その33 避難所
ハシゴを昇ってバリケードを越え、向こう側に顔を覗かせる、と――
『おおっ!』
弟が目を丸くする。僕もたぶん、似た表情になっていただろう。
人、人、人。
よくぞここまで生き残っていたなと思えるほどの、生きた人間の群れである。
今はちょうど夕食の準備が始まったところらしく、巨大な寸胴鍋と、雑多な野菜類が運ばれていた。材料を見るに、今夜はカレーらしい。
『生き残り……けっこう、いたんだなーっ』
こうなってくると、人類のたくましさに拍手を送りたくなる。
僕など、いまだに豪姫たちの力を借りねば”ゾンビ”一匹始末できないだろうに。
なお、避難民のキャンプ地は、交差点に接続する並木通りへと続いており、大小様々なテントがズラリと立ち並ぶその眺めはある意味、壮観ですらあった。
『人捜しなら、そこのテントで受け付けてるはずだよ』
確かに、交差点中央には指揮所と思しき大型のテントが一つ。
長期滞在も考慮に入れられた、二、三十万くらいする頑丈なやつだ。
『わかりました。あざっす』
『いやいや。終末のラッパが鳴ったこんな時こそ、――助け合いだからね。お互い、神に選ばれることを祈ってる』
そしておじさん、さっと十字を切る。豪姫のロングソードを見たからそうしたわけではないだろうが、……何にせよ、僕たちがRPGの冒険者パーティのように武装していることは、あまり気にしていないらしい。
『終末のラッパ、か……』
ぼそりと呟く弟と共に、僕たちはトタン壁のバリケードを後にする。
『ほら、うごいてうごいて!』『足の早い食材から、どんどん使ってこ!』『手の空いてる人は男も女も、みんな手伝って!』『ちゃんと手を洗ってねー!』
がやがやと夕食の準備を進めるおばさんたちを横目に進む。
ここ一週間ほど、活気のある人の声に飢えていたのだろうか。なんなら、一日だって聞いていられる喧騒だった。
『おじゃましまーす』
弟が挨拶して、指揮所のテントの入り口を捲る。
そこには、テントの半分以上を埋めるような巨大掲示板に、人捜しのチラシがところせましと並べられていた。
『おや。新しい人か』
見ると、伝説上の生き物、――ゴブリンを思わせる小柄な男が顔を上げる。
『どうも』
『うん。どうも。私は吉岡だ。よろしく』
『よろしくお願いします。おれは先光亮平で、こっちはカリバちゃん。――あなたがここの代表者っすか?』
『代表者……いや、私はただの受付だよ。ここに代表者はいない』
『えっ。いないんすか』
『うむ』
『それでよく……こんな、ちゃんとした避難所を作れましたね』
『まあ、それぞれがそれぞれ、必要な物資を出し合った結果さ。助け合いの精神でここは成り立っている』
ほう。
僕は眼鏡をくいっと直して、話に聞き入る。
果たして何かがあったとき、責任をとる者のいない集団が成り立つようなことが、この世にあるのだろうか?
『すっげえ。人間って捨てたモンじゃないっすねえ』
『まあ、そうだね。……で、用件は?』
『おれたち、人捜しに来ましたんです。優希と綴里って言うんですけど』
『なるほど。――綴里と優希。ふうむ』
『聞き覚えはないっすか? 男みたいな女と、女みたいな男で。……あ! 男の方は最近、紫色に髪を染めてたはず! 紫色っす。見覚えないっすか』
『紫髪、……ふうむふうむ。そこまでインパクトのある格好だと、さすがに憶えてそうだがね。残念ながら私は会ってないな』
『そっか。じゃ、こっち側に来てなかったのかな』
『それか、この並木通りを通り抜けただけで、ここには寄らなかったのかもしれない』
『この避難所、どこまで続いてるんです?』
『ここの通りは、航空公園駅までずっと、キャンプ地となってる』
『マジすか。1キロ近く?』
『そうだよ』
そこまで話を聞いて、マップ機能を起動。
「……………」
なるほど確かに、この辺りの”ゾンビ”は綺麗に掃除されている。
だが、
――これでは、大群の襲撃には対応できまい。
というのが、僕の正直な意見だ。
せめて、航空公園か所沢通信基地あたりに避難所を移すべきじゃないか。
そう思う。
『仕方ねえな。――おい、兄……、アニメ大好きカリバちゃん。戻りは、この道を通りながら進もう。さっきのホームセンターに戻るルートだ』
首肯する。
二人が見つからなかったら見つからないで、――別の手は、いくらでもある。
『おや。ひょっとして二人、ここを出て行くのかい?』
『ええ』
『せめて、夕食を摂っていけば良いのに』
『すんません。暗くなってからでは、ちょっと心配な人がいるんですよ』
『そうかい。まあ、人それぞれだからね』
言いながら、弟の口角がちょっぴり上がっていることに気付いている。
そりゃまあ、美人が作る料理が待っているんだから、ここで食って帰る手もない、か。
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その後、僕たちはケヤキ並木が続く道程を、
『すいませーん。紫髪のオンナ知りませんかー!』
などと声かけしながら進んでいく。
寒い夜に備えてか、点々と石油ストーブ配置されている四車線の道路(何台か、荷物運搬のため車も走っていた)をとぼとぼ歩いていると……、
偶然なのか。それとも必然なのか。
ごくごく普通の通行人、みたいな顔をして、一人の少女が歩いているのを見かけた。
その、真っ白な髪の毛は、――人混みに紛れてもはっきりわかる。
この世界をこんな風にした元凶の少女。
アリスだった。