その29 恩恵
「しかし、――参ったな」
『参った。こいつは参ったことになったぞー』
遠隔地にいる兄弟二人、似たようなセリフと仕草で、眉間を揉む。
ぐー、という腹の音までほぼ同タイミングに鳴るくらいだから、遺伝というのは不思議なものだ。
「……それにしても、」『腹が減った』
とはいえ、僕の空腹に関してはすぐに対応できる。ゲーミングPC周辺には、コンビニから盗んできた菓子類が山ほど詰まれていた。
僕はボトル入りになっている『ガーナ』チョコレートをざらりと口の中に放り込み、あらかじめ水筒に入れておいた温かい緑茶で流し込む。
口の中でどろどろになったチョコレートが、苦いお茶と混ざり合い、疲労した脳を癒やしていく。MP回復、だ。
『ところで兄貴。……気付いてるか。あの女、ずーっとこっち見てる』
振り向くと、幽霊のような真顔の岩田さん(もはや本名かすら疑わしいが)と目が合った。
そのぎょろりとした眼光たるや、ホラー映画のポスターが撮れそうだ。
『あーくそ。……こういう時って、ジャンプ漫画の主人公はどう解決するんだろな……面倒だからボコボコに殴り倒しちゃうのかな……ルフィって陰キャに厳しそうだしな……』
顔が不気味だというだけで暴力を振るう少年漫画の主役がいるものか。
……と、わざわざツッコミにカロリーを消費するのも馬鹿馬鹿しい。
『それにしても……くーっ。お腹と背中がくっつきそうだ。戻る前にいったん、どっかのコンビニからかっぱらってくるか?』
『コンビニ、とおい。がまんしろ』
『くそーっ』
どうも亮平のやつ、格好つけて昼抜きにしたのがかなり応えているらしかった。
ちなみに、僕が大人しく引き下がった理由は別に、あの女に同情したから……というだけではない。
というのも彼女、包丁を構え方が妙に手慣れてる感じがしたのだ。
ナイフ格闘術の世界において逆手持ちは、近接戦闘、特にカウンターを主体とした立ち回りに向いているという。
あるいは単に『メタルギアソリッド』のファンだっただけかもしれないが、用心に越したことはない。
――もし、あの女が”プレイヤー”ならば。
《格闘技術(初級)》というスキルがあったはずだったよな。
もし彼女が《格闘技術》持ちなのであれば、見た目にそぐわない護身術を身につけていてもおかしくはない。
『かーっ。しゃあねえ。カッコ悪いけどBarに戻って、なんか分けてもらうかー』
『そうだな』
頷いて、元来た道を二人、すごすごと戻っていく。
と、その時、弟がすんすんと鼻を鳴らして、
『ありゃ? ――なんか、いいにおいが……』
と、呟くや否や、跳ねるようにビルの階段を駆け上がっていった。
モニター上でそれを確認している僕は、何だか良くわからないまま、その後を追う。
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『戻ったぜ、みんな!』
元気よく挨拶する弟に続き、Barの扉を開く。
すると、
『あら、おかえりなさい』
仕事帰りの男を出迎える若妻、といった風情で、美春さんが我々を出迎えた。
『なんすか? この匂い……すっげえうまそうなんすけど』
『ああ、――ガスコンロが使えたからな。簡単にペペロンチーノを作ってみた』
カウンターテーブルを見ると、花柄の皿に持ったパスタが、二食分。
『二人とも、食事がまだだったろ。食べなよ』
『美春ちゃんはね、お料理とっても上手なんだよ!』
『……変に期待するな。ありもので作っただけだ』
すると弟は、『かーっ!』と、オーバーに天を仰いで、満面の笑みになった。
『マジすか! ぶっちゃけ腹ぺこだったんですよ! さいっこう! できる女!』
そして、大喜びで席に着く。
この男の無邪気さが、時折羨ましい時があるな。
『ごめんなさいおれ、下品にいきます』
『ふふふっ。どうぞ』
弟は、ずびずばーっ、と音を立て、実に美味そうにパスタを啜った。
『うめえ!』
僕が湯気を立てているそれから目を逸らす、……と。
『……カリバさんも、どうぞ?』
三人娘が、じっとこちらを観ている。
少し眉間を揉む。――どうやらやはり、試されているらしい。
だいたい、このタイミングでできたての料理が用意されていることがおかしい。
こちらの様子を伺いながら、準備しておいたのだろう。
『食べない……の?』
不安そうなかさねさん。
無理もない。彼女たちはきっと、豪姫の超人じみた姿を見たのだ。
結論から言うと、豪姫は何も食べない。食事を摂る必要がないのだ。恐らくだが、彼らの分の食事は、”プレイヤー”である僕が代わりに摂っているのだろう。
『二人とも、同じところで生活してたんだよね。カリバさんだけ食べないのって、おかしくなあい?』
早苗さんが率直に聞く。
さて。
どう応えるか……は、弟に一任していたはずだが。
『ああ。彼女、食事しないんすよ』
弟は、豪姫の皿を奪い取りながら、
『何せカリバちゃんってば、スーパーマンなんで。おれたちとは身体の作りが違うんです』
『スーパーマン?』
『ええ。……おれも最近まで知らなかったんですけど、そーなんです』
『にわかには信じられないな』
『そう言われても、信じていただくしかずびずばーっ』
二皿目のペペロンチーノを平らげて、
『世界がこんな風に変わっちまったんです。スーパーマンの一人や二人、いるでしょ。当然』
と、実に明快な屁理屈を展開した。
対する反応は、三者三様。
疑わしげな美春さん。
どこか掴みきれない表情の早苗さん。
「あ、そっかあ」と、簡単に納得しているかさねさん。
ちなみに僕は、PC前で頬杖をついていて、この言い訳が後にもたらす影響を考えている。
ただ一点、悩ましいところを挙げるとするならば。
僕が最初にアリスと出会った時に、彼女の背中を刺し貫いたのと同じ動機を作らないか、ということ。
だがどうも、その心配はいらないようだった。
交渉ごとが苦手な弟だが、――この時ばかりは、その率直さがよく働いてくれているらしい。
『嘘は……言ってないんだよね?』
弟はニッと笑って、
『もちろん』
まるで、自分でも本気でそう信じているみたいな口調だ。実際にそうなのかもしれない。言われてみれば、当たらずとも遠からずではある。
狩場豪姫は、”ゾンビ”から超人となった、――僕に力を与えられて。
やがて女たちは納得したらしく、最終的には、こんなことを言った。
『じゃあさ。神様に力をもらったならさ。みんなで協力して、人助け、いっぱいしないと。ね?』