上の群れである。
『わあああああああああああああああああああああッ!』
仲間に危機を知らせる意味を込めてか、数人があらん限りの声で絶叫した。無論、彼らに向かって、”ゾンビ”たちは大喜びで近づいていく。
そんな奴らの頭部を、僕は冷静にクリックしていった。
カチ、カチ、カチ、と。
まるで、害虫の駆除業者がそうするように。冷静に。感情を交えず。「これが終わったら、うまいもの食って寝よう」くらいの気持ちで。
僕が正確に”ゾンビ”たちの頭部を捉えるたびにロングソードが閃き、死人たちの頭部が破裂していく。
とはいえ、作業は簡単ではなかった。
――敵が……密集しすぎている。
バリケードを破ってきた”ゾンビ”たちは、これまで相手にしてきた連中と違って、完璧に一個の群体となっている。できれば各個撃破といきたいところだが、あまりのんびりもしていられない。亮平を始めとするその他の人々まで被害が及びかねないためだ。
強く歯がみしながら僕は、――場合によっては豪姫を犠牲にすることを考えている。やむを得ない。常人と死体では、やはり前者の命が重い。
『す、すごいぞ』『あの女の子、一人で戦ってる!』『がんばれ、おじょうさん!』
避難民の声援が聞こえているが、苦い気持ちの方が大きい。助かりたければ静かにしていてくれと言いたかった。
普段、あんまり褒められ慣れてないから、指先に変な力が入ってしまうのである。
「――むッ!」
そして案の定、敵との距離を見誤る羽目になった。
ロングソードが”ゾンビ”の頭骨を破壊しきれず、がっちりと固定されて抜けなくなってしまったのである。
まずい。
僕は眉をしかめて、すかさずこちらに襲いかかってくる”ゾンビ”の一匹に視線を移し、苦し紛れにワンクリック。
『……があ!』
すると驚くべきことに、豪姫がその場でぴょんと跳ね、強烈な後ろ回し蹴りを繰り出した。
被っていたキャスケットが宙を舞い、数匹の”ゾンビ”がバランスを崩す。
――足はッ?
以前、警察官の腕を痛めた時の記憶が蘇り、ほんの一瞬だけそちらに視線を向けたが、幸い怪我はなさそうだ。
どうやら豪姫の方でうまく力加減してくれたらしい。
『ヴヴヴヴヴ、カァッ……!』
とはいえ、さすがにそれ一撃で”ゾンビ”を殺すには至らなない。だが数秒の隙を作ることはできた。
それだけあれば十分、
『兄貴! これ!』
代わりの武器を手に入れる時間はある。
僕は抜き身の脇差しを受け取って、襲いかかる”ゾンビ”を冷静に対応していく。
結局、――全ての”ゾンビ”を狩るのにかかった時間は、全体で五分ほどだったか。
どうやら一人の死傷者も出すことなく、今回の襲撃を乗り切ることができたらしい。
”ゾンビ”の脳天に突き刺さったままのロングソードを引き抜き、ホッと一息……つく暇もなく、
『りょうへい。バリケード、はよ』
『えっ、ああ、そうか……そうだ! みんな! もうここは安全だ! はやく防壁を!』
叫ぶと即座に、弟が中心となってトタン壁の修復が始まる。
こうなると僕には出番がない。荷物運び程度ならできるが、”ゾンビ”たちには細かい作業ができないのだ。
――あのホームセンターにある資材があれば、もっと強固な防壁を築けるのだが。
などと思っていると、先ほど見かけたボックスワゴン車が一台、もの凄い勢いでバリケード前に横付けした。
運転手は先ほど見かけた、ゴブリンめいた格好の男で、
『おい! この車のタイヤを抜いて、壁の代わりに!』
『いいのか吉岡さん。まだローン残ってるって……』
『言ってる場合かあっ!』
そして、”ゾンビ”どもを始末するよりも手っ取り早く、バリケードの再構築が終了した。
新たに頑丈な作りの壁が出来上がってようやく、慌ただしかった避難所に、安堵の表情が見られるようになっていく。
その時だった。
例のファンファーレが頭の中に鳴り響き、
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
――おめでとうございます! 実績”はじめての安全地帯”を獲得しました!
――おめでとうございます! 実績”修復”を獲得しました!
――おめでとうございます! 実績”死後の善行”を獲得しました!
「よしッ!」
そうしてようやく、僕はがくーんとゲーミングチェアに上体を倒す。
レベルアップのアナウンスが戦闘終了を告げるものならば、――これでメタ的にも、脅威は取り除かれただろう。
見ると、弟が豪姫の頭をぽんぽんと撫でていて、
『やったな兄貴! おれたちヒーローだぜ!』
と、笑っている。
もちろん、豪姫に比べれば大した仕事をしていないが、――弟のアシストがなければ無傷では済まなかったのも事実だ。
あの臆病な男が、よく最後まで逃げずに留まってくれたものである。
まあ、気安く豪姫の頭を撫でたことに関しては、万死に値するが。