その293 掃討
高速道路上にいるゾンビたちは、早くもこちらに気づきつつあるらしい。
すでにちらほら、バスに向かっている個体が見られた。
「あーりゃりゃ。どうするぅ? このままツッコむ?」
「不可能です。いかにバスが特殊仕様といっても、あの数が相手なら、横転してしまうでしょうから」
「……ってことはひょっとして、引き返すしかない?」
ヒカリさんが訊ねると、乗務員の女性――ともよさんは苦笑交じりに、
「いいえ。ご安心を。当方に迎撃の用意あり」
「お。まじ?」
「備えあれば憂いなし、ですから」
そういって彼女は上着を脱ぎ……ぐっと腕まくり。
見ると、運転手さん(ちなみにこのバス、運転手も女性だ)もすでに用意万端、という雰囲気で、アサルトライフルを一丁と、弾丸パックを取りだしている。
「それでは――少々お待ちくださいね♪」
ライフルを受け取ったともよさんは、さっとバスを降り――狙撃を開始した。
たんっ、たんっ、たんっ……!
単発式に切り替えられたライフルが、拓けた高速道路に鳴り響く。
ゾンビたちの頭部がぱっと弾けて、脳漿が舞った。
ばったりとゾンビが倒れるたび、ヒカリさんは歓声を上げる。
「おおーっ! すごーい! どんどんやっつけてくじゃん!」
実際、桜井ともよさんは乗務員の才能よりも、“プレイヤー”であることを買われてこの仕事に就いているのだろう。
射撃そのものはそこそこの腕前だが、よく頑張ってくれている。
「あのぉ……だ、大丈夫なんですか……?」
心配そうにしているのは、身なりの良い女性。
子連れのお母さんだ。
二人は、揃って不安そうにこちらを見ている。
無理もない。あまり見ていて、気持ちの良い光景ではないし。
「だいじょぶだいじょぶ。こーいうのは、プロに任せましょ」
「……は、はあ……」
「ちなみにみなさんは、どこ住み?」
話題を変えたつもりだろう。
ヒカリさんが、ニッコリ笑顔で訊ねる。
「……大阪の。阿部野橋の方面で」
「へぇ。なんで東京へ?」
「主人の、仕事の都合です。本当は来たくなかったのですが……」
「ふーん。そっか」
ヒカリさんはこくんと頷いて、まだ、十歳くらいの女の子に屈んで、目線を合わせた。
「心配しなくても、だいじょーぶだよ? このバスにはまだ、“プレイヤー”が二人もいるから」
「えっ。そうなんですか?」
「うん。――だよね? ミントちゃん」
振り向いて、ウインクするヒカリさん。
こうなったからには、嘘を吐く理由もあるまい。
「ええ、ご安心を」
しかし――アリスがくれたこの機能、大したものだな。
この場の人々みんな、僕を普通の人間だと思い込んでいる。
これまで僕は、なるべく人付き合いを避けるようにしてきたが……これからは、積極的に人と話せるようになるかもしれない。
「万一、連中がこちらに来ても、ぼく……私が相手をします」
「そうですか……よかった」
ほっと安堵する女性。
「あっ……申し遅れました。私、真田と申します。一応、夫は、サンズ・リバーの取締役で……」
「ああ。なるほど。だからこのバスに」
「ええ」
疲れた表情の真田さんは、哀しげに話を続ける。
「夫は、家族を東京に連れてくることで……バスの安全性を保障したかったんです」
「ふーん。それじゃー奥さん、仕事に利用されちゃったんだ」
「……ええ」
「辛いねぇー? 男の人って、これだから」
「…………そう、なんです」
ヒカリさんは、なんというか――初対面の人間から、身の上話を聞き出してしまうような、そんな不思議な雰囲気のある人だった。
これが、陽キャの力というやつか。僕にはない才覚だ。
たんっ、たんっ、たんっ。
たたたたたたた…………!
と、その辺りで徐々に、雲行きが怪しくなってくる。
乗務員さんたちが、アサルトライフルを掃射……そして慌ただしく、バスの中に戻ってきたのだ。
戻った女性は、すでに化粧が溶けかけていて、
「お客様の中に、プレイヤーの方はいませんかぁ?」
少し不機嫌そうに、そう訊ねる。
「お客様の中に、プレイヤーの方は……!」
「あ、僕です」
一人称の矯正を諦めつつ、手を挙げる。
「……すいません。お客様、あるいは……射手、だったりします?」
「いえ」
「では、狙撃の方は……」
「得意です」
「すいません。――であれば、代わってもらっても構わないでしょうか。私、まだ、レベル13の新米でして……実を言うと、狙撃はそれほど得意じゃないんです」
どうやら、彼女には少し数が多すぎたらしい。
「構いませんよ」
みんなと約束した手前、無視もできまい。
「助かります……!」
会話の間も、バスがゆっくりと後退を始めている。
ゾンビと距離を取りながら、ゆっくりと射撃していく想定だ。
「このバスには、天井が開く機構が備え付けられています」
乗務員さんは、運転席横に備え付けられたハシゴを指し示したのち、アサルトライフルを手渡す。
「使い方は?」
「知ってます」
「で、あればさっそく、狙撃をお願いしてもよろしいでしょうか」
「了解」
少し、横を見る。
夢星最歩は、この期に及んでまだ眠っていた。
――これだけ騒がしくして眠っていられるとは……。
危機感に欠けるというか。
それ以上に、生存したいという気力が感じられないな。
妙な女だ。
そうして僕は銃座につき、高精度のスコープ越しに、ゾンビの頭部を狙った。
引き金を絞ると、
たんっ。
ただそれだけで、死人の頭部が爆ぜる。
かなり、新鮮な感覚だった。
銃を撃つのは初めてではないが、実際にその引き金を引いたことはない。
僕にとっての戦闘は、マウスをクリックすることだった。
つんと、火薬の匂いが鼻につき……、僕は静かに、陶酔する。
――書を捨てよ、町に出よう、か。
悪い気分じゃなかった。
これからはもっと、楽しいことになりそうな。
そんな気分になる作業だ。
たん、たん、たんっ……と。
やがて僕は、すっかりとこのやり方に慣れて……。
ゾンビどもが綺麗に片付くまで、それから十数分とかからなかった。




