その296 狙撃手の女
まず、VRゴーグルを額にズラして、PC画面を操作。
大雑把に割り出した敵位置周辺のゾンビを選択する。
手慣れたマウス操作で、状況確認。
本日のゾンビガチャは……
なまえ:なし
レベル:5
HP:12
MP:22
こうげき:6
ぼうぎょ:10
まりょく:29
すばやさ:19
こううん:0
……と。
まずまず、当たりといったところか。
“すばやさ”値が高いということは、五体満足である可能性が高いということ。
実際、カーブミラーで全身を確認したところ、ダメージはそれほどではない。
新たな手駒は――二十代前半の、泣きぼくろが特徴的な美人さんだ。
口元がドス黒い血で汚れていることを除けば、まずまず素敵な女性に見える。
「使える魔法は……《火系魔法Ⅴ》か。かなり強いな」
《火系魔法Ⅴ》はの効果は、指定した地点に魔方陣を出現させ、巨大な火柱を産み出す、というもの。
“プレイヤー”相手でも十分に通用する魔法だ。
これなら、新たに武器を手に入れる必要もあるまい。
僕は周辺を見回して……バリケードに、通り抜ける空間がないかをチェックする。
その辺りは頑丈な鉄壁が続いていたが――ただ一点、つなぎ目の部分が昇れそうだった。突貫工事で作られたためだろう。溶接が雑で、足を引っかけられる場所があるのだ。
一般的に、ゾンビには知能がない。
連中には、ハシゴを昇る能力すらない。故に、ちょっとした足がかりなどは放置されがちなのである。
「――よし」
僕は、素早くそちらに近づき、壁をよじ登り始める。
……が。
『ぐ、があっ』
ゾンビが悲鳴を上げて……足を踏み外した。
「――む」
顔をしかめて、もう一度。
『ぎゃあぎゃあ!』
やはり、足を踏み外す。
「まいったな。こいつ、僕と同じ……運動音痴なタイプか」
ゾンビの動作は、その個体が元々持っていた運動能力に左右される。
その点、この泣きぼくろゾンビは、運動能力がほとんどない個体だったらしい。
「仕方ない……」
こういう時の、VRゴーグル。
僕は、実際にゾンビを直接操作することで、この状況に対応する。
「よし……」
足を動かし、手を動かし。
丁寧に、落ち着いて……不安定な足場を昇っていく。
現実の僕は、何もない空間でアホみたいな動作をするハメになっているが……、やはりこの操作方法、PCよりも遙かに優れている。
落ち着いて、3メートルほどの高さの鉄壁を乗り越え……慎重に、その向こう側に視線を送る。
するとそこに……いた。
驚くほど大胆に――道路の真ん中でスナイパーライフルを構えた少女が、一人。
使い古した、ぼろぼろの防弾マントを身に纏い、色あせた帽子を被っている。
――“射手”か?
銃を使うからと言って“射手”とは限らないが、その可能性は高い。
ぱっと見たところその姿は、ボロぞうきんが無造作に転がっているかのようにも見えた。
――なんかあの女、くさそうだな。
そう思いつつ、落ち着いて狙いをつける。
まず、《火系魔法Ⅴ》を一発。
即死する危険性があるが……やむを得まい。先に手を出したのは向こうだ。
そして……。
寝転んだ敵にしっかりと当たるように――魔方陣を産み出す。
「燃えろ」
そう呟き、事態を見守って。
赤い、複雑な形をした紋様が、高速道路の真ん中に顕現する。
と、その時であった。
「――!?」
狙撃手が素晴らしい反射速度でそれに気づき、身体を“く”の字に捻って飛び上がったのである。
――いや。ぎりぎり間に合わない。
眉をしかめ、そう思う。
瞬間、女の身体を赤い火柱が包み込んだ。
「よしっ」
そう呟いて、事態を見守っていると……火柱の中に黒い影。
――どうっ!
次の瞬間、僕のいる地点、バリケードの一部が、魔力によって強化された弾丸で弾けた。
「うおっ」
驚きつつも、判断は冷静に。
僕は、素早くバリケードを降り、高速道路側に着地する。
――敵は一人ではない。
この時点で僕は、そう予測していた。
この感じ……間違いなく、第三者の警告がなければ間に合わなかった。
敵は、狙撃手に加えて……観測手もいるらしい。
僕は、この時点で半ば以上、いま使役している個体を犠牲にするつもりで戦略を立てる。
――可能な限り情報を収集しよう。
そう思いながら、全力で駆けて。
火柱が止んだその中から、……一糸まとわぬ姿の女が飛び出してきたことに、一瞬だけ呆然とする。
どうやら、火系魔法を受けて、服が焼けてしまったらしい。
素っ裸の、ライフルを手にした女が、敵意マンマンで体制を立て直している。
――魔法攻撃に対する体制を持っている。
――服が燃えた=服を強化するタイプのスキルではない。
――銃が壊れていない=《パーフェクト・メンテナンス》系のスキルを覚えている。
そして、なにより。
――この女……日本人じゃない。
煤で汚れた白い肌を目の当たりにして、僕は苦い気持ちになっている。
柄にもない。……本当に、柄にもないことだが。
妙に、性的に興奮させられる絵面だ。
僕の殺意と、動物的な本能が結びついている感じがする。
VRゴーグルの、思わぬ副作用。
これを通してみる世界は、あまりにも現実的すぎた。
――落ち着け。思考を切り替えろ!
自分の頬を打ち、僕はとにかく、こう叫ぶ。
「降参しろ!」
その返答は、実に明快で。
「Fuck! Ass! Hole!」
英語の苦手な僕ですら聞き取れる、悪意全開の言葉だ。




