その298 取引
……いったん再び、視点を戻して。
「へい! ――ガールッ」
「なんだ」
女の呼びかけに、早口で応える。
しばらく「心ここにあらず」であったこと、ぎりぎり気づかれてないらしい。
「なんだ、おまえ。返事くらいしろ」
「すこし、そういう気分になっていただけだ」
「……は?」
「様子を見たい気分に。……なんとなく」
「なんだ、それ。この状況で?」
「ああ」
「こ、……怖いぞ……」
銃口を向けている相手には、なるべく正気であってほしいものである。
女は、思い切り眉をしかめて、
「もう一度、いう。取引しないか」
「なに?」
「あんたが、私を殺さずにいてくれたら、助けてやる。あんたと、あんたの仲間が、なるべくすぐに解放されるように」
「ふむ」
「こっちの目的は、真田母子だけ。それ以外はどうでもいいんだ。悪い話じゃない、はずだ」
「悪いが、信用できないな」
「どうして」
どうしても糞もないだろ。
「問答無用で人を殺すようなやつが、信用に値すると思っているのか」
「そりゃあ――真田んとこの従業員は、殺してもいいって。そういう契約だ」
「……契約?」
僕が顔を歪めると、
「ああ。私は、雇われてここにいる」
そうだったのか。
プレイヤーも、フリーランスで仕事を受ける時代か。
……そうなってくると、少々話が変わってくるな。
「一応、聞いておく。お前の雇い主は、何者だ?」
「“母なる愛の会”だ」
それはわかってる。
「その……愛の会とやらは、どういう団体だ」
「よくは、知らないよ。ただ“お母さん”と呼ばれる人が統べている、小さなグループだ」
「規模は」
「十四、五人くらいかな。私がみたのは」
その程度か。
新興宗教系の外道が、高速バスの母子を攫って……金を得る、と。
どうやら、そういう構図らしい。
「ひとつ、聞いても良いか」
「なに」
「あんた、死にたくないよな?」
「は? ……もちろん、そうだけど」
「では、こうしよう。我々はこれから、バスへと向かう」
「………………」
「その後、あの盲目の女を裏切れ」
「なに?」
「僕が、改めて君を雇うことにする。……どうせ、金で雇われただけの相手だ。それでも構わないだろう?」
「……………………」
幸い、こちらには『魔性乃家』という強力な資本が後ろ盾についている。
彼女レベルのプレイヤー一人雇うくらい、大した問題ではないだろう。
「君は、命と金を得る。問題ないだろ」
「バカいうな。この仕事は、信用が大事だ」
「……………………君。それ本気で言ってるのか」
僕は、声に精一杯の殺意を込める。
すると、思ったよりも強くドスのきいた声が出た。
……このゾンビ、元々は役者さんだったのかもしれないな。
「“プレイヤー”の存在は面倒ごとの種だ。こっちとしては、殺してしまった方が手っ取り早いんだぞ」
「……ぐ」
両手を挙げる女は、苦い表情で後退った。
彼女の中で、天秤が揺れている。
こちらの弾丸は、一発。
運が良ければ、回避できないこともない。
だが……。それで戦いは終わらない。
ここで向こうが均衡を破れば、あとは死ぬまでやりあうことになるだろう。
――恐らくこの女は……。
リスクを取るまい。そこまでするような義理も、忠誠心もなさそうだ。
しばらく出方を伺っていたくらいだし、小胆なタチなのだろう。
やがて女は、「形だけ」迷う素振りを見せたのち、
「わかった」
と、頷いてみせる。
「ちなみに、私は安くないぞ」
「価格は」
「日当で……金貨、2枚」
安いな。
『魔性乃家』の娼婦を二度買う程度の価格だ。
いつの時代も、性産業は強い。
「倍額だす。それでいいか?」
「あう」
女は、苦い顔だ。
「わ、わかった」
「では、段取りを考えよう。これから君は、僕に人質に取られる格好で、バスへ向かう」
「ああ」
「そして、人質交換を申し出る。まずは……日焼けした金髪の女から」
結果的に、ヒカリさんとの約束を守ることになるな。
「その後、君は助かった振りをして……盲目の女を捕縛する。それでいいな」
「……」
「返事は?」
「わかった」
「そこから先は、歩合制だ。君の働きによっては、さらに倍額を約束する」
「………………」
女は、がっくりと頷いて、両手を挙げたままの格好で、こちらに背を向ける。
色白の、美しい尻がこちらに見えて。
「ところで。――おまえ、」
「なんだ」
「何か、着るものはないか」
「あるわけないだろ。燃やしたのは、おまえだ」
「そうか」
「この場に、女しかいなくて、よかったよ」
「……………………」
その点に関しては、すまん。
眉間を揉もうとして……VRゴーグルに遮られる。やれやれ。
さて。
一仕事だ。
▼
こうして僕たちは、ゆっくりと、慎重な足取りでバスへと向かって行く。
バスの中は、静かなものだった。
「……………………どうなる?」
そう思って、しばらく見守っていると……。
――ばし! ばし!
と、音を立てて、バスのフロントガラスが破壊される。
――いま一瞬、真空波みたいなのが出ていたな。
《風魔法》か、それに似た何かか……。
恐らくそれが、盲目女の能力ということだろう。
風通しの良い形になったバス内から、苛立ち混じりの声が聞こえた。
「だから、傭兵には反対だったのに」
盲目の女の声だ。
間髪入れず、僕はこう叫ぶ。
「取引がしたい!」
「お断りよ」
「そう言わず、聞け」
「……………………」
「こっちの目的は、……仲間の命だけだ。ヒカリさん、最歩、ミント。――この三人さえ無事に返してもらえればいい。真田母子は、そちらに預けたままにする」
「………………………………」
「それなら、構わないだろう?」
僕の言葉に……盲目の女は、たっぷり考え込んで。
「………………こっちだって、その傭兵の命なんて、どうでもいい」
「だが、貴重な戦力だろ」
「…………………………」
「金でプレイヤーを雇うくらいだ。人手不足なんじゃないか?」
どうやら、図星らしい。
女が渋い顔をする。
「……わ、わかったわ……」
女は渋々頷いて、懐から小刀を取りだす。
どうやら、拘束を解いてくれるらしい。
――よし。計画通り。
そう思いつつ。
一つだけ、懸念があるとすれば。
夢星最歩が、まるで抵抗していない点。
あいつの力があれば、逃げることなんて簡単なはずなのに。
なんとなく――わざと、捕まっているように見えるんだよな。あいつ。




